日記ホーム ホーム ラッシュゲーム こだわりの秘湯 遊び場 ハノイ赴任記  

日記2025年5月

               

 

今月の一枚

旅行シーズン

今年も大型連休に突入。4月に4日、5月に4日の連休だ。中3日も休んで11連休って事も可能だが、やはり今年度が最後のサラリーマン生活と思うと何か愛おしく感じることもある。何も無理して長期休暇を取る気持ちにもなれない。今からこうじゃ、退職してから何もできなくなっちゃうかもしれないね。

 

5月3日(土) 大型連休後半初日

 さて、後半の連休は行き先詳細は決めずに長野へ。でも、住んでる街を抜けるのに1時間くらいかかる。高速使うより奥多摩を抜け甲府から中央道に乗るのが一番早い道だった。兎に角凄い渋滞だった。でも奥多摩を抜けるあたりから渋滞もなくなり、スムーズに走れる。なので、まずは、三窪高原の三窪さんに登ってみることになった。ここは国道に駐車場があり約30分の歩きで頂上に登れ、富士山が綺麗に見えた。快適なドライブを再開し、甲府あたりから中道同に入り、まず第一の目的地阿智村へ。ここは日本一星がきれいにみえる村とのキャッチフレーズだ。何を根拠に日本一なのか?もうすでに17時を回っていたので夜のバーベキューをすべく星見学ツアーのロープウェイ駐車場に向ったが花桃の季節で駐車場は一敗、他の空地はすべて封鎖されている。長野県らしいやり口だ。しかたないので昼神温泉に戻る途中の国道わきの空地に停め、寂しく不安な状況でのバーべキューとなった。最近は無料のバーべキュー&車中泊の場所を見つけるのが至難の技となった。バーベキュー後は昼神温泉のアルカリ泉にて酔いを醒まし、村営駐車場にて車中泊した。大変な連休旅の初日となった。

4日(日) 大型連休後半二日目

 夜中は車中泊で狭く固い場所で寝たせいか肩が相当痛んだ。それでも5時前には起きだし、朝食のため、川べりの空き地に移動した。コーヒーを入れ軽い朝食を食べ、本日の目的地はあまり長距離は行きたくない俺との激論の末、妻籠宿、下呂温泉経由の飛騨高山となった。まずはその方向に向かうが昨日のお金目当ての花桃と違い、道路わきには転々と花桃が咲き誇り日本の原風景を見せてくれる。この中にドイツパンのお店を中心とした花桃群生の素晴らしい景色があったのでつい降車して見学に回った。歩いて回ってもこの辺りの住人は幸せと思うほどの調和のとれた美しい景色だった。またドイツパンは、これが本来のパンと思わせるほどうまいものだった。特にライムギパンは密度高く味があり最高だった。そして、少しのドライブ後着いたのが、男瀧、女瀧。ここは中山道の馬籠宿と妻籠宿との間にある景勝地だ。更にここから妻籠宿に歩くことにした。馬籠宿が名産販売のお店からなる宿であるのに対し、妻籠宿は旗屋や商家など実用の状態を保存してある宿場町観光地だった。歩いて中山道を旅してる気分にさせてくれる。お店で五平餅を食べて休んでいると、白人女性が2L以上の水筒で水を飲んでるのを見て、大きいと叫んでしまった。ここから会話がスタートし、彼女はフィレンツェに住むイタリア人で今回は日本への3週間の旅との事。日本は親切で安全だという月並みな感想だったが、やはり移民の影響でイタリアも物騒になってきてるんだろーね。バスの待ち時間も長いので歩いて二瀧まで戻り、再度ドライブスタート。今度は一時間程度で下呂温泉に到着した。ここは、10年くらい前は寂れた温泉街だったのに、今や若者が集まるリゾート地に変貌していた。昔使った橋の下の無料混浴露天温泉は仕切りの無い足湯に変わってしまっていた。しかたなので、街の人達が集う白鷺の湯につかり来た印とした。全国各地の温泉に関してはここ10年くらいで秘湯感のないつまらないものに変わってしまった。これも心無いマナー知らずの観光客のせいなんだろーな。気を取り直して飛騨高山へ。ここでは昨夜の失敗を繰り返さないため、まず車中泊の場所に車を停め、すぐ寝れる用をしてから上、下の古い街角に出かけることにした。17時近くだったせいか祭りは終わりかけ、街のお店もほとんど閉店していた。だからこそ、昔の街並みはしっとりと観光客を惹きつける魅力を発揮する。中でも明治、大正の合わせつくりの古い商人宅の芸術性や造りの精緻さは見事だった。また、なんといっても造り酒屋の味見酒。100年以上の古いお店の中での試飲は最高だった。帰り道でスーパーの惣菜を食べ、そのあと飛騨高山ラーメンを食べて川沿いの広場にて車中泊した。

5日(月) 大型連休後半三日目

 どうやら本日の神奈川キャンプはすでにプランに組み込まれていたようだ。9時半をめどにさやか親子と神奈川の愛川町無料キャンプ場に集合予定だ。朝5時前に起き、キャンプ場に向け、飛騨高山ー松本ラインを走った。早朝ということもあるが、ほとんど泊まることもなくインターに入れた。道中の気温は1℃まで下っていた場所もあり、さくらが満開だた。キャンプ場には9時に着き、キャンプ場を見渡すと、ほとんど隙間なくテントが張られている。これじゃあ何しに来ているのかわからない。なので、途中にみた馬渡橋のキャンプ場に向った。ここはたちの悪い人が多かったがテントスペースは広かったのでここで二台停め、テントを張り、バーベキューの準備をした。すると元気なさやかは愛川町のアスレチックなどがある公園に行きたいという。行ってみると案の定駐車場への大渋滞。なので、みんなを渋滞中の道に降ろし、俺が後で迎えに来ることになった。でも、大渋滞なので俺も遠くへは行けない。なので、近くのローソンに車を停め3時間を散歩と睡眠で穴埋めした。午後迎えに行ったが15時近くなのに渋滞はそのまま、やっとのことで牧場の立ち入り禁止区域道路に停めごうりゅうすることができた。後はいつもの流れてスーパーで買い物し、夜は七輪パーティー。でもここは回りの人達の人相が悪く、少し危険な感じのするキャンプ場だった。隣は東南アジア人のパーティーだが、最後には俺たちとそこだけの宿泊となりそこでは東南アジアミュージックを夜遅くまで大ボリュームでかけてるし、いつ襲われるかとひやひやだった。無料のバーベキュー、車中泊スポットは最近激減し、いい場所を探すのがホントに難しくなってきたんだよなー。これも移民受け入れによるものなのかなぁ。あまり眠れない夜を過ごしたが、翌朝は雨。5時前に起き、6時前には撤収完了して、自宅に向け出発した。7時過ぎには着いたので今度は近場の不思議な感覚の温泉センターに入浴し、疲れを癒す?

8日(木) 

 今日は久々に緊張した日だった。鍵盤断裂で即手術の日程決めか、それとも、鍵盤損傷で手術なして保存療法となるか。MRI検査が終わり、診察室に行くと、担当医師が、まず鍵盤に穴が開いてることを示すMRI写真を見せられたがよくわからない。そこで、説明の続きを待つと、まあ手術するほどの大きさでもないとの事。その一言でもうどうでもいいと安心してしまった。経過観察ということで、毎月病院に通い半年に一回程度定期的に穴の状態を見ていくという。半分ほっとした気分だが、穴はふさがることはないという。俺1年くらいしたらテニス再開できんのかなぁ?これからのリハビリの事も聞かず頭を混乱させながら出社した。

10日(土) 

 相変わらず肩は固く、やっぱり寝ても一度は痛みで目を覚ます。こんななか、午前は雨、午後は奥さんはテニスへ。娘は次男連れて長男のサッカーへ。残された俺は三男の昼寝中、泣いて起きた後は、こうゆう風に抱っこしてソファで過ごした。スポーツできないし、酒も飲んでいい日でもないし、やることねぇなぁ。

 

 

11日(日) 

 昨夜は肩痛で3回くらい起きただろうか。睡眠不足だった。起きる前にしんたが来たので俺のランニングがてら、自転車に乗らせることにした。自転車を押すシンタはいい子そのもので天使のようにいい子だった。昨日の夕方の睡眠不足の状態は悪魔そのものだったが。稲荷山公園を二周して帰ってきた。みんな揃っての朝食後は、奥さんの鴻巣女子ダブルスへの送迎運転手となった。試合中は鴻巣の家の状況を確認し、買い物などを済ませ、コンビニで昼食を取っていると電話があり終わったとの事。すぐにコートに迎えに行き、そのまま帰ってきた。俺にとっては何にも楽しくない一日となった。これからこうゆう休日が増えるのかなぁ。

17日(土) 

 昨夜は大沢を囲んでのパーティーだった。みんなと1810発の急行で待ち合わせしたが、大沢、中田、俺以外はそれより早い電車で行った。よっぽど飲みたかったのかな?丸山が届けさせた漁師OBからの岩手産の牡蠣は最高だった。丸、岩、桃、中田、と大沢と集まり、林にもラインにてテレビ電話してるので、学生時代一緒に住んだ友人が勢ぞろいってな感じとなった。後は、昔の写真や奥さんの還暦祝いPP,俺のベトナムさよならビデをなどを流し、最後はまた陰謀論だ。今回もみんなそっけない反応だったが、少しマイルドに話すことができた。今日は朝から二日酔いだ。それと、酔って痛みを感じない状態で無理をしたせいか、肩の痛みが酷い。みんなを10時に送り出し、テレビを見たり、昨夜の残ったおかずを食べたり、16時に早めに風呂に入ったり、19時前に寝たり、の結局何もせずボーっと過ごす羽目になった。

18日(日) 

 まだ肩の痛みはあるが、昨日ほどでなく、二日酔いはもちろん解消した。今日は体を動かさなきゃダメな日だ。まずは奥さんと伊豆が岳に行き、低山の軽めのトレッキング。ここは懐かしの秩父方面の正丸峠の手前の山だ。昨日の雨で道が緩んではいたがここは登山靴、特に大きく滑ることなく安定して登れる。山頂付近の岩場と付近のさつきは綺麗だった。そして頂上では〇山が一昨日土産に持ってきた明太子を具にしたお結びが旨かった。二時間半強の軽いトレッキングだったのでまだ帰るには早い。なのでまずは25年振りの武甲の湯に浸かってきた。ここは前に来た時はテニスかサッカーの仲間とだったがもっとずっと広かった記憶があるが、今回は意外に狭かったのに驚いた。でもpH11の温泉は肌の再生にはいい。それと、不思議に非常に柔らかいお湯だと思う。豊富なCaのせいかな?まだまだ早いので懐かしい秩父市内に突入。まずは開店前の高砂に行って懐かしみ、そのあとコースだった珍たつラーメンにて遅い昼食。そして、観光地化した表参道を通って八幡屋で和菓子を買い、秩父神社で祈願をして戻ってベルクでお土産を買い帰宅した。なんか最近こうゆう懐かしの場所に行くこと多くなってきたよなー。やっぱ歳だなぁ。

24日(土) 

 昨夜は金曜というのに酒も飲まずまっすぐ帰ってきた。まあ肩にはいいことなんだろう。10時に寝て6時前に起き、まずは稲荷山公園ランニング二周。朝食後はさやか家族とゆきの親子と古代蓮公園にて梅狩りのはずだった。でも9時前についているのにもう人数制限により終了となっていた。これには参った。しょうがないので、公園の遊具あそび、そうたはるきとのサッカー、タワー見学などして時間を過ぎ、最後はアルマーニにてみんなで食事だった。いったい行田まで何しに行ってきたんだろうな。夕方はテラスにて七輪パーティー。

25日(日) 

 昨夜はテラスでのバーベキューパーティーで少し日本酒を飲み過ぎたせいか肩がいつもの朝より痛い。なので、ランニングは中止し、朝食後ゆっくりともとの新居にむかった。西武線、山手線、浅草線と乗り継いで駅から13分のマンションに向った。中古だが、壁紙まで交換無しで非常にきれいなマンションだった。5階なので、羽田方面の景色もなかなかだ。でもやっぱり狭い感じはする。今は二人なので問題ないが、子供が二人以上になるときになるだろーな。それと、この辺りは小学生少なさそう。教育環境はどうなのかな。少し不安になる。もとはテニスを定期的にやってるらしく、実業団5連勝との事。いつになるかわからないが、今度の対戦は楽しめそうだ。食事は若い人にありがちな肉系の昼食だったが、持参のバーボンでいい具合に酔えた。3時間くらいいて戸越銀座に行ってみたがこれじゃ40年前と変わってないや。まっすぐな道路に沿っての商店街はかえって魅力がなくなったな。日曜日の午後のせいか閑散としていた。それからは、ずっとにぎやかな秋津に降り、定食屋で食事をした。奥さんのうな重は最低の味だったそうだ。俺の海鮮丼は990円の割にはまずまずだ。下痢しなけばの話だが。

31日(土) 

 最近は予定の入ってない土日が続く。今日は寝起きに稲荷山公園を二周した後ゆっくりし、朝食後10時頃に再度奥多摩に向かった。今日の目的地は奥多摩の手前にあるつるつる青春温泉だ。チョッと危ない名前だが、意外に長いトンネルをくぐり山奥に入った静寂を保つ渋い温泉センターだった。大雨の中着いたのは11時だが、すでに駐車場は7割方埋まっていた、人気の温泉センターだ。ここはph10のアルカリ温泉。湯に浸かれば一気に肌はヌルヌルになる。でも、湯あたりはしない。炭酸やメタホウケイ酸も程よく溶け込む良泉だった。そして効能は関節痛。俺にバッチの湯質だ。でも入ってるのは1時間が限度。すぐに自宅に向かい近くの蕎麦屋でビール飲みながら天ぷらを食べる。これがここ半年の祈願だったんだ。昼食後は、酒とつまみを増強し、いつものカラオケに3時間コースで行ってきた。なんとか暇な日を温泉、蕎麦、カラオケで埋めた。でもこれって、もし肩治らなかったら、退職後の俺の生活そのままになるかもね。