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日記2024年9月

               

 

今月の一枚

涼しくなるかなぁ

最近は仕事に余裕が出てきたせいか、少し文化的なことへの興味も沸いてきた。8月は歌舞伎、能と実際に見に行ってみた。こういった日本古来の芸能もなかなかいい。特に能は芸術だった。何かスポーツでない趣味も歩き回ればあたるかもしれない予感がする。

 

 

9月1日(日) 

 本日は狭山市ミックスダブルス大会。台風でまず中止だろうと踏んでいたが、f田サンの言う通り時間通り開始。予選リーグは6-2、6-0で難なく一位通過抜けたが、決勝トーナメントにて、荒いプレーの旦那チームに1-6にて敗戦。これは恥ずかしい敗戦だった。でも、やっぱり形成悪くなると奥さんのせいにする俺は小心者なんだろーな。新しい土地に来て大勢の強いプレーヤーに会い、体調面でも不安を抱え、昨年秋から自信をなくしている自分が見える。まあ、来年退職だ。今年は割り切って負け覚悟で大会にでるか。

7日(土) 

 今週は左肩痛に悩まされ、ついに週末は右肩にも転移いした。仕事のほうは、順調に進み余裕が出てきたが、体の調子は相変わらず何かしらトラブルを抱えてします。こんな中、今朝は7-9時は奥さんと鵜ノ木コートにて朝練。帰宅して朝飯食った後は13-15時府中本町のふれあい公園にて北大サッカー。朝にも感じたが、13時からのサッカーは、たまに死を予感させる。試合会からフルの日射となった。それでも、俺は何とか走れ、1ゲーム目に目の覚めるミドルシュートを決めることができた。今年3点目だ。さすがに俺だね。でも、試合の方は圧倒され1-4と完敗だった。まあみんな負けなれてるからそれほど気にならない。試合後は安藤のお気に入りの府中本町駅前の居酒屋で飲み放題コース。何とか、深酒を避けることができ無事19時半に自宅に帰れることができた。でも右ひざは負傷したようだ。

8日(日) 

 昨夜は家でも飲んでボロボロの体。酔っていてわかりずらかったけど、昨夜感じた膝の違和感は本物だった。ロキソニン湿布をして寝たにもかかわらず朝は可動域が減少している。鎮痛効果がないなら痛んでいただろーな。こんな中、今日は奥さんと日高ミックスダブルス大会に出場した。さすがに予選リーグは初戦で3-6と負けた。でも、なんとか二戦目で6-3で勝ち、3チームの予選だったので、かろうじて二位通過し、1、2位トーナメントに出場できた。このころから俺は膝の不安からストレスが蓄積していた。トーナメントは、初戦6-3と勝ち、準決勝で2-6と大敗した。これで怒りは収まらずすべての敗因は奥さんと決めつけ、もう一年お前とはミックス大会でないぞ!なんで言っちゃった。これを軽くいなす奥さんは流石だ。子供のわがままの処理と心得ている。自宅でシャワーを浴び、旨いウィスキー飲んだら少しずつ気分を持ち直し、その後二人でカラオケにて3時間の熱唱で完全にメンタル回復した。ホントに良くできた奥さんだ。いつもわがまま言ってばかりでごめんね。これじゃ孫と同じ精神年齢だよね。

14日(土) 

 先週からの膝の痛みは続いていたので、サッカー、テニスオフともにキャンセルしたが、さやかに膝を見てもらうと半月板などの重要部位の損傷はなさそうとの事。専門家にこういわれると痛みも感じなくなってくる。早速〇山に連絡し、稲毛サッカーには参加するとの意思を伝えた。人騒がせな話だ。そんなわけで、ドライブ予定の今日は、来週の燕岳の装備点検と足慣らしを兼ねて、景観が人気の大菩薩峠の稜線歩きに行くことにした。出発は5:20だが、やっぱり八王子JCは渋滞がある。いったい何時に出発したら渋滞に巻き込まれないんだ?でも、何とか7:30頃には大菩薩峠登山口駐車場に到着した。しかし、高速大月ICからのアクセスは少し危険だ。朝日で強い木漏れ日のコントラストの中、触れ違いぎりぎりの山道ワインディングロードをそこそこのスピードで走り抜ける。カーブミラーが見にくいので、毎回カーブではクラクションを鳴らす必要がある。こんな道を40分程度走り登山口に着く。これはお年寄りには少し危険だ。登山は、一つ目の福ちゃん山荘までは比較的ゆるやかな傾斜の美しい道、ここで、右回り左回りの登山道を選択する。そして二つ目の介山荘までは比較的急な勾配のナラが生い茂る清らかな道だ。ここからすぐに大菩薩峠となり、美しい富士山の見える稜線歩きとなる。大菩薩嶺まで登ると下山となり急な勾配の足元が落ち着かない下山道となる。標準4.5時間の初中級向きの人気のある景観のよりトレッキングコースといった感じ。それでも、先週痛めた膝と痛風で少し変形している親指根元の突起と剥離を繰り返し変形した親指の爪を抱え、少し様子を見ながらの登山だったので、やっぱり疲れる。でも、登山靴も靴下もストックも十分機能を発揮していた。下山後はまずは裂石温泉に向かったが、入湯できず、奥多摩方面へフルーツラインで向い、多摩源流温泉小菅の湯に向った。道の駅の温泉だったので、あまり期待はしていなかったが、ここは素晴らしい。まず源泉は、pH9.9の硫黄泉だ。酸性の硫化水素臭のする温泉は過半を占めるが、アルカリ泉で硫黄の湯の花が空気と触れた瞬間に生成する源泉だった。入ると直後に肌の油は溶けてぬるぬるになる。また景色は奥多摩の山々の手つかず感がいい。そして、館内には男性によるマッサージ、味がよく、景色も良い食堂、無料マッサージ、そしてギャラリーまでついている。また、この道の駅はアスレチックなどもそろえ一大エンターテイメントパーク並みの遊びができるようになっている。帰りはそのまま、初めての奥多摩を使って帰った。なかなかの休日となった。

15日(日) 

 朝も膝の調子はかなり改善しているようなので、心配ながらも、稲毛に向かった。今日は京大男組と千葉大OBとの三つ巴だ。二チームとも強豪だが、なんと男組とは1-0で勝利。そして、千葉大OBとも1-0の勝利だ。千葉大と男組は3-0で千葉大だったので、まあ、千葉大にはかなわないかなーと思っていたが、なんと最後の5分で1点もぎ取った。なんと強豪チーム相手に優勝してしまった。これには皆歓喜。試合後は、駅前の居酒屋で大騒ぎしたが、1時間も経つことなく〇山が姉崎のママを連れてやってきた。これにはビックリ。こんな綺麗な人だったとは。60近くなるにもかかわらず真っ白な素肌と端正な顔、そして京都弁での知性的な会話。これは北大には合わないほどのハイレベル女性だった。若い時は銀座だったそうだ。これからも来てくれるといいね。

16日(月) 

 三連休の最終日は我慢の一日。明日のt話を控え、ひたすら説明内容をひねくる。結局休み休みだったので、一日かかってしまった。まあ、登山、サッカーと続いたのでこういう休日も必要なんだろう。外にでたのは、夕方さやかと子供たち、プンバを連れ稲荷山公園に30分ほど散歩に出かけただけだった。

21日(土) 

 二週続きの三連休だ。週初めにt話も終わり、仕事もまあ順調に進み、昨日は職場の歓送迎会だった。でも、5テーブルにそれぞれの仕事関連のグループに分かれて座ったので、まあいつもの人達との会話だった。それでもほとんどが先輩達だが、仕事を家に持ち帰ってるのは俺位だったこと。これには驚いた。アプリ注文で飲み放題だったせいか、酒は結構飲んだ。なので20時終了の宴会なのに帰宅が0時過ぎ。多分丸の内線で2往復以上していたはず、覚えてない。今日はほぼ日中は身動きできなかったが、15時から奥さんと二時間鵜ノ木コートにて練習した。奥さんの、前に出る練習がメインだ。さあ、明日は燕岳に向け出発だ。親には登山だけはするなと言われて育ったが、この年になり初の北アルプス登山に挑戦だ。

22日(日) 燕岳登山前日

 まず10時-14時はf田テニスで航空公園へ。最初は5人だたので、4時間はきつかったが後半から一人増えたので、なんとかゆったりこなすことができた。奥さんは相変わらず前に出ない。ストレスが溜まる。なので遂に「全部前に出ろよ」と言った。躊躇しながらも前に出始めた奥さんだが、やはりポイント取れる確率がぐっと上がり、俺のストレスは激減する。今後のミックスのシステムのきっかけがつかめた。本人も何か開眼したような感じだった。今後がたのしみだ。さて、テニス後はそのまま安曇野に向け出発した。ナビ通り走るとなんとインターから関越道に乗り長野周りのルートだった。最初はナビミスかと慌てたがなんとこっちが正解だった。15時に出て18時ちょい過ぎには安曇野のシャクナゲ温泉についていた。風呂に入り買い物して、中房温泉登山口近くの第一駐車場に泊め、車中泊する。車内食のせいか下痢となったが、ここはトイレが工事用のボックス式だからひどい目にあった。

23日(月) 燕岳登山一日目

 車内では何度も目覚めスッキリ眠れなかったが5時には起き、準備を始め、6時15分登山口をスタート。さすが北アルプス3大急登だけあり、二時間はずっと急登だ。合戦小屋を過ぎたあたりから平坦な道も混ざってくるし、稜線が見えて来るので少し気分は楽になる。そして、11時過ぎに燕岳山荘に到着した。でもガスっていて、いい景観ではなさそうなので、チェックインし、部屋でゆっくりしたり、食堂でビール飲んだりしていた。夕食も17時からなので登頂はあきらめ、持参の焼酎も飲み終わったそのころ、ガスが切れてきて、奥さんの出発の号令が発せられた。もうこっちは完全に酔ってんだけど。でも、ガスが切れた稜線はビックリするほど綺麗だ。花崗岩の砂礫とトドマツで化粧された稜線は確かにお化粧が整った女王だった。これは異世界だ。酔いも忘れて景色に魅入った。高山病か二日酔いか、山荘に戻った時は頭痛が酷く、夕食時にまた飲む気にはならなかった。でも夕食は味が良く、マスターのPP を使った山の魅力に関するスピーチは非常に興味深いものだった。国立公園の特別保護地区(建物なら国宝級) であるこの稜線は貴重な動植物にも恵まれ、その保護のための工夫、人懐こいライチョウはこの地域だけで、これは1000年以上の人とのいい関係が必要で日本の古来からの文化でしかなしえないことと、ドイツの調査団がコメントしたことなど、興味深いものだった。部屋に戻り消灯は20時半だが17時半には疲れて寝入っていた。

24日(火) 燕岳登山二日目

 山荘の朝は早い、4時半からの朝食だが、20分に食堂に行こうとするとすでに行列が出いている。そして、俺の少し前の列まで4時半からの朝食に間に合ったが、俺たちは5時10分からの朝食のために、50分並んで待つことになった。素晴らしい登山だったが、これだけはやっぱり許せない?それでも機嫌を直してくれるのは、景観だ。雲海の上に顔をだした浅間山からの日の出は最高だった。朝食後はゆっくり準備していると、6時にはもう400人くらいの登山客はすでに出発済みでがらんとしている。慌てて、昨日断念した北燕岳登頂に出発した。でも、寒い。外気は4℃だった。慌てて山荘に戻りダウンを着込んで再出発。さすが北アルプス。今日は晴れ上がりガスもなく、最高の景観だった。稜線はおろか、東に、八ヶ岳、浅間、北は妙高、白馬、立山、北西に野口五郎、水晶岳、西に、笠ヶ岳、槍、穂高、そして、南側には大天井、常念と、いわゆる表銀座といわれる稜線。最高の景観だ。北燕岳の頂上では山好きの同世代のおばさんが山々の名前を丁寧に教えてくれた。娘さんは北アルプスに恋して、名古屋から安曇野に引っ越してしまったという。ここから、あの槍岳まで山荘一泊だけで縦走したという。そうさせる何かが確かにこの景観にある。稜線景色を堪能した後は9時から下山を開始した。ウィークデーというのに大勢の登山客に対面し、待ち時間もあったが、なんとか4時間弱で下山することができた。でも、下山も2/3を過ぎたころから膝ががくがくし始め、頭は朦朧として足やストックの置き場所さえ判断が難しくなり、体のバランスを何度失ったことか。限界ぎりぎりってところだった。それでもアルカリ性硫黄泉の有明荘の温泉に入ると体が生き返る。関越周りの帰宅までの3時間強の運転も途中休憩を入れずに一気に帰ることができた。今度は稜線歩きをメインに山荘に1,2泊したい。

28日(土) 

 今週は3日勤務で比較的ゆったり。金曜日は〇山と浪漫房にて宴会。山と恋愛について語り合う。最近記憶をなくす頻度増えたので酒の量を考えて飲んだら、今回は無事に帰宅できた。朝はそうたがベットに来たので、サッカーをすることにし、二人で稲荷山公園に行き、キックとドリブルの練習をした。基本出来てないのにまっすぐ蹴れるし、ドリブルも早い。こりゃ基本を教えりゃすぐに旨くなるかも。午後はs城さん主催のオフ会に参加。m原さんから俺の様子を聞いているらしく、また、n谷さんも出席するなど、なんか有名人になった気分だ。この年になるとテニス繋がりも増えてくる。

29日(日) 

 今日は、朝は仕事で、10時半から4時間航空公園にてf田テニス。6人の男性でやりとうした。最近は4時間に体が慣れてきたようだ。4回4先ノーアドやり、2回は優勝し、もう一回もそれに近かった。俺がチャンプかな。帰りは所沢で酒の安売り店に入り、ウィスキーボトルと日本酒紙パックとつまみを買い、所沢の商店街にて飲みながら帰った。帰るとすでにyちゃんが旨いカレーを作ってくれていた後だったので、酒を飲みながらこれを食べ、気づいてみるとカラオケに行く元気は無くなっていた。今週末もまたいい週末だった。