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日記2024年4月

               

 

今月の一枚

もとの結婚式も終わり

ついに最後のもとの結婚式も終わった。ほっとしたからか、疲れが溜まっていたからか、それともスピーチに失敗しからか、延べ6日間を寝て過ごす羽目になった。多くの要因あるが、これからも自信を持った人生を貫くだけだ。

 

4月7日(日) 

 もとの結婚式後に発熱にて寝込みはじめ、何とか木金は出勤したものの、仕事もはかどらず散々な週になった。勿論昨日も今度は痛風による発熱でうなされ寝込んでいた。しかも、来週からは精密検査が始まりまた仕事の時間が削減される。3月は少し楽になり気を許したとたんにこれだ。筋肉もげっそり細ってしまった。思考力もだいぶ落ちた気がする。これらを回復させるのには少し時間がかかるね。今年も春に大変な目にあってる。

13日(土) 

 1日に寝込み始めて以来まだ痛風の痛みが残ってはいたが、なんとかサーブしてきた。後でまた傷んだが、さびれた腕を半分くらいは修復すことができた。奥さんと孫二人を連れ、無料の入間基地滑走路付近の入曽にて、7-9時にてサーブ&孫テニス教室をやってきた。先週が盛りだったとはいえ、桜も朝日を浴びて十分綺麗だった。テニス後は雪の親子が来て、さやか親子も遠出から事故渋滞で引き返してきたので、ゆきのと孫4人を連れ稲荷山公園で散歩。さわやかな朝日で気持ちよかった。やっぱり健康っていいよね。一つ一つの行動がキラキラして見える。散歩後は、近所の大盛食堂の古都へ。二度目に行くと量の多さは相変わらずだが、味はやっぱりいまいちだった。しかも、さやかたちは、すぐには入れると思いきや外で待たされる羽目に。なので、帰って行った。ダメな店だった。

14日(日) 

 今月も寝込んでいたすきにもう半ばになった。同様のサーブで大丈夫だたので、今日は腰痛の奥さんを家において、初めての鵜ノ木コートに行ってサーブ打ってきた。ここは3つのクレーコートのある場所で、コート状態はすごくいい。それと土手下なので風も強くない。これからも使いたい良いコートだった。昨日同様最初はフォームができてないのでめちゃくちゃだったが、1箱目の後半にはトスが安定しはじめ、フォームも少し戻ってきた。全部で4箱くらい打ったかな。となりでは俺より4,5歳上のシニアがいいプレーでダブルスをしていた。そろそろ俺も試合したい。来週は鴻巣の一般ミックス予定だが、奥さんの腰痛によりデホになりそうだ。それにしても、俺もまだ顔面と、痛風の足先に炎症が残り、俺も来週試合に出れる状態かはわからない。ふぅー。

20日(土) 

 何も今週はt話が2件あり、忙しく過ごしたが何とか乗り越えることができた。でも、金曜の午後は一目散に自宅に戻った。また疲れてきたかな?今日は朝5時に目が覚めたがすることもなく7時前まで過ごし、入曽のテニスコートで奥さんと7-9時にてサーブ練習。ほんのちょっとだったが痛風の痛みをこらえながらも走ることができた。そのあとは13-15時にした航空公園でのダブルステニスオフに向った。でも、時間になっても一向にそれらしき人がやって来ない。よく見たら別のテニスコートで開催されていた。こうゆうミス最近増えたんだよなー。でも、どっちにしろ15時であがる予定だったので、ドタキャンになり、キャンセル振り込み予定。しかたないので、所沢で時間を少しつぶしマロングラッセを買ってさやかのお土産にした。帰宅後は予定のさやかの友達の若夫婦を招いてのホルモン七輪パーティーだった。どうも俺一人で赤霧島の一升瓶を半分位飲んだようだ。でも、美人奥さんとの会話はおろか、飲み始めて二時間以降の記憶は全くない。

21日(日) 

 今日は鴻巣の一般ミックス大会だ。まあ二日酔いだし、痛風明けだから気楽にやろうと思い一試合目が歳よりペアだったこともあり、かなり雑なプレーをしてしまった。カトレアのH川、東部から来た女性のペアだった。最初は2ゲームくらいリードされたが5-5に追いついたのでこのまま勝利と思ったのが悪かった。最終セットはは15-40での敗退。これでやる気は半減したが、残りの2チームはあまりうまくなかったのと俺も走れることができるようになってきたので、簡単に勝利。ここ数年常に予選リーグは突破してきたが、今回は2位トーナメントの出場となった。しかし、トーナメントはシードだたので、3試合常に逆転勝利で優勝。2位トーなメントでもやっぱり勝ち上がるのは楽しいもんだ。

266日(金) 

 今日は前半連休前の最終日だった。午前で何とか仕事を終わらせ、今日は15時からトレッドミルという循環器系の最後の精密検査だった。最終結果は、脳も、心臓も非常にいい状態だったということだ。でも、この間、2,3日の寝込みを3回繰り返し、筋肉はげっそり落ち、体重は4sも減った。原因が心臓や脳にないことは分かったが、結局わからずじまいだ。多分、やはり秋冬のストレスが原因だと思う。でも、体重減に納得できない奥さんは、皮膚がんと内臓がんの検査を要求してくる。これ一日で終わるといいんだけど。今日の検査後は、奥さんと新狭山公園にて17-18時、川越市立の女子軟式庭球部の脇で軽くテニスをした。さあ、これからまず大型連休前半だ。鹿島神宮と、芝山古墳にて、縄文時代の首都であったあたりの文化を調査しに行ってみるか。でも、さやか親子同伴だからやっぱり遊びの旅になるかなぁ。

27日(土) 

 前半の大型連休初日は、9-13時で横手台ダブルス。2面で9名だが、今日が最強のプレーヤーだった。兎に角球が早くて重い。それでも、やはり徐々に慣れてくる。今日は5回やって2回勝てた。前回と同じだ。これまでこうゆう人達とやったことがないというほどみんな上手い。でも定期的にこうゆう人たちとやってたらきっとうまくなるだろーな。70までには県体優勝できるかもね。そしたら、75でjopの一位になれるかも。帰って、シャワー上がりに体重計ったら68.2kg。俺だって心配なんだよなー。

28日(日) 鹿島神宮、大洗キャンプ場、はにわ博物館

 朝6時に家を出て、俺たち夫婦とさやか母子の6人の一泊旅行がスタート。まずは念願の鹿島神宮だ。鳥居脇の駐車場に300円で駐車し、鳥居付近で受け付けてるボランティアのガイドさんがついてくれた。ここは、日本国史学会によると縄文時代の首都であり、日高見国のあったばしょであり、紀元前660前後に神武天皇がここから船旅で九州に天孫降臨し、東征し、邪馬台国を作ったストーリーの最初の場所だ。鳥居脇の説明文にも紀元前660年建立されたと明記されている。やはり思った通り三大神宮らしく、境内に入れば神性な雰囲気が漂っている。まずは工事中の日本三大楼閣を通り抜け、湧き水で手を清め、本宮にお参りする。ヒノキの樹皮張りの屋根の丸太の数が奇数でキリずまが水平である男神たけみかづちの大神を祭った本宮だ。武に優れた神様であり、香取神宮で祭られている神とともに出雲の国譲りを成功させた立役者だったそうだ。この本宮の屋根は、側部で屋根が内側にきれいな曲線で巻き込んでおり独特な形状をしている。美しい屋根だ。そして更に参道を進むと要石が祭られている。この岩は大きな一枚板であり、香取神宮と繋がる大きさで、大地震の時この付近の災害を低減させてくれるという。そして、参道をはさんで反対側には湧き水が祭られている。この海岸付近のほぼ平地の境内に、写真の池を潤すほど豊富の水が湧き出している。これも不思議さだ。やはり、ガイドさんの説明が張ると格段に知見の関連性が明確になり、真実が見えてくる。いずれ日高見国がこの地にあったというのが定説になる日が来るだろう。神宮詣でのあとは、大洗に向った。ここで、一晩を過ごす大洗キャンプ場でテントを設営するためだ。でも、大洗市周辺に来るとどの道も海岸に向けての大渋滞だった。この日月は、大洗海岸にて、天然ハマグリの無料潮干狩りが実施されているとのことだった。なんとか、回り道し、キャンプ場に入ったのが14時前だった。なので、テント設営、近くのスーパーでの買い物などを済ませると、すでに16時。なので、バーベキューを昼夜のご飯にすることにした。ここは、杉林に囲われた広いスペースでテントの設置も近すぎずゆったりとキャンプできる良い場所だった。水筒に入れて行ったストレートの焼酎を飲みながら海産物やこの前のバーベキューの残りを焼き、21時近くまで外で自然を満喫した。

29日(月) 鹿島神宮、大洗キャンプ場、はにわ博物館

 朝4時からさくたに起こされみんな5時頃に起きだし、パンやらゆでたまごやら昨夜の残りやらで空腹をみたし、なんとか9時前に撤収し、すぐ近くの大洗ビーチで開催されているアサリの無料潮干狩りに参加した。俺は虚弱体質なので、さくたが寝ている御守を車中でしていて、残りのみんなは砂浜で血眼になりアサリをかき集めた。小ぶりだが、数十個がその収穫だったそうだ。その後は、また南下し、芝山の歯には博物館に行ってきた。ここはホントにその展示物の重要性と裏腹に安い入場料金、そして展示物の乏しい説明材料だった。早稲田さんもう少し頑張って仮説を立ててみるのもいいんじゃないの?6,7世紀のその古墳に埋蔵されるはにはは、まぎれもなくユダヤ人のものだった。家のはにはは、これは鹿島神宮の本宮のものだった。貴重な埋蔵品がなんの厳粛性ももたず素朴に展示されていた。兵馬俑にも匹敵する歴史的な価値がある。旧約にも書かれ、ユダヤ人の特徴である、ハット、長ひげ、ミモザ、鼻高などがはっきりと造形されていた。また、家屋のはにわは、本宮の建築様式そっくりだった。子供たちはあまり興味ないので早々と切り上げ帰宅途中にある所沢の由良の里にて入浴し、粗末な夕食も食べてきた。