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日記2023年2月

               

 

今月の一枚

またサッカーできるようになった

膝の炎症とそのあとの激痛を数回起こした昨年は、サッカーはおろか、テニスさえしっかりできなかった。でも、11月以降、膝に負荷をかけても炎症を起こさないようになり、壁にボールをぶつけても大丈夫になった。桃太郎ともいっしょにサッカーできるようになり、楽しいサッカーライフは始まった。サッカーもホント楽しいよなー。

 

4日(土) 

 なぜか一月後半から仕事のテンポがあがり、少し余裕をもって進めることができるようになった。夜も20時前には家に着けるようになった。さて、今日もサッカーだ。昨年末以来、こんなにハイペースでサッカーするのは初めてだ。でも今日は15-18時の時間帯だ。多分鳥目だから、ナイター照明じゃろくに周りもみえねぇだろー。でもそれ以上に心配なのは、宴会スタートが遅いので、遅くまで飲み、家に帰れるかどうかだ。実際行ってみると以外に暖かく体調は良かったが、勿論得点ならず、プレーもあまりボールに絡むことができない展開になった。納得できない。試合後はシャワーを浴び、火鍋の店に入るが、どれもからくてみなさん食べられない。俺は中国で慣れてるからビールで流し込んだが、酷い料理だった。夜中に帰りシチュウと海苔巻きを食べて寝たら吐き、翌朝はとてつもなく肛門が熱かった。

5日(日) 

 久々に朝7時半まで寝た。あまり走らなかった割には疲労が残っている。宴会疲れとサッカーにも限界が見えてきた精神的ストレスかな。今日は12−14時で奥さんと上谷でテニス。やはり、昨日のサッカーの疲れなのか、それとも宴会の疲れなのか最初の1時間は全く調子が戻らなかった。でも、後半はやっとフォームが戻ってきた。最後の15分で奥さんとハーフダブルスとシングルスコートの戦いをしたが、最近はほぼ勝てない状況だったが、1ゲーム取れた。少し自信回復。

12日(土) 

 急にM山から連絡あり、エミさん不調のため、国立でマリノス戦見ないかとの事だった。当日は一人サーブくらいしか予定もなく、喜んで同伴した。新国立競技場は初めてだった。試合開始30分前にはスタンドに入ったが、すでにサポーターの大合唱が始まっていた。この競技場は音がきれいに響く。この後の国歌斉唱では管楽器の伴奏が見事に丸くなって3層階に響いてきた。素晴らしい競技場だ。そして、視界。上からはグランドの選手がくっきり見え。グランド全体が程よい大きさで眼に入ってくる。コロナ下オリンピック、都知事主導の陸上トラックの併設、そして電通による汚職と悪い噂の多かった競技場だが、やはり日本の企業はいい仕事をしている。まだまだ沈む国ではない。試合は、マリノス先制、甲府が追いつき、マリノスが再度引き離すという展開で、興奮の内容だった。M沼の息子もがんばっていた。持って行った酒一升とその半分の焼酎もほとんどみんなで飲み切った。そして、かなり酔っぱらった試合後は、M山と歩いていつもの店に行った。でもさすがに二人で長居できず、19時頃には家に戻った。楽しい一日だった。

13日(日) 

 朝は6時過ぎまで寝て、朝飯前と午前中に仕事。午後は、奥さんが川越でテニスをしてくるのを待ち、そのままアリーナで二時間テニス。酒飲んだ翌日なので体調が気になったが、以外に体は動く。あせも大量に出てきた。でも、最後のハンデ戦はやっとの思いて2−2の引き分け。最近は全然勝ててない。テニスも行き詰ったか。でも、最近良くて週一回の短時間だもんなー。それじゃうまくなんないよなー。

18日(土) 

 金曜日の夜早めに帰ってみると、もうさやか親子が来ていた。今日が母の三回忌なので、一泊前倒しするらしい。相変わらず息子たちは元気だ。そして、三男はほんとにかわいい。一気に老夫婦の家がにぎやかになる。それでも今朝は8−9時で上谷にてサーブを打ってきて、帰宅し、すぐに着替えてさやかの車で児玉に出発。ゆきの家族もノリも遅れずに集まってきた。境内や坊さんのお経は歳とってわかる心地の良い環境だ。孫たちもそれを知っている。帰宅後はみんなでうちで昼食会。俺はビールと日本酒を買ってきて、早くも酔いつぶれモード。ゆきのの二人で飲んだが大した量ではないのに二時間持たずにつぶれた。でも、夕方復帰して孫たちを風呂に入れ、夜を迎える。よーくがんばった。やっぱり孫の相手は疲れる。

19日(日) 

 朝はたっぷり寝て7時頃起きだしたが、すでにその時間にはそうたが二階にやってきた。今日も朝いちばんから相手しなきゃだな。着替えさせてる途中でしんたも起きだしたので、二人をつれ、走らせるため農道に自転車で繰り出す。一往復させ、帰って第二公園に行き、黄色の球に乗せ、朝飯を食いに家に帰る途中、自転車の荷台に乗せていたしんたが左側に引っ張られるように落ちて行った。下は歩道の凸凹のコンクリートなので、打った顔面が悲惨に腫れあがってきた。慌てて家に帰ると、さやかが半分怒りながらそうたの顔面をアイスで冷やし、とりあえず腫れは引いた。予定通り、11時から松山のこども動物園に行ったが、着いた時には左顔面には多きな赤い傷とともに、腫れがあざやかにできていた。それでもなんとか13時半まで動物園にて遊び、そこで孫たちとはお別れ。そして、すぐに奥さんと上谷のテニスコートにむかった。14時からの約束で奥さんの友達も一人来ることになっていたので急いでいったが、14時半着。それからなんとか16時まで練習し、帰宅した。今回の孫とのお遊びは大変に疲労した。ぐったりしたので、風呂を浴び、酒を3合ほど飲み、飯を食って、もう寝る体制だ。やっぱりどんどん体力落ちてるなー。

23日(木) 会津旅行初日 

 今週は三日間の就業後、4連休にした週後半にて会津旅行に行ってきた。やっぱり、40年振りの冬の会津では、昔の恩師や友人との再会にて最高の旅になった。朝は予約した10時半の新幹線に乗り、あっという間に郡山。でもやっぱり接続悪く一時間待って会津若松行きに乗車。2両編成のワンマン電車なので、危うく座れずに一時間以上を過ごすところだった。猪苗代付近は視界が雪で覆われた中での磐梯山は、見事だった。ここで初任地時代の思い出がたくさん蘇ってきた。なんか不思議な感覚だった。でも何とか座って会津に到着。初日は社長が来場時に宿泊した向瀧に俺たちも宿泊。やっぱり、思った通り、ここの建物、風呂、飾り物、そして対応は、上クラスだ。でも、n沢、n尾さんとの宴会なので、夕飯は素早く食べるはめになり、タクシーで市内に向かい、居酒屋で飲んだ。昔の話はやっぱり盛り上がる、18時半から22時過ぎまで一件でずっと話し込んだ。やっぱいいねー。向瀧に帰ったのは23時頃、電話をかけ、カギを開けてもらってやっと入った。こりゃ若い時と何も変わってないなー。写真後半は向瀧の建屋、庭園と渡り廊下、食事、3つある貸し切り風呂の二つ。この写真をfamilyにおくったら、もとが丁度彼女と会津旅行中で、大内宿→芦ノ牧温泉のコースを進行中との写真を送ってきた。

24日(金) 会津旅行二日目 

 深酒の割には二日酔いもかるく、ここの朝食はやっぱり旨い。聞くと確かにn農園の野菜をここでは使っているらしい。ここの食事は通常の旅館の海鮮と肉の物量と違い、料理の素材とその調理技術を食べてもらうことにこだわっているようだ。少しづつの食材がほぼパーフェクトな味に仕上がっている。昨日使ったハイカラさんバスにて駅に行き、まずはレンタカーを借りた。そして、午後からのn尾さんクラブのテニスのためあまり時間も取れなかったので、初任地の工場に行ってみた。工場風景や社宅の状況を見てそのまま移動するるつもりだったが、なぜか急に中に入りたくなり、守衛に向った。まだここに勤務しているはずの後輩の名前を言い、会いたいと伝えると、総務の方が気を利かせて別の後輩を連れてきてくれた。それで、中に入りしばらく昔話をし、現状を聞いてきた。やっぱり、実際にそこに働いている後輩の話を聞くのはいい。みんな社内でキーマンとなって活躍していようだ。楽しいねー。俺のアイデンティティーも再確認できた。礼を言い退散し、少しドライブして、約束してあったあいづドームに到着した。すでにn尾さんは車で待っていてくれ、コートでみなさんに紹介してくれた。そして、プレーをしてみて驚いたのは。様々な年齢構成の十数人のクラブメンバーだったけれど、とにかくみんなの球が早くてうまい。特に数人は、しっかり基礎の出来た体育系上りといった感じのプレーだ。これには驚いた。さすが平日にやっている人達だ。この仲間ならn沢さんも楽しいんじゃないだろーか。俺たちには少しレベルが高いようだ。楽しくドームで3時間テニスし、そのあとは今日の宿泊先の千代滝だ。ここは和洋折中の旅館で十分に広い部屋にセミダブルのベット二つ、大きめのソファーが置いてある。食事はバイキング形式だが、十分和食はおいしい。風呂も露天風呂もあり、風情がある。近くの新瀧と提携しており、お互いのホテルからそれぞれの風呂にも行ける。そして、ロビーのあるフロアーでは、酒と焼酎を無料で飲めるコーナーも設けられていた。ここで、たっぷり飲んでから夕食に行ったが、飲み過ぎたか、形態をここに忘れ、後でめんどうなことになった。でも今日は、夜の宴会もなく、ゆっくり風呂に入り、ゆっくりと夕食を食べることができた。写真後半は、酒のフリードリンクコーナーと新滝側の風呂。

 

25日(土) 会津旅行三日目 

 さあ、最終日。朝食後にチェックアウトし、まずはn尾農園を見学に行った。今となっては有機栽培のプロ、無農薬での栽培方法や、9人の子だくさんを生かした少子化対策、日本の農業の今後の展望と話は面白い。会社にいるときと大違いだ。そして、この農園の米とその米で作った酒をもらってきた。二人で9人を育て、農業では公演依頼がくるほどの成果を上げ、しっかりと地に着いた生活をしていた。素晴らしい。そのあとは時間が余ったので鶴ヶ城にいってみたが、ここは工事中なので、あまりいい景観は楽しめなかった。でも、テニスを初めて1年後からの公式戦は、ここお城のテニスコートでやってきた。ここではほろ苦い思いばかりがよみがえってきた。そして、駅にてレンタカーを返し、磐越西線、新幹線と乗り継いで、17時過ぎには自宅に戻った。刺激を受け、人生を再考させられるいい旅だった。

26日(日) 4連休四日目 

 疲れてはいたが6時に起き、写真の整理をし、その後朝食を取り、すぐにアリーナに行った。今日は行田市のチーム戦の日だった。女ダブはいつものs木母娘、そして男ダブは、n村さんとs出さんのコンビ、そして俺たちはミックスだ。8チームなので、4グループのリーグ戦後に1,2位と3,4位トーナメントがあるので、すべての順位が決まる。そして所詮は後から思えば優勝チームとのミックス。なんと6−2で完勝。二戦目は鴻巣大会で負けているkトレアクラブの有名人ペア。これにも6−2で勝利。順調な滑りだしだ。三戦目は二十代前半で男子はJOP300位の若者で彼のサーブ、ストロークははじかれ具合が半端でない。何とかTゲームは取ったが完敗。でもチームは男子、女子ダブルスはそれぞれ1勝だったので、3位での通過となり、3,4位リーグに進む。ここでは四戦目、五戦目と5−6にて惜敗。普通5−5になるならまずまけないんだけど。でもなんと、男子、女子ダブルスがそれぞれ二勝上げたので3,4位トーナメントは優勝。チームとしての出来は良かったが、俺たちの勝ち数が少なかったのが気になる大会となった。でも、男子、女子ダブルスはとても喜んでいたようで、それが救い。いい四連休だった。