4日(金)
先週に続き、今週の金曜日も午後半年にして帰ってきた。でも、嵐の中医者で薬をもらい、そのまま帰ってきたので、楽しいこと何にもなし。最近は楽しいこともアイディア出せなくなってきたようだ。でもまあ、東京にはあんまし楽しいことはないしなぁー。少し時間できてきたようなので、趣味の起業を始めようかなー。
5日(土)
今日も4時前に目が覚め、我慢できなくなって4時に起きてPCを始めた。今週は仕事を持ち帰らなかったので、奥さんにスキャナーしてもらった家族の写真に年代を入力し、Googleにアップロードしていった。こんなことしてると人生の終末みたいだな。午後はいつものスマッシュ。最近俺うまくなってる。実感がある。こりゃ今年あたりはシングルでもタイトル取れるかもね。
6日(日)
まとまった時間でコート予約できなかったので、9時からは川里でy本さんと1時間。12時からは奥さんと赤城で1時間のテニスをやった。サーブとスマッシュメインの練習としたが、特にサーブは、混迷状態に入った。あまり膝を曲げないこれまでのサーブと完全に右足で地面をける安定志向のサーブと、どちらにしようか迷ってる。いつも長くサーブ練習をすると右足で蹴る形が出てる来るのでこちらにしようかと思った。月末の県北シングルまでに間に合うかなぁ。
11日(金)
年休消化のため今日は休みにした。さやかが髪を切りにいくというので子供二人の面倒をみるという名目でゆきのは昨日から、奥さんは今日の昼頃にさやかの家に集まる予定になっていた。俺はテニスでもしてゆっくり過ごそうかと思っていたので、9時から一時間赤城でテニスしたが、結局一緒にいくことになった。やっぱり孫が三人集まるとにぎやかだ。しかし、みんな埼玉だからお互いに行き来してのんびりやってる。明日の予定を聞かれ丸山山荘だと話すと、一緒に行きたいという。じゃ、行こうかってことになり急遽土曜日はみんなで行くことになった。こりゃ大変だ。それで、俺たちは買い物もあるので、先に帰り。娘たちはまずゆきのの家に泊まり、明日俺たちがテニス終わってから家に来て、一緒に出発することになった。優雅な子育てでいいねぇー。
12日(土)
まずは上谷に向かうとさやかから連絡が入り、きょうちゃんもいくかから桶川に来なくていいとのこと。これで急ぐ必要はなくなった。1時間のテニス後は家に帰りゆっくりシャワーを浴びで十分に準備を整え出発。でも、やっぱり着いたのはしゃくなげの湯にジャスト14:30それから予定通り丸山山荘に到着。去年まで社長だった渡辺さんも参加して十分な準備をしてくれていたそうだ。やっぱりそうゆう人ってできてるんだよねぇー。用意しておいてくれた馬刺しと冷えたビール、そして俺が持って行った二台の七輪でのホルモンと知多と壹岐焼酎で最高のバーベキューだ。でも丸山は9時前に潰れみんなで寝ることにした。
13日(日)
朝は鳥の声で5時前には目を覚ます。バルコニーで丸山と話しているとさやか親子が起きだしてきた。なので、渡辺さんと丸山、さやか親子で散歩にいった。三十年前からここへは何回か泊まったが、多分散歩に出たのは始めてだ。カッコーはロッジにもよく聞こえてきていたが、キツツキの音は意識したのは始めてだった。これは素晴らしい音だ。そして、草花の香り、このあたりも素晴らしい土地だ。朝食をたべ、部屋を綺麗にして10時にロッジをでた。後は奥さんの計画した茶臼公園に行き、ダイナソー関連のエンターテイメントで楽しみ。最後に近くの蕎麦屋サクラで昼食をたべ、14時に解散。17時に渋滞もなく、帰宅することができた。
19日(土)
今週は新業務開始とT話、そしてK前調査と何かと忙しい一週間だった。今日は一日雨。8時からと14時からのテニスは中止。朝食時、何して過ごそうかとの奥さんの問いかけは、すでに大谷石の採掘跡に行こうという意思表示が含まれていた。なので、9時に出発、高速使わずとも12時前に大谷博物館に到着した。ここは、広大な大谷石の採掘跡なので、雨の日と灼熱日の退避場所としてはもってこいだ。おまけに内部には多くの展示物もあり、気持ちがリラックスする。でも、まあ長くても1時間の場所かな。昼食は、近くのクールリージュっていうバスク料理のお店。ここの2000円ランチはうまかった。大皿での3種サラダ、フランスパン、メイン料理、デザート、コーヒーでこの値段。屋外は森の入り口なので、気色は最高。 シェフは、フランス料理修行中に最後に行きついたバスクで人種差別に対抗し助けてくれた人の多かったバスクにて長く居つき、料理を習得したとのこと。帰り際は雨が続いていたので、大平山神社の紫陽花を見に行った。もう終わりかけであまり見事な紫陽花ではなかったが、境内への長ーい石段の両端に多種の紫陽花が植えてある場所だ。山の神社の石段に紫陽花ってのはよく似合う。ふもとには大きな駐車場がいくつもある、最盛期にはきっと大きな観光ルートになるんだろーね。帰りも高速使わずに17時に帰宅。雨が降ってテニスが中止でも決して体が休まる時はない。
20日(日)
今日は、いい目覚めだ。久しぶりに5時半まで目が覚めなかった。朝食後は、赤城で8:30から10;00までテニス。隣面ではy崎夫婦と二人がテニスしていた。やっぱり赤城が好きなんだねぇー。昼食後は伸びたカロラインとゆずを刈り、ジャガイモの収穫。こういうのって旨いんだよねー。ゆったりとした一日だった。
25日(金)
今日は歯医者だったので、午後年休にした。時間あったので、まずは日本橋の貨幣博物館へ。このあたりは完全に西洋だ。日銀、造幣局、三井住友銀行、三越、すべて西洋そのものだ。空気も違う。貨幣博物館では考えさせられる。造幣する側の信用ってなんなんだろう。信用なけりゃ貨幣は流通しない。厳しい信用合戦が続く。今の世代の人は、万札が使えない世の中は信用できないだろう。でも、銀行における現金は貸付、預金の数十分の一でいい。通帳やウェブ上の数字が独り歩きしているだけ。一気にこれを失う日がもうそこに来ていることを考えている人ってどのくらいいるんだ。つぎは、浪人時代に数か月過ごした予備校の田端の寥を探してみた。いいところまでいけたんだが、記憶にある6回建てのビルは見つからない。まあ、40年前のことだからなぁ。でも、椎名町の下宿先は見つけたけどね。歯医者では、更にもう一本のインプラントを勧められる、最悪の日だった。帰りは電車で酒を飲みながら帰った。
26日(土)
今日は、
県北シングルの日。この大会はあまり勝ててないので、気が進まないので欠場が多い割には参加費が3000円なので奥さんから応募はやめろと言われている。しかも今週は手首がいたい。まあ、適当にやるかと行ってみた。ドロー運が良かったのか予選リーグの相手は、普通ならまあ勝てるという感じで、6-1,6-0.一昨年は、ここで気を許してトーナメントですぐにまけたが、ことしは、違った。3人目は年配の人でリーグ戦で疲れていた様子で6-2.4人目は左右のフォアが協力な人だったが、何とか6-4.準決勝は身体能力の高い人だったが、6-3.決勝は優勝経験もあるトップクラスのY島さんで、ここも6-3.準決勝では、体が優子と聞かずにだいぶ苦戦したが、なんとか6戦全勝。やっぱり俺って戦うために生まれてきた人かもね。
27日(日)
今日は幸福感に満たされた状態で目が覚めた。9時から上谷で1時間奥さんとテニス。さすがに体の節々が痛い。昨日はきちんとできていたサーブが入らない。翌朝でこうも違う感覚になっちゃうんだなー。テニスは奥が深い。午後は雨降らなかったのでイオンモールに奥さんと行き、熊よけの鈴と半額セールの安いワイシャツを2枚買って帰った。幸福感が少し薄れた。
今月の一枚
少し仕事に余裕出てきたなあ
今年も続いてるコロナ騒動。4月26日からの緊急事態宣言は、6月20日まで延長だって。この二年間ほど、政治や報道に対する失望を感じたことはいままでになかった。まあ、原発事故の時もそうだったんだろうけど、日本にはいなかったしなぁ。でも、相変わらず大部分の日本人は騙されて続けている。この状況は戦前よりも酷くなってきているような気がする。声をあげる人が少なすぎる。また、声をあげるとマスゴミにたたかれる。これから大変な時代になっていくようだ。