1日(日)
母親の葬儀は近くのさがみ典礼で家族葬で行った。通夜はノリ家族ともとと俺でにぎやかに式場で飲んだ。娘の旦那含めて大勢集まったので、母の一生を活発な性格でよーくがんばった人生と話しておいた。そうたとはるきはうれしそうに葬儀場や斎場で騒いでいた。これでやっと楽になれたね。ベットで6年間頑張ってもらったのが、良かったのかは今でも考える。
8日(日)
さやかが暇だというので、家族をつれて富岡の恐竜博物館に行ってきた。やっぱりそうたは恐竜を怖がる。それよりも類人猿の模型や外の公園のほうがよっぽど楽しそうだった。
10日(水)
仕事から帰ってくるとゆきのがくつろいでテレビを見ていた。また暇なので泊まっていくそうだ。どうしてうちの娘はいつも暇そうにしてんだろーね。
14日(日)
昨日の土曜日は、一日雨で午後のスマッシュは中止。フラッシュサポート終了でつぎを充てていたホームページの部分の修理を一日していた。今日は午前予約していた上谷は風のため中止。今週は運動できない。来週も忙しいし、ストレスたまる一方だ。しかし、一日って何もしないとあっとゆうまに過ぎて行くもんだ。でも何とか二週間前に抜歯した歯茎の痛みは薄らいできた。さて今週末の治療は痛いのかな。
19日(金)
今日は早退で銀座の歯医者で抜歯。何とか埋め込んだ骨材は、歯茎で旨く覆われたようだ。Nさんの退団は相当ショックだったが、帰るとさやか親子がいて、気分が良くなってきた。やっぱり、別れの多い三月は嫌いだ。でも、そのあとは花いっぱいの4月になる。こうして毎年落ち込んだり、元気が出たり、生きている。
20日(土)
今朝も5時前に目が覚めてしまう。インターネットでしばらく時間をつぶし、7時からは孫たちと遊ぶ。そうたもよくしゃべれるようになってきた。家を9時に出発し、実家へ行き、二つの不動産屋と現地で相談した。まあ、売ることはできそうだ。でも売る前にはまた相続関係のめんどくさい手続きが必要だとのこと。この合間にお彼岸でお寺に行ってきた。今日は奥さんと一緒のせいなのかお坊さんは凄く陽気で長話となった。葬儀の時と全然違うなぁ。14時からはスマッシュテニス。先週雨でできなかったせいか、酷く調子が落ちている。でも、T橋夫妻は旨い。これからも楽しみだ。
21日(日)
今週も日曜日は朝から雨。仕事も持って帰らなかったので、礼服とテニスバッグを買いに行こうかと思ったら、奥さんが礼服のサイズをなおしちゃった。しかたないので、スポーツ店に行き、テニスバッグを見てみたがこれというのがないので買わず、上尾市場の寿司屋さんに行ってきた。ここは突き出し的な塩辛がうまい。それで昼からスパークリング日本酒、焼酎のお湯割り、日本酒の燗と気ままに飲んでしまった。これで今日は撃沈。相変わらず奥さんは相続、遺産分配の手続きで大変だ。
23日(火)
今日は、送別テニスだった。SS尾さんがなんと一人で企画しちゃった。今年度はコロナで幹事として何もしなくていい一年だったが、最後に仕事が回ってきた。午後から年休にし、14時から3時間のテニス。大した勧誘もしてないのに三十数人が豊住コートに集まってテニス三昧。でも、s尾さんも言ってたけど、みんなが喜ぶのを見るっていうのもいいもんだと少しはわかってきた感じもする。確かにいい天気で気持ちよかったし、n口さんも最後に来てくれてテニスをしていった。いいもんだ。
27日(土)
今日は、朝吹上の元荒川沿いに花見にでかけた。朝日を浴びて昨日一気に咲いた桜が八部咲きの綺麗な景色を見せてくれた。子供たちが小さいころ休日の朝よくここに来たんだよねぇー。今も白鳥は行田周の伏流水の川との合流点に住んでいて近所のおばさんからlパンをもらって生活していた。午後はスマッシュ。新入のt橋夫婦はかなりうまいので結局俺は気を抜く暇がない。でも、3時間は耐えれるようになってきた。テニス後は18時から、新宿公園で奥さんと二人で花見宴会。日本酒はなんと王冠式のふただったので、ビールと少しのつまみを食べただけで帰って家で飲むはめになった。なんで日本酒がスパークリングなんだよ、八海山!孫たちも花見してる。
28日(日)
今日は行田ミックス大会で、55歳以上優勝。この街で年齢別をやるのは始めてだから優勝のプレッシャーがかかったけど、やっぱり順当に優勝した。一般はS元さん夫婦が準優勝。大会後フリーのコートでs元さん夫婦と試合をしたらこれも勝利。今日は5連勝だった。でも優勝祝いで行こうとしたフレンチレストランは、予約でいっぱい。焼肉のサンユウも5時で満席。家の近くの蔵王は臨時休業。結局ウィスキーをたっぷり飲んじまった俺は遠出する気になれす、最後はアジトラ。最後がしまらなかった日曜日になった。まあ、祝勝会は後日だな。
31日(水)
今日は尊敬する上司の退団日だ。午前はぎりぎりの時間まで粘って教えをこい、レポートを修正した。午後一番に退団挨拶があり、1,2時間自席で仕事をしていたようだが、かわるがわる花束を誰かが持ってくる。やはり、いろんな人に尊敬されてるんだ。そのあと午後3時ころなんの前触れもなく、静かに去っていった。何か心に穴が開いたようだって言葉が理解できるような気持ちになった。
今月の一枚
母永眠
2月20日(土)15年2月の心肺停止以来、闘病生活を続けてきた母親が永眠した。28日に葬式を実施、家族葬だけど、多くの孫やひ孫の声を聴きながら、逝った。豊かで栄光のある幼年期、父親の死亡から始まった困窮期、そして結婚後の安定、幸せな時期を遠し、優秀な母親は子供たちに多くの哲学を残して逝った。
今月の一枚








