2日(火)
日曜日の敗戦は、まだ響いているようだ。今日は東松山テニス協会のホームページでやっぱり俺たちが負けた相手が優勝していたことを確認して、少しほっとした。でもやっぱり情けねえ。明日は在宅だ。ゆっくりやろう。
6日(土)
疲れてるのに5時前に起きてしまう土曜日。少し遅れて9時から1時間上谷で奥さんとテニス。肩と肘が張ってる割にはまともに打てたなあ。4年ぶりに?梅が見たくなったので、家で準備してすぐ長瀞へ。ふもとから宝登山頂上まで登っていくのはなかなか大変だった。山登りも最近やってなかったなぁ。でも頂上は最高の環境だ。きりっとして、陰には雪が残る気色だが、南斜面には、?梅が甘ーい香りを放っていた。風もないので、香りが強い。花も良い見ごろだった。やっぱり、たまに山に行かなきゃだめだよな。下山し、寄居のうなぎ屋に行こうとなったが、もう14時で閉まってしまった。しかたないので、鬼石の白寿の湯。ひさしぶりだが、ストレスで張ってる筋が自然に伸びていくようないい湯だ。ゆっくりしていると、もう17時半。再度八千代に電話すると、18時までの営業とか。なので、速攻で寄居まで飛ばし予約注文しておいたものを食べた。しかし、ここも高くなった。竹で4400円、その上は7,000円だ。これじゃ東京の老舗と変わらない。でも、確かに盛りはいい。たれの甘さも控えめでいい。急いで食べに来た甲斐もあった。
7日(日)
日曜日の朝はよく眠れる。ちょっと遅い朝から仕事を始め、10時過ぎにはゆきの親子が来た。13時からはアリーナでy崎さん、大さん、客人のO久保さん達市のトップクラスの連中と4人で3時間テニス。疲れたー。でも調子いい。
11日(木)
今日は祭日、でも在宅の要請もあり、相変わらず天手古舞だ。昨日ゆきの親子も帰ったので、たっぷり仕事を持って帰ってきたが、だんだん気持ち悪くなり、吐きたくなってきた。朝のコストコピザなのか、それとも奥さんがかかったノロなのか。でも明日は仕事に行かないと間に合わなくなる。こんな状況は民間ではなかったのになぁ。
13日(土)
今日は胃も回復し、疲れも取れた土曜日。朝は5時から仕事し、13時から2時間奥さんと赤城でテニス。相変わらずサーブは、いいが。ストロークが不安定だ。ラケットがはじかれる感じだ。帰り際ゆきのからラインがあり、これから家に来るとのこと。あれー、今週の水曜日に帰ったばっかりだよなー。大丈夫かな。
14日(日)
朝は、上谷で8時から今日も奥さんと1時間テニス。そのあとに、ちょうどY崎さん夫婦がやってきた。こんあことなら最初から一緒のほうがよかったかな。家で大坂の凄い試合を観戦後、まずは水城公園にてカモに餌やり。はるきは池に落ちそうでほんとに怖い。そのあとは、深谷の渋沢栄一記念館。これは酷い出来の記念館だ。近くに生家があったがこちらはゆったりいい環境で見て回れる。おじいちゃんの昔の家にそっくりの造りだ。本物そっくりのロボットもいい。しかし、500以上の起業っていったいどこまでかかわってその数になるのかな。
17日(水)
今日はゆきのの誕生日パーティーと俺の在宅勤務日が重なったので、昨日大丸でホールケーキを買って今日みんなで食べた。さやか親子も来たので、一気に人数が7人になり、寒いから狭い場所に閉じこもっているので相当な人口密度だ。しかし、3人の孫が集まると一気に騒々しい、これでまた秋にはもう一人増えるからどんなになるんだろう。
20日(土)
金・土といろいろなことが起こった。金曜日は丸、y本と門仲で久しぶりに飲み倒した。やっぱりしゃべるっていい。でも帰りは携帯忘れて大騒ぎ。PCで調べると籠原の操車場にあった。結局今日取りにいくことになった。また、病院から連絡があり、痙攣が出始め、もう胃ろうができなくなり、点滴に替えるとのこと。酔いながらも、日曜日に見舞いに行こうと話をしていた。今日は12−14時で上谷で奥さんとテニスし、とんかつ屋で飯を食い、さて大坂の決勝でも見るかという時、病院から危篤連絡があった。そしてついて間もなく18時に亡くなった。幼くして父親が亡くなり、トップで東大にも行けた学力なのに卒業後は教師として長くやってきた。やさしそうな同性の男性をっ戸籍に入れ夫とした。朝は俺達の朝練のため、5時過ぎに起きて朝食を作り、そのあと夫と自分の食事を作り、仕事に出る。自分が大学に行きたかった思いがあり、子供たちの大学進学は当然のように思っていた。夫は農家の出身で、典型的な女子は家事が本業と考える人間で、本当に遊びのない人生だったと思う。俺の海外赴任の終了を聞き、誤飲性肺炎から帰任直前に挿管、胃ろう。そして、入院生活が今日でちょうど6年だ。もう少し俺も面倒を見て上げられたら良かった。でも今、父親同様入院生活が長かったためか、大きな悲しみや混乱はまったくない。葬儀屋のやり方も親族にまったく負担をかけない。葬式は霊園の混雑により来週末以降だが、葬儀場のりっぱな部屋に一人、安らかに眠っている。
21日(日)
風もなく小春日和のいい日だった。でもやっぱりあまり外に出る気にはなれない。気乗りはしないが仕事をした。奥さんは10時から一度キャンセルしたテニスの試合に出かけ16時近くになってかえってきて、セレモニーに線香あげに行こうということでちょっと行ってきた。ゆっくりした一日だった。
23日(火)
今日は祝日。朝上谷を1時間予約していたが、こんな日に限って強風。天気予報では、7,8mだ。でも、一人で張り切って行ってきた。風が強くてサーブが入らない。今日はこれでスポーツ終了だな。あとは仕事かな。そして、午後は祭壇を作るのに恥ずかしいから、障子の穴が開いてるところを奥さんと修理した。こうゆうのも旨くいくと、なかなか楽しいもんだ。そのあとは床屋。今日のおばさんは乱暴だったなぁ。霧吹きでびしょ濡れになり襟から水が垂れてきた。
28日(日)
今日、母親の葬式が完了した。土曜日に亡くなってから今日やっぱり慌ただしい日が続いた。そして、何か重苦しい感じもしたが、今日すっきりした。まず木曜日は義理の母親が着て葬式に向け宿泊していた。金曜日にかえってみるとさやか親子がいて、土曜日は朝からそうたと遊んで午後に帰った。奥さんと川里で二時間テニスしてかえってみると、今度はゆきの親子がいた。はるきと遊んでその夜帰っていった。通夜を一緒に過ごすノリ家族は、ラインしても返信はなし、もとは帰宅が8時過ぎになるとの連絡あり、やっぱりいい加減なやつらだなぁと思った。もとの帰宅後すぐに通夜の葬儀場にいき、ふたりでスタート。べろんべろんに酔っぱらっていると、ノリから到着のれんがあり、合流して宴会再開。レノの退学合格発表もあり、盛り上がったと思ったらすでに1時近くになり慌てて帰ってねた。もとはそのあと1時間飲んでいたという。そして、今日は9時半集合で葬式が始まった。でもやっぱり、終わってみると晴れ晴れとした気分になっている。葬式ってのもいいもんだ。
今月の一枚
アメリカ大統領選
去年の秋から注目して観察してきたが、アメリカの不正選挙は恐ろしい。ついにディープな連中はその醜い姿で牙をむき、アメリカ国民を再度管理すること決意したようだ。またそのことは、東洋人の新たな悲劇を引き起こすことになるだろう。日本人は戦えるかな。