3日(木)
6月から働きづめだ。それも、これもコロナの大騒ぎのせいで在宅勤務となり、一気に仕事が遅れたせいだ。今日は疲れて定時に帰ってきた。でも、あと二週間したら4連休で広島だ。それまで体持つかなぁ。
6日(日)
土曜日は午前仕事に午後はスマッシュ。今日は朝上谷で二時間奥さんとテニス。まったくいつもと変わらずの週末だった。テニス後、羽生イオンに行き、サンダル、テニスのパンツ、などを買ってきた。何の変哲もない二日間。
11日(土)
金曜日の帰宅時にさやかからラインあり、そうたが熱出てるし、ママも来てるから狭山に泊まりにこいとのこと。週末なので、気になっていた東京駅地下街の行列寿司屋と、池袋の焼き鳥屋に行ってから、始発の西武池袋線に乗り狭山に向かった。駅を降りると道がわからない。マップで調べるとどうも反対方向に歩いているようだ。引き返すと踏切の遮断機がしまる。頭にきて遮断機を蹴飛ばしたら足の甲にあざができてしまった。なんとかたどり着き、憂さ晴らしをしてから寝たが、いつもと違うベットなので、寝つきが悪い。今日は一日調子が悪かった。それでも、14時からのスマッシュは雨が上がり続行。ほんとに疲れた一日になった。
12日(日)
朝起きると昨日の体調不良はうそのようになくなっていた。こんな回復力が俺にあったなんて。下手したら寝込むと思ってたのに。なので、8時から奥さんと上谷で1時間テニス。休みなしにやる練習なので相当疲れる。テニス後は、昼過ぎまで仕事をし、ペルー料理を食べに出かけた。今日は、伊勢崎のインカワシってお店。以外にきれいでしっかりとしたお店だった。でも15時半のせいか、俺たちの他の客はみんなペルー系の人たちだ。前に座ったカップルの女の子のスタイルは抜群!まさに胸ボーンのウェストキュンの外人体系。こんな年代のデートって楽しいだろーな。料理は、お決まりのアンティクーチョと、海鮮サラダのセビーチェ、そして止めのステーキ。やっぱりペルー料理はうまい。でも、塩を利かせすぎなんだよなー、日本人には。インカビアーで塩を薄めつつ食べたが、やっぱり量が多いよなー。
19日(土)
昨晩は、悪いよいした。今日から久々の完全休暇の4連休。しかも、庁での業務をこなした後だった。久々の大沢の上京にかこつけ、4連休前の金曜日に飲むことになった。大体こうゆう日ってのはひどい酔い方になるんだよなー。まずは、目をつけていたミャンマー料理のノングインレイ。ここは、竹虫を楽しみにしてたんだけど、輸送の関係ではいってこなくなってたらしい。欠品。あとはまあまあの料理だったかなぁ。ここですでにミャンマービールとミャンマー焼酎を開けている。次は新宿に行き、いつもの浪漫房。ここでは黒ビール。何倍飲んだか覚えてない。帰りはもちろん終電間際。朝起きたらゆきの親子がねていた。はるきはずいぶんと自由に歩けるようになったし、かわいくなった。これからは少しジーちゃんらしくふるまうかなぁ。
20日(日) 広島旅行
6時前の高崎線に乗り、ゆったりと広島行きののぞみに乗った。能登旅行以来のゴートゥートラベルにて新幹線旅行だ。今回のメインは宮島。広島までは4時間の乗車だが、土曜のテニスが適度でよかったせいか、あまりけつも痛くならず快適だった。11時半につき、まずはニュー広電に荷物を預ける。その後は初日の予定だった呉に向け、ライナーに乗った。これまた早めに並んだせいか、ゆったりと座れ快適な30分だった。呉につきまずは昼飯。ネットでみたいかにも港の人たちが立ち入りそうな森田食堂に行ってみたが4連休の二日目なのに今日はお休み。しかたなく駅のうどんのチェーン店に入ってみたが、出汁が甘すぎる。しかも高い。不満な昼食だったが、呉の大和博物館に行ってみた。800円の割には展示内容にはがっかりさせられる。でも、回天の学徒(慶大)特攻員の両親への肉声は心に刺さる。この魚雷運転して自爆するのは、ゼロ戦で突っ込むのと違ってほんと苦しかっただろーね。特攻魚雷の写真はなぜか撮る気がしなかった。しかたないので、すぐ近くの海自資料館の鉄のくじらへ。ここは無料だが、コロナ対策で客を大きく絞る。結局港で1時間弱つぶし、入り口で20分ほど待っての入場。二階は、掃海作業の展示、三階は実物の潜水艦の館内に入れるようになっている。終戦後、日本海には4000の機雷が漂っていたそうだ。その排除作業で79名が命を失った。特攻隊員、掃海作業で亡くなった人たちは、今の日本の現状に満足できるのかな?戦前は、だまされれてはいたが、もっと自立した国だったのにねぇ。呉から戻り予約してあった、繁華街の居酒屋へ。ここは魚が旨くて面白いマスターだったんだが、8700円だって。ここも高かったねぇ。なので、ホテル近くで締めのお好み焼き。散々待たされたけど、大してうまくなかった。
21日(月) 広島旅行
今日が本番の厳島神社観光。二日酔いの頭を抱え7時前に朝食を済ませ、宮島フェリー乗り場行きの市電に飛び乗った。昨日の様子でこの4連休は人手がすごく多いのはわかっていた。でもさすがに早く出発したため、フェリーやロープウェイなど、行きも帰りも最小限の待ちで済んだ。せっかくの厳島神社だが、シンボルの海の大鳥居は工事中。本殿は赤い木材と白壁で特に芸術的な見どころもない。国宝、世界遺産のポイントは歴史だけだったのかな。でも、その思いもロープウェイを降り、山頂に登った時に解消した。巨石の存在感と海の景色のすばらしさ。真っ青な空と海に多くの瀬戸内の島々がみとうせる。こっちがポイントか。ここは満足できる観光地だった。昨日の怪しい居酒屋のマスターの言うことは正しかった。帰りには満ち潮になり、神社に海水が入り込み、少しは威厳のある風景になっていた。また、御堂は人でごった返していたが、なんとかホテルのアナゴドンにありついた。そして、無事本州に帰りついたが、この後が大変。奥さんのテニスコーチのお勧めで、故郷である岩国の世界遺産の錦帯橋に行かされることに。疲れた体で山陽線に乗り、岩国駅からバスに乗り錦帯橋へ。行くだけでへとへとだった。でも、美しい橋をバックに奥さんの写真が撮れ満足。帰りは憔悴しきって19時に駅につき、それから本日宿泊予定のリンガロイヤルホテルへ市電にて移動。痛み始めていた歯茎が脈動に反応するまで悪化し。近くのそごうでやわらかい食事をとるのが精いっぱいだった。
以下錦帯橋。
22日(火) 広島旅行
今日が広島最終日。平和祈念館へ行こうと気楽に考えていたが、さすが4連休。ウェブ予約後に入館できるかとのこと。でも、ウェブ予約はすでに終了。しかたないので、平和記念公園を散歩していたら、11時代でいいならまだ整理券があるとの案内係の話。早速、整理券をもらい11時まで公園内をぶらついてから入館した。ここはもう10数年ぶりだが、やっぱり回天やゼロ戦などの特攻遺品と同じく心に突き刺さる。どっと疲れがでる。その後も公園内の記念碑など新規の建造物に入り、午後は広島城へ。ここで力尽き、歯茎も収まらなくなってきた。やっと奥さんも帰る気持ちになってくれた。なので、ホテルに預けたバッグをとり、市電で広島駅へ。あとはロキソニン飲んで心穏やかに帰宅。国内でも疲れるんだよなー、奥さんとの旅行は。
27日(日)還暦祝い
土曜日はいつものように、仕事後にスマッシュテニス。男子は3人だったので、最後は3人でタイブレークの勝ち抜き戦。一度しか勝てなかったからいいようなもの、それでもほんとに疲れる。だって相手は行田市チャンピョンのYさんと、鴻巣市チャンピョンのSさんなんだから。今日は、子供たちが還暦を祝ってくれうということで、川越のやまやに行ってきた。本田宗一郎のお気に入りってことで、確かに歴史のある高貴な料亭だ。時の鐘の近くで川越のど真ん中で広い敷地だった。こうゆうのもいいもんだなー。普段文句しか言われない子供たちに祝ったもらうのもいいもんだ。まあ、さみしい老人だからな。ほんと俺は何にもしてやれなかったのに、してもらことだけは多いよなー。そろそろお返しの計画立てなきゃなぁ。
今月の一枚
今度は孫のために
もともとこのホームページも子供の遊び場を先取りしておくために始めたがかれこれ20年になったかな。今は子供は見ることはないけど、まだつづけてる。最近、二人でどこか行くたびにあーここは孫連れてこれるところだなあなんて考えてる。今度は孫のためのホームページにしようかな。そして、また20年たったら今度はひ孫のためのホームページになるのかな。
今度は孫のために



























