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日記2020年1月

               

 

今月の一枚

元旦

別に特別な思い入れはないが、やっぱり年初は一つの区切り。毎年歳月が過ぎるのがどんどん早くなっていくのは気になるが、一年でも長く健康に過ごせるのは人の本能だろう。そしてこれも特別な理屈はないが、やっぱり孫が増えていくのはうれしいね。これも本能のひとつかな。でも増えていくに従って老いが加速していくのは本能であってほしくない。

 

1日(水) 

 ゆきのは大みそかに横須賀にいったので、元旦は今年もさやか、そうたとプンバ、夫婦で鴻神社にお参り。やっぱり、プンバとそうたは他の参拝客からも人気だ。そうたもあるけるようになったので、すごく楽になった。そして、午後3時からは恒例の宴会。今回はさやか家族、ゆきの家族と俺たちだから、結局年末メンバーにゆうちゃんを加えただけの人数だ。飲むのは、ゆうちゃんと俺だけなのにやっぱりのんじゃうんだよねー。

2日(木) 

 11時からは恒例の熊高サッカー部正月サッカー。今回も刺激的な情報満載だった。元代表の山岸選手は昨年現役引退し、指導者へ。熊高サッカー部は、二部落ちし、今年から北部支部にて戦うことに。部員117人じゃ練習メニューも大変だよね。勝つダメだけのサッカーはできないからなー。そして、雑談を楽しんでいたら、数年後輩から、うちの娘は、先輩の息子と付き合っていたんですよ発言。これにはびっくり。週末のもと帰宅時に問い詰めてみよう。午後の4時からは、元旦来れなかったノリ家族と宴会。ミヤちゃんは、ニューヨークの大学生活を満喫しているようだ。レノは、だいぶ落ち着きが出てきて大人になってきた感じ。大学の進学先も決めているようだ。まあ、みんな心配するような方向には進んでいないようだ。

3日(金) 

 ノリ達家族は一泊し、11時頃帰っていった。そのあとは冬休みで唯一、夫婦二人で過ごす日。特に予定はなかったので、歩くことにした。今日のテーマは、元荒川の下流散策と、運河との交差点の確認。元荒川沿いに歩いていくといくつもの合流があるが、その源流をたどるとやっぱり元荒川だってことがわかった。荒川は熊谷付近で東下から南下に転じるが、この際大量の伏流水をその東側に発生させ、数本の支流を含む元荒川になる。これが各地で合流している。この辺りは伏流水の川でできた環境となっている。だから元荒川はいくつもの場所で合流し、最終的に利根川の伏流水である中川に合流している。こういった中、利根川から荒川に通じる用水と元荒川はどう交差しているのかが、今回の課題。結果は見事なサイフォン方式の交差だった。まるで、用水がちょん切られているかのような交差のしかただ。でもしっかりと元荒川の下を通って横断している。これが何十年もつかわれてるんだからなかなか見事なもんだった。最後は鴻巣駅まであるき、電車で帰ってきたが、4時間、22000歩、16kmのウォーキングとなった。

4日(土) 

 案の定もとは夜中に帰って来ず、奥さんが電話してやっとコートへ出発前に家に帰ってきた。9時からs藤さんを交えて4人でテニス。sさんに打っていてもらったせいか、なぜか調子良かった。ダブルスは2勝、タイブレークシングルでは、俺に最後に負けただけ。sさんになんと二勝を挙げていた。なんか変な感じだな。やっぱり二日酔いで体調悪く睡眠不足のほうがメンタル崩れなくていいのかな。帰宅時に、またさやか、ゆきのが子供を連れてやってきた。もとのもってくる化粧品目当てだ。トランクから取り出され化粧品に女三人が群がっていた。もとはなんと今日も新宿で飲み会で、3時頃には出かけて行った。そのあとは、さぁーっと、娘二人もいなくなっていた。女ってこうなのかなぁ。確かに子供を産むと強くなるよなー。

5日(日) 

 13時から上谷でテニス。もとは、12時からと思ってたので、11時20分に行田駅に帰ってきた。また、寝不足とニンニクのひどい匂い。こんな状態でテニスするって気になるのが理解できない。まあ、軽くあしらってやるかとその時は思っていた。奥さんとの3人テニスなので、アップ後2−1で2試合。これは、思った以上に疲れた。そしてもととのシングル。疲れたのでいやな予感はしていたのだが、なんと2−6の完敗。これにはびっくりだ。これは、これまで100試合以上やってきたなかで最低の負け方だ。でも負けが込むのはいつもこの時期なんだよなぁ。テニス後は川越見舞に。年末意識が戻るんじゃないかと思ったほど調子よかった母親だが、今日は目も開けず、唾をため込んだ大口空いて寝ているだけ。もとがよびかけても何も反応なかった。そのあとは、腹が減っていたので、ぽんぽこっていううなぎ屋で夕飯。人気店だが、やっぱりたれが甘すぎる。ほんと日本人って甘しょっぱいの好きなんだよなぁ。夜は、9時頃もとが起きだしてきて、また友達んちに行くと言って出かけて行った。こっちは、月曜からまた激務だ。

11日(土) 

 正月の9連休に続き今週は3連休。日本人ってホント休日がいっぱいあるね。今日は九時からs藤さんを交えて3人テニス。そのあとの予定は何にもなし。さて何して過ごそうか。今日の午前テニスは他のコートのH川さんに来てもらいミックスと男女ダブルスの2セット。今日はs藤さんの調子が悪く、6−3で快勝。さて、テニス後家に帰ろうとするとさやかからの暇line。3連休は那珂湊に行ってアンコウでも食べようかと思っていたので、これに連れていくことになり、車がないとのことで、迎えにいくことになった。あーあ、これから狭山と那珂湊の往復かと思いきや、那珂湊の寿司屋はみんな16時くらいまで、そうたの準備でぐずぐずしていたら13時過ぎになったので、間に合わない。なので、さやかとそうたを連れ一度自宅に帰り、翌朝出発することになった。

12日(日) 

 予想通り出発は、8時半予定が9時半となった。着いたのはほぼお昼。でも風もなく、駐車場への渋滞も回避できたので、快適だった。そうたも海とたくさんの種類の魚をみて大喜び。続々と集まってくる人を見て寿司屋と買い物に焦り始めた時、すでに1時間の待時間になっていた。買い物はアンコウ、あん肝、まぐろ、他パック物多数、氷詰めの重い発砲スチロール箱を抱えて車まで運ぶ羽目になった。諦めていた寿司屋は買い物を終え行ってみたらなんと10分待ちになっていた。しかし、なんだこの変な香のウニは?光りもんはだいぶ生臭い香が!つぶ貝、すずきは鮮度よくしっかりした味だ、しらこは味しない、なんか上野アメ横の商品と中国のあやしい品物、そして本来の安くて質の良い地物が混ざっている感じ。10数年前、4年前そして今回と、確実に質が落ちてきている。このていたらくは何からくるんだろう。値札だけ見て買っていく魚の良しあしのわからない観光客が悪いのか、それとも誠意や信頼を失った業者の金もうけ主義のためなのか。これじゃ、2000年以降の中国と同じだな。買ってきたアンコウとあん肝はまったくだめだった。

13日(月) 

 年末からずっと子供や孫たちと生活してきた感のある年始。やっと二日間のさやか親子から解放された3連休の最終日は、まず行田の親戚で年末に亡くなったおじさんのお線香をあげに行ってきた。子供の頃、父親とよく行き、楽しく過ごしたところだ。あの頃は、表には大きな蛇の住む沼が、母屋西側には農機具が、西側には広大で田植えをした田んぼ、そして裏には竹藪とそれに続く川、家の二回はかやぶきの天井、一回は囲炉裏のある居間、そして土間だった台所と風呂。もう、かなり変更されているが、昔を思い出すには十分な面影が残っていた。父親が火遊びから近隣の家を全焼させたこと、俺のどろろ団子を食べさせられそうになったオジーちゃんの写真も残っていた。その俺ももう60歳になろうとしている。懐かしい―。いとこのお嫁さんは市役所勤務で、Y崎さんが中学時代からテニスがすごかったといっていた。いろいろな縁があるよねー。そのあとは、奥さんと二人でアリーナでテニス。その帰り、ゆきのより連絡があり家に来るから駅に迎えに来てくれとのこと。はるきもすっかり俺になつくようになった。夫婦も円満でいいことだ。

18日(土) 

 3連休後は、4日間の勤務の一週間だった。木曜日の対話も無事に終え、今月の六本木は明後日の月曜日を残すだけ。しかし、何か追われる感じは消えない。スピードと出来栄えの不安な気持ちを抱えながら毎日が過ぎていく。これが仕事ってものなのかも。そんなこんなで趣味の起業は、一向に手が付けられない。体力も落ちてきたもんだ。今日は、県北のベテランTシングル。昨日から頭痛があリ何か嫌な予感がしていた。そして、小雪の中、熊谷運動公園に向かったが、渋滞でやっとの思いでぎりぎりについてみると、やっている選手が少ない。急いで受付に行ってみると、ベテランはもう午前からやってますと、冷たい答え。どうも、同日開催のベテランシングルで、県北部と熊谷の大会を間違えたようだ。県北部は、いつものアリーナでやってるとのこと。何やってんだ俺。こないだの定期忘れに続き、今回は大会の会場間違え。まいった。この大会は、年齢は59歳まで。たぶん最年長のエントリーになる。こうゆう歳におれもなったということだ。夜はもとが帰ってくるらしい。奥さんは孫たちと会いたいため、今週も桶川経由で狭山へ。俺が酒を一杯飲んだ後、迎えに濃いとの連絡。しょうがないからゆきのの家に酒を買っていって、そこで飲みながら夕食。ここでは初めての夕食だ。

19日(日) 

 12時からのもととのテニスの予定だが、11時まで一向に連絡がない。10時から何回も電話してるが、返信もない。もう何回目なんだろうか、こうゆうことは。先週もきつく言ったつもりだが、何も聞いてないようだ。今回も何とか11時過ぎに電話がつながり富士見でやることになった。いくときに来るもの中で再度良い気かさえた都合上、試合も負けるわけにはいかない。そうした進行で、5−1までは軽くリードした。でも、二時間取ってあるコートなので、1時間も早く終わらせてもしかたないので、少し気が緩んだのがいけなかった。5−5まで追いつかれた。そのあと、何とか2ゲーム連取し、7−5で勝利したもののひどいゲーム展開になったもんだ。いつもこうゆう心の隙をつかれんだよなぁ。これは今後も気を付けよう。簡単な試合が何度も接戦になったり、敗戦になったりしたもんな。

25日(土) 

 先週の土曜日は食中毒の潜伏期間だった。日曜夜に電話があり、ゆきのが8回も吐き、救急車で病院に運ばれた。病院に駆け付けた奥さんも院内で猛烈な吐き気と胃痛。そしてそのままゆきのたちを乗せもせず帰宅して苦しみだした。さやかは夜中にやっぱり吐いたという。調べてみたらコストコの食材だった。土曜の夜に食べたコストコ食材が日曜日の夜に暴れだした。きょうちゃんも月曜日に熱が出て二日休んだという。俺も、対話日だったので、無理に出勤したが、惨憺たる出来だった。火曜日にも微熱は残った。これが日本か?正月明けの幸楽苑と合わせ、今月だけで二回の食中毒。ネズミだけに、今年は当たり年だね。年初から大変な目にあった。昨日は、回復して中華会。また宴会が来週3回、再来週1回と続く。今日は、奥さんと11時からアリーナでテニス後、懲りずにまたゆきの経由、さやかん家。寝起きに、俺一人部屋が部屋にいるのを発見したそたは、大泣き。20分近く泣いていた。弱いねー。ゆっくりして18時に帰宅。

26日(日) 

 今日は東松山のミックスダブルス大会。朝8時前に集合だ。昔はミックスは気が楽だったが、最近はこれでも少しプレッシャーがかかる。最近は冬鬱だし、体調も悪い。それでも何とか気を持ち直し出場してみた。結果は、優勝。最高の気分だ。予選リーグは、6−0、6−2、6−0、とカウント上は簡単に一位通過。そして、決勝トーナメントは、まずは県北で負けた荒川さん。ここにもあまり危なげなく6−2、次は2年前の決勝であたったベアにも6−3で快勝。そして決勝はスマッシュの助っ人に来てくれた偉大なプレーヤー堂本さんに6−2と快勝。今回は出場前の気分や体調とは反対に危なげなく優勝した。ほんとに勝負事って面白い。偶然やメンタルでまったく結果が変わっていく。夜はたまの優勝祝いってことで、焼肉屋に行ったが、これが今日唯一の失敗だった。やっぱり、家で飲みながら食事が最高だな。