31日(日)
あらまさ、りぶんとの宴会は中止。おかげで明日の元旦宴会の準備をたっぷりやらされた。プンバはしばらく構わないでほっといていたら、嫌がらせのためか畳の部屋に大量の糞尿をまき散らした。さあ、明日は大宴会だ。飲むぞー。今年も終わりだ。
30日(土)
朝は川越見舞、その後沙也加の家に行き、プンバと取れて花園に餅と野菜を買いに行き、夕方帰宅。今朝は起きたときがすでに八時半でなにか疲れていたが、夕方の帰宅時も凄く疲れてる。明日からの宴会3連荘は体力持つかなぁ。
29日(金)
もうすっかり社会との関りが絶たれているため、曜日がわからなかったが今日は週末だと。15日に南米に出発していらい、仕事もしてないから金曜だろうが何だろうが関係ない。てなわけで今日も吉見を予約してあり、朝向かったが、風がつよい、しかもシューズを履いてこなかった、そして奥さんは財布のありかがわからない。三重苦だったので、取りやめて灯油を買いに行ったら、灯油容器に残りが散々あるので18リッター入らないので係員に散々言われた。おまけにキャップが旨く閉まらなく灯油がもれる。帰りの車で、このボケ老人のような醜態をめぐり、口論となった。二人とも社会生活から離れてしまったからか、不安を感じたのかもしれない。そろそろ復帰しないとまずいかもね。結局今日は奥さんの携帯をバックアップできるようにして、おしまい。あと何したんだろ。
28日(木)
さやかから電話があり、どうも妊娠したようだ。俺もついにオジーちゃんかな。ばんざーい。午前中は南米旅行の写真と文書をまとめ、アップデート。そして年賀状準備。午後は児玉のごみ整理。今日は上田さんの軽トラを借り、湯っこ廃棄物処理場にごみを捨てに行ってきた。280kgだ。それから夕方ピアノの引き取りが来たがなんと1万3千円。うちの子供達のピアノでさえ、8万位したのに。
27日(水)
9時から基と赤城で2時間テニス。強風で環境悪かったが試合は6−2.これまた強いね、俺は。午後は横関酒造に行き、原酒を4本こうゆうし、秩父に挨拶回り。2本は工場、1本は千葉でお世話になったdさん。一本は元旦の顔合わせ会のため自宅へ。これで秩父への通勤は最後だ。さらば秩父。東長原を離れるほどは感慨はない。実質の退社なんだけどなー。
26日(火)
南米帰国翌日は、9時から北畠にて診察。窒素焼きしたほくろは様子見とのこと。化粧品なのか、自己判断でメラニン抜きの薬を買うようにと言われた購入したが、少し恥ずかしかった。11時からは木下がサイジング塗装の見積もりを持ってきた185こりゃ高すぎる。14時からは奥さんと赤城でテニス。さすがに体が動かない。
21−23日 イグアスの滝
ブラジルのイグアス空港に着きホテルで一泊する。朝バスで国境を越え、まずはスペイン側からの見学だ。。まずはトロッコ電車で行き止まりまで行くが、途中アメリカのお嬢さんたちと同席した。ニューヨークとワシントンにそれぞれ住んでいるそうだが、日本にも大いに興味あり、日本に来るときはうちに泊まるって。一番スリリングな絶景は悪魔の喉笛ってスポットで大水量の滝の上部から見学する。細長くえぐれた断層部の全面で滝となっているので、しぶきがすごくて川の水面が見えないだけでなく、7,80m登ってきて、シャワーを浴びているような感じ。カッパは役に立たず、服はびっしょり。1枚目の写真は、悪魔の喉笛への桟橋。まずは何でもない静かな川面を橋を伝って歩き始めるが、すでに前方にはしぶきが立ち上っている。2枚目以降は轟音とともにしぶきを噴き上げるイグアスの滝。5分でずぶ濡れになる。
2か所目のスポットはやはりアルゼンチン側の他の滝の観光スポットでトロッコ電車で半分戻ったところにある。イグアスの滝は断層のため、最大時滝の本数は270本ほどになる。観光スポットもいくつもあり広い観光地になっている。ここからの景色はまさに地下理想都市AGHARTAだ。幻想的な景色となる。このような景色の中1.5q位を桟橋で周遊する。昼はアルゼンチン牛のステーキレストラン。結局イグアスでは昼夜はすべてステーキになったが、なぜか食べ続けられる。肉が旨いからだ。この辺りは血抜きをせずそのまま焼くという。
午後は、オプショナルツアーで、ボートでの滝見学だ。これも迫力がありすぎだ。滝つぼ付近にボートは突っ込み、水しぶきというよりは跳ね返りの水流がそのままボートに流れ込んでくる。ここでもカッパは役に立たない。善心びしょぬれだ。温暖な気候とはいえ、水は冷たかったぁー。修羅場の滝つぼ付近では、あまりの水しぶきにカメラはしまうようにとのアナウンスがある。このため、水浴びのシーンは取れなかったのが残念だ。この日の夕食もステーキだった。このおかげで風邪ひかなかったのかも。
翌日は、ブラジル側からの観光となる。まずは朝散歩では、道路向かえのホテルの動物園に行ってきた。ここは珍しい南米の鳥や猿が飼育されているが、係員が出てきて、オウムを手乗りさせてくれ、子供をわざわざ見せるために出してきてくれた。ブラジル側からのイグアスの滝は、パノラマを楽しむように工夫された観光道を歩くが、やはり、また。一部のスポットでは、滝つぼ近くを歩くため、ここでも再度ずぶ濡れ。これにはまいった。この日は帰国便に乗る日なんだけど。写真を見ると結局は滝付近の写真がおおい。やっぱり迫力がイグアスの魅力なんだろーね。
18−19日 クスコとマチュピチュ
リマから飛行機でクスコに飛ぶ、この町で半日観光してからマチュピチュだ。あとで知ったがインカの町は動物のかたちにデザインされている。クスコはピューマ、マチュピチュはコンドルだ。2枚目は町の写真だが、山の急な斜面にまでびっしりと家が建てられている。金属はあえて積極的に使用しないが、石組の技術や街のデザイン、水道やインカ道などのインフラなど、この文化は西洋との方向性は違うが非常に高度な文明だ。金属ー石、小麦ー豆、直線ー曲線など、西洋とのの対比は面白い。5枚目が12角柱の石だ。このままのかたちで中に2m程伸び、同じように組み合わされている。4枚目の接続構造を持つ石の連結部分には金属が鋳込まれ連結を補強している。クスコ観光後はバスに乗り4000mクラスの高原を超え、マチュピチュへの高原鉄道にのる。ここも急な山に囲まれた駅だけど、その先の路線もやはり、高い山に囲まれている。
マチュピチュ村には夜に着いた。宿泊は、エルマピというフランス系のホテル。食事、家具、サービス、音楽などすべていいセンスの中級ホテルだった。リマのホテルとは大違い。メインイヴェントのこの地にふさわしいホテルだ。この町は、切り立った4000m級の山に囲まれている。ここにいるだけでも何か神聖なものを感じる。学校のグランドではリズムの早いダンスミュージックで奥さん連中がエアロビクスらしきものをやっていた。みんな太っているがぴちぴちの大夫をはいていた。雑貨屋に入ると地元の人が日頃購入する食材が置いてあったが、レジ近くではコカの乾燥葉が袋詰めで売っていた。値段は確か1ドル以下。少し噛んで見たがあまり変化なし、思い切って多くをほうばって噛んでみたが、少し幸せ感がある程度。通関で大変なことになるので捨ててきた。
さて、マチュピチュに向けてバスに乗り、断崖の道をジグザクに登っていくと、四方を切り立った4000m級の山に隠れていたマチュピチュが現れた。このロケーションあってのマチュピチュだ。遺跡だけではウェブで見るいつものマチュピチュだが、この周りの状況あってのものだ。切り離すことはできない。
1枚目は太陽の神殿とその下は地下の神殿。夏至冬至の日の出の光線が窓を通過していく。下の地下の神殿は不思議な斜め屋根と3段ステップの石。興味深い。2枚目は最も神聖な神殿で神、人間、死者の3つの窓がインカの起源の象徴だ。3枚目はコンドルの神殿。わかりずらいが、岩でコンドルを形作っている。ここで死者をコンドルに食べてもらい空に返す。4,5枚名は段々畑とその用水路。この尾根に水を引いてくることさえ神業だが、これをきっちり各段の畑に給水する。今での使用可能の給水構だ。さすが石の高度文明だ。
昼食後は大雨になった。奥さんはこんな雨でもインカ道を歩くと言い張る。他のツアー客二人も参加し、心配したガイドと5人で危険なインカ橋への道を雨の中進んだ。しかし、1000m近い断崖を岩にへばりつくような道が細くくっついてる。これは怖い。二ついて落ちたら完全に命はない。橋の手前には門があり、通行禁止となっている。この先は、更に細い道が断崖にへばりつき、マチュピチュ山頂に向かっている。
16−17日 リマからナスカ
羽田発20時でのJAL便はプレミアムエコノミーにした。このため羽田のさくらラウンジが利用でき、仕事を終えたばかりの夜だったためか酒を馬鹿飲みした。しかしプレミアムエコノミーってのはビジネスとそれほどサービスは変わらないのに値段は安い。9時間以上のフライトはこれは必須になりそうだ。経由は、サンフランシスコ、ロス、そしてやっと着いたのは時差で大幅に戻ったリマの朝だった。丸一日以上だ。早速リマでは征服者スペインの教会関連を見学した。アルマス広場、サンフランシスコ教会、カテドラル、大統領府、旧市街など。寝すぎでそれほど疲れてはいなかったがあまり感動のない観光となった。まあ他がすごかったからか。下写真は、サンフランシスコ教会、カテドラル、アルマス広場と大統領府、そして旧市街。こてこてのスペイン教会とその豪華な建築様式は、市内いたるところに点在している。スペインより強い宗教色と豪華ささ。さすがにインカの金をふんだんに輸出した基地都市だ。しかし、征服以前の原住ペルー人には非常に評判が悪い。まあ当時はどの先進国も強盗団と同じことやってたからね。4番目の写真はアルマス広場の噴水口の彫刻だが、南米の怪獣にスペインの獅子が覆いかぶさってる。スペインによる征服の象徴が市の中心部の噴水に飾られている。6番目の写真は、市内にあるワカ プクヤーナ遺跡だ。紀元後500年位のもの。最近はクスコ、マチュピチュ同様、遺跡への外国人の立ち入りが厳しくなってきたらしい。
ナスカにはバスで行くが、とちゅはほぼ砂漠と海だ。ここ南米大陸の西海岸も還流が北上するので、乾燥した砂漠地帯になる。しかし、1枚目の写真のように、ところところにオアシスがあり、その周囲には広大なブドウ園やそのた果樹、野菜のプラントとなっている。これだから、水源を見つけ畑に引いてくることが最大の商売のポイントになる。2枚目は砂漠にあるオアシスで池と砂山の対比がすごく、観光地になっている。地上絵をみるために、今回はオアシス所在地のイカの街の空港からセスナに乗った。前説でも言われていたが、やっぱり地上絵は見難いし、小さい。見えてる時間もわずかなのでカメラを構えることもできない。それでも取った写真にはだいたい小さく映ってる。4枚目が山の斜面の宇宙人、5枚目の真ん中あたりに猿がある。大きくとるのはまず無理。この写真も拡大しないとわからない。右サイドが拡大写真。地上絵の意味はやはり水源の活性化への祈りだろう。ハチドリが山に出ると川の水量が増える。コウノトリが山に向かうと水量が増えるなど。古くからの言い伝えに従った絵だ。
![]()
26日(火)
研修二日目の15日から昨日25日まで南米旅行に行ってきた。ペルー、ブラジル、アルゼンチンを回る旅行で乗った飛行機の便数は9便となる。奇数なのはナスカの地上絵でのセスナ遊覧だ。さすが地球の反対、移動だけで大変なパック旅行になったが、ナスカ、クスコ、マチュピチュ、イグアスの滝と盛りだくさんで充実した旅行だったなー。でも、これだけのあこがれの旅行先で多くの刺激を受けるが、これが日常となるので、一つ一つの印象が薄くなる。何かもったいない感じ。それと、パック旅行は安くて楽なんだけど、詰め込み過ぎの感がある。これも薄くなる原因の一つかな。でも、濃くするには日数をかけなきゃいけないから、無理だし高くなるしねぇー。しかし、俺たち夫婦はこれだけ一緒にずっといても喧嘩もしない。どこでも言われるけど、こんな仲のいい夫婦って他にあるんだろうーか。下写真は順に、リマのサンフランシスコ教会の正門、ナスカのセスナ離陸時、クスコの12各石組み、お約束のマチュピチュの構図、イグアスの滝アルゼンチン側とボートでの滝浴びオプション。どれも凄かった。それでは、各イベント先での詳細レポを・・・
13日(水)
今年の出勤最終日の15時、やっと出向の内示がでた。こちらは、明日から出向先での研修が二日間、そしてその夜南米行きのフライトなので気が気じゃなかったが、何とか間に合った。しかし、入社以来いろいろな場所で仕事し、好きなことを思い通りやってきた。もう大きな会社の組織には思い残すことはない。ここ秩父の職場では工場みんなにお世話になったので、最後がここでよかtった。結局年末に記念品をもらうなどで、もう一度行くことになったので、大吟醸でも買ってあいさつに回ろう。
9日(土)
川越見舞の後のスマッシュテニスは今日は調子がいい。山崎、須藤の他今日は大澤さんがいていたが、まず大沢さんと組んで6−4、山崎さんと組んで6−4、須藤さんと組んで2−6.サーブ時にラケットヘッドを下げ、そこで返すことができるようになったことで、自然なムチ力が生まれ、サーブに伸びが出たようだ。テニス後は、吹上の一関で宴会。家庭的な雰囲気のある店で2時間くらい散々のんで二人で5千円強だ。ここは常連になりたい店だ。安い家庭料理でいい。リブんは病気療養中とのこと、あと一年で良くなるだろう。
8日(金)
週末は、午後年休をとり、東永原忘年会で、東京日本橋の吉兆屋に行ってきた。純子ちゃんから本社総務を通して連絡があってから、二か月ぶりくらいかな。少し心配だったが久々の純子ちゃんは元気で普通の生活を送っているようだった。昔の話で盛り上がったが、相変わらず現状の詳細は不明なままだ。まあ、来年温かくなってからもう一度やり少しづつ解明していこうか。
6日(水)
週の中日で暇だったので、年休にし、基と吉見でシングルス。結果は6−1,4−0.ここんところスコアーは、いつもこんなもんだな。今日はトップスピンの選手には有利なクレーコートだったけど、こんなもんだな。
3日(日)
一昨日はあらまさから電話があり、年末会うことになった。昨日はりぶんから電話があり、来週末に会うことになった。先月は東長原の純子ちゃんから連絡があり、来週末に高野と忘年会だ。今年になり、熊高正月サッカーからの安徳への訪問や大学OBサッカーへの参加、阪大の洋二との飲み会や札幌の山崎との宴会など、昔の友達との再会の機会が格段に増えた。俺自身帰任後家族とのこともひと段落だし、その他メンバーも50代後半ってなにか、第二の社会人生に向けてのぽっかり時間の空く年代なんだろーね。今後の社会生活も楽しみだよなー。さて、今日は児玉の片づけの後は秩父夜祭だ。午後3時過ぎに児玉を出発し、皆野経由で秩父に入り、西小学校に駐車する。ここからは、バスを使わずに祭りの会場に歩いていける。あっさりと秩父入場、駐車できたが、四時過ぎに祭りの会場に着くと、大通りは身動きができないほどの混雑だった。今年は日曜がクライマックスに当たったため、相当な混雑とのことだった。今回は芝居関係もみたかったので、八尾の駐車場に向かい芝居会場に着いたが、ここも相当な混みようだ。何か子供中心の見世物だったのか、太鼓も子供中心、歌舞伎も子供中心のものだった。残念な内容だが、まあ大人がやっても同じようなもんだろーな。しかし、山車は相変わらず豪華そのもの、一台の垂れ幕だけで、数千万円とのこと。昼見ると確かに素晴らしい。この祭りは高校生のころと、今から20年前くらいと3ん回目となるが、やはり、印象にあるのは、山車と引手の迫力だった。だから、よくこの祭りでは死人がでていた。今はもうこういった迫力は望むべくもない。日本全体の傾向だろうか。夕食は大通りでわらじカツを食べたが、臨時のアルバイトの対応も、カツの大きさも味もひどいもんだった。こういったことをしっかり管理していくともう少し観光の活気が出てくるんだろうけどね。待ちので店で買ったかん酒は350円、500円と同じワンカップでも値段がまちまちだったが、武甲ので店なら150円だった。こっちにするべきだったなー。翌日の月曜日は、本社eさんと秩父駅前の車屋でお別れ会、二日続けての酒盛りとなった。
![]()
1日(金)
きょうは半日年休にして、北畠皮膚科に行ってきた。前回の脂漏性何とかはかなりなくなった。欲をかいて、その上にあるシミも低温で焼けるのかと聞いたら、やってみましょうと言われ、前回のものと合わせまた焼いた。次回は一か月後になるが、それまでには綺麗になっていそうだ。しかし、できものって簡単に取れるんだね。
今月の一枚
東松山ミックス優勝
また二年ぶりの快挙だ。いままでなかなか勝てなかった東松山の大会だが、なんと昨年4位から一気に今年は優勝へと駆け上った。東松山の大物ペアをすべてなぎ倒しての優勝なので自身もついた。ミックスに関しては、行田一般、鴻巣100歳以上、そして今回の東松山100歳以上と近隣3都市を制覇した。次は、シニアシングルの優勝を目標にするが、まだ仕事を毎日やってるくらいではなかなか勝てない。やはり60以上になり事業を起こし自分で経営して週3回位テニスが練習できるようになれば、きっと勝てるようになるだろう。