26日(日)
昨日はいつもの見舞い、テニスの後、丸山の提案で北大0B4人で赤羽で飲むことに。行きの電車では、退屈しのぎにポットに焼酎一刻者のお湯割りを入れ、飲みながら他の客に嫌がられながら赤羽に到着。このときすでに頭はくらくら。そして、焼き鳥屋とバー二件をはしごし、帰宅の電車は、九時半くらい。11時近くの帰宅となったが、なぜか酒が残りのどから食堂にかけて違和感があった。この状態で家を7時20分に出て東松山テニスコートに到着。今日は奥さんと出るミックスダブルスだ。酒が残っていたせいか、リーグ初戦で負けたが、1,2位が抜けられるトーナメントだったので、なんとか切り抜けた。そして、トーナメントは、接戦の連続、東松山の有名選手を僅差、6−4、6−5で打ち負かし、決勝は難なく、6−2で完勝した。俺ってすごい、ミックスはこれで、行田、鴻巣、東松山すべて優勝した。今後はシニアのシングル優勝をめざそう。
24日(金) 西伊豆と箱根
祭日の木曜日と翌日を年休にし、西伊豆に一泊で行ってきた。25年ぶりの西伊豆だが、ここはいまだに来る価値のあるところだ。海岸沿いの景色や温泉など見どころはたくさんあるが、やっぱり一番は、海女さんや漁師など魚のことをよく知ってる方がやってる民宿での魚料理だ。何気なく出してくれるその魚料理は大規模なホテルの決まりきったメニューではなく、地元の人が季節ごとに感じる素材のうまさをよく引き出している。やっぱり、地のものをその地で食べるのは最高だ。それにしても今回は大荒れの季節に来たので、潮がかなり離れた駐車場まで容赦なく降ってくる。この地では、新車は変えないとのことだが、すでに塩の結晶がボディーやガラスに一面に発生してしまった今年買った俺の車も、錆が発生しないように洗浄しとかないとな。圏央道を通り、東名沼津から南下し修善寺から海岸沿いに向かう経路は快適だった。前日からの雨も昼には止み、西伊豆の綺麗な海岸線の景色を見せてくれた。下写真右は、恋人岬だ。海岸線の先には雪をかぶったばかりの綺麗な富士山がくっくり見えた。しかし、この歳で恋人岬ってのもなんだが。三枚目は、黄金崎公園。ここはまあ、そこそこってな感じかな。右写真は、堂ケ島。ここでは、遊覧船からの岩場捲りを考えていたが、大しけで中止となった。すごい荒れようだ。風速は30mくらい。潮が駐車場まで飛んできていて、ちょっと車をおいただけで、フロントガラスかボディーまで塩の結晶がびっしりついていた。しかし、こんななか、奥さんは平気で危険な岩場の道をずんずん進んでいく。
左写真は、天窓洞。岩場の洞窟の天上部分が丸く抜けているところ。ここは船で回るはずだったんだが。二枚目からは、堂ヶ島の町営露天風呂。民宿の人は大しけだから今日は中止かなって言ってたけど、何とか営業中。客は俺たちだけ。岸壁の上にある露天風呂だったので、風が容赦なく吹き込んでくる。建物が倒れるんじゃないかと心配だった。しかし、独り占めの露天風呂で波の砕ける音と、強風の中、夕焼けを見るのも何かおつなものだ。
民宿の魚料理は最高だ。メインのキンキの煮つけ、刺身盛り合わせ、カサゴの姿揚げなどどれも旨い。朝飯も当然魚づくし。一年に一度は味わいたいね。
修善寺は、25年ぶりだろうか。もう記憶の中のものとはすっかり変わってしまった。この露天風呂には入れないよね。昔はまだ入れたのに。修善寺では、秋の特別公開で裏の庭園の公開をやっていた。まあ200円の価値そのものかな。各地の温泉はそれぞれ顧客獲得に苦労している中、ここの努力は少し足りないかな。客室、景観など、将来が少し心配だな。
箱根彫刻の森美術館は、予想外によかった。寒い日だったので、屋外の散策はきついかなと思ってたけど、展示物はいいし、屋内外ともによく考えられた興味を引き付けづづける場所だった。誰かは知らないけど、いい趣味してるよなー。日本でこれを始めるのは大変だったろーなー。フジテレビで儲かってるのかな。ピカソ館も含め、展示物の購入価格だけで相当なもんだろーな。でも、今後数世紀、人々を引き付け続けるだろーな。最後の写真は景色のいい高台からの富士山写真。でも、あの迫力は写真ではうまく表現できないよねー。
19日(日)
吉見のハードを予約していて、10時頃やりにったが、風が強い。ここは川原のコートなので、普段の場所の2倍風が吹く。しかたないので、近くの広場でやっていた道犬の大会を見てきた。道犬っていう犬の種類があったんだなー。雑種と変わらないような気もするが、やはり気が強くて白が多い。そのあとは富士見に行って一時間やってきた。そして、児玉に行き室内の片づけを開始した。以外に換金できるものはないもんだ。これから半年くらいは続くだろーな。片づけ後は、児玉の償却場にあるゆっこの湯にて風呂に入ったが、こうゆう旧式であまり以後ごちの良くない温泉センターってまだあるんだなーって感じのところ。45分で上がり、大泉町のペルー料理やのカプリッチョへ。初めてのペルー料理だが、旨い!豆類なんで初めて食べるものばかり。スパイシーて酸味が強く効いている、タイ料理に近いかな。でも、塩っけは強いね。来月のペルー料理が楽しみだ。下写真が大泉に3件あるペルー料理やさんの一軒でカプリッチョ。レストランの隣の部屋では。ペルー食材を販売している。デザート類も店頭販売していて、帰りにサービスで一つくれた。日曜日の19時頃だったが、お客は外国人四人組が二組ほどだった。でも、俺たちが食事をしている間に、もう二組ほどやってきた。アルコールはペルーのゴールデンビア一種類のみ。ハノイビアと近い味だった。料理は、牛ハツの串焼きと豆とエビのサラダ、そして海産物のチャーハンらしきものを注文したが、どれもスパイシーでおいしい。一皿が3人分あるので、二人で3皿は大変だった。オーダーしたときに驚いたような顔をしたので多い?聞いたら、うなずいていた。ちなみに日本語は片言ってな感じ。来月ペルー行くよって言ったら、いいなー、僕もまだ行ったことないっていっていた。豆類はまだ食べたことがないもので、凄くいい。こういった食材をふんだんにしかも、味わったことのない調味料で食べる本場のペルー料理はホントに楽しみだ。
18日(土)
川越見舞にはノリとレノも来ていた。今日は市原でサッカーの日だったので、ノリに代わりに行ってくれないかといったらしいのだが思い出せない。最近ほんとにこうゆうのが増えてきた。そのあとは食事せずにさやかの家に行き、奥さんが札幌から郵送した魚類を持ち帰った。帰りは急いだが、やはり二時のスマッシュには間に合わず、少し遅れる。今日は、山崎さん、金森さん、そしてそこに佐向さんが加わったもんだから、別次元のテニスだ。これには驚いた。すべての組み合わせになるようにメンバーを変えたが、一勝もできなかったのは当然俺だけ。少しみじめだ。明日は吉見を予約し、そのあとは、ペルー料理を食べに大泉に行くことにする。市原のサッカーは風邪のため欠席にした。
16日(木)
左頬のほくろが急に大きくなってきたのではとの奥さんの話から、昨日は皮膚科に行ってきた。予約時に一番早い時間といったら、なんと8時から診察してくれた。診察結果は、脂漏性なんとかといういわゆるいぼの一種。また窒素で焼き切ることになった。一日暇になったので、午前は基と赤城で10−12時。6−0、6−3の干渉。午後はまた赤城で15−16時で奥さんと6−5で辛勝。この年になって午前と午後に分け3セットもやったの初めてだ。さすがに体力を消耗したか、鼻水が止まらず熱っぽくなったので、酒屋でいい日本酒を買い、飲みながらすみいちにてホルモンを食べた。おかげで今日はすっきりだが、異様に眠い。明日も秩父に出勤で明後日は千葉でサッカーだ。でも、雨になりそうだから、やめようかなー。
12日(日)
昨日はスマッシュテニスから帰って休んでいたらしばらくするとゆきのが前触れもなくやってきた。部屋のかたずけでもするのかと思いきや、動く様子もない。夕方になり、髪きりに行くから送ってくれと言われ。一時間もすると迎えに来てとのこと。結局蕎麦屋でご飯を食べてテレビを見て寝て、今日の昼に帰っていった。何しに来たのか不明。相変わらずだ。今日は、団体戦。前年度優勝なので、第一シード、11時半に集合し、一回戦で埼大体育会系のチームに2−3で敗れた。おまけにコンソレーションで当たったアズーリには、1−4の完敗。埼大のチームは優勝したので、なんとかメンツは保ったが、不幸な一日だった。でも、埼大チームには、俺のダブルスは6−1の完勝だ。これが、唯一の救い。ちなみに女子チームは今年も優勝。また、家での会話がつらい。
11日(土)
一昨日は、出張前に基と吉見に行き、テニス&サッカーの予定だったが、風が強くテニスは中断。サッカーだけ少しやって、熊本出張で宴会。昨日の出張は最後となったが、なんとか収まってよかった。羽田に夕方に着き、そのまま基が予約した川崎のなっぱjucyって店に向かい、二日連続の飲み放題宴会。ノリとサイラと4人で22時までしゃべっていた。ペルー話もたんまり聞いたがあまり記憶に残ってない。まあ後でもう一回聞くか。
6日(月)
昨日の山登りに引き続き、夕方からスポーツ。基と上谷で6−2,4−0.まだ俺は強いぞ。そのあとは、ボール蹴り。サッカーは完全に忘れてしまったようだ。体が動かないし、神経もついて行ってない。これは、復活は難しいな。しかし、もうサッカーボールの空気抜けてたけど、パンクじゃないような。
5日(日)
昨日は、見舞い、スマッシュテニスといつもの土曜日。今朝は5時前に起きて両神山登山だ。白泰山に引き続き山のすばらしさを味わうことができるトレッキングとなった。奥秩父の山々は、神聖さを感じる。伊勢や熊野で感じるのと同じ感覚だ。植生、地形、自然の保存状況と手入れ、歴史など、何か共通点がある気がする。両神はいいやまだった。盛りを過ぎたが紅葉も良かったし、切り立った岩肌もいい。13時には登山口に戻り、道の駅で旨いそばを食べ、実家に行き、桜の木の剪定状況を確認した。実家にいたら、田淵先生の息子さん夫婦がきて、転居のことなど放したが、息子さんは、熊高のサッカー顧問だそうだ。やはり世間は狭い。今回はあまりハードな登山は避け、最短ルートの白井差から登った。しかし、登山口に向かう道路も紅葉で綺麗だ。途中の丸神の滝は、片道20分だったので、パスし、八時前にスタートした。まずは、沢の渡り返しコース。神秘的な綺麗な沢のふちを上っていく。
登りはじめから見上げる岩山は恐ろしく高い。これが山頂かと思っていたら、もっとずっと高いところが山頂だった。沢のコースが終わるとブナなどの原生林の急坂のコースとなる。短時間のコースだが、ここはかなりきつい。そして、山頂へ。
山頂は狭い。ここで弁当を食べる雰囲気はない。しかし、景色は最高だ。富士山を先頭に、南東から右回りに南アルプス、八ヶ岳、北アルプス、浅間、そして群馬の山々。ここからの展望は最高だ。
3日(金)
昨日は上野の国立科学博物館にて開催されている特別展のアンデス文明展に行ってきた。他の古代文明同様B?3000年からの社会や宗教儀式の成立、そして、他の地域との交流や戦争、インか帝国統一と西洋による植民地化と進め。この中で各時代では独自の芸術や生活が芽生えていく。BC1500年位からの神の偶像や焼き物の模様、そして紀元後300年からの高い精錬技術とその工芸品の質の高さは、他の文明と違いが出るところだ。しかし、南米への人類の移動は、たった二万数千年前とのことだが、この中で大陸と同様な文化の進展があるのは面白い。下写真の右三枚は、アンデス文明初期〜BC500年位までの発掘品。非常に原始的で宗教色が濃い。神の顔も原始的だ。
下写真は、中期〜AD1000年位まで、精錬技術が進み、見事な工芸品が現れる。右写真は純度の高い金で作られている。
後期インカ帝国まで、洗練された工芸品だ。最後は赤羽の古い酒場街で一杯。
今月の一枚
アンデス文明
いつも旅行後に興味を持ってしまい、その地域の歴史や風土を調べていた。12月のペルー旅行に向け、今回はアンデス文明展が開催されていたので、行ってきた。インカ帝国は14世紀の成立なので、他の古代文明に比べ古くなくあまり興味を持っていなかったが、アンデス文明という範囲にすれば、やはり他の古代文明同様紀元前3000ねんからとなり、工芸品の芸術性は興味深いし、なんといっても、金の装飾品や生贄の伝統には興味がわく。