30日(水)
もう8時になるというのに、誰もかえってこない。奥さん娘たちは、宴会。基はバイトか。せっかく俺が家に居るんだから早く帰って来いよ!なんか歳とったな。
29日(火)
jmacにて新規事業開発のセミナーを受講した。やはり新しい仕事はこうゆう心強いアドバイスが必要だ。それにしても、成功率は2/50とは。きつい世界だ。
27日(日)
期待していた25日の誕生日は、長女がお客さんからもらったというビール券のみ。ここ数年で一番残念な誕生日だ。ベトナムでは、夜のパーティーがないときは就業中の事務所で祝ってもらっていたのに・・・。こっちはなんでこんなに冷たいんだ。昨日は、母の見舞いのあとは、東京駅付近で歯医者に行ったが、料金の240円に見合った治療で、5分で終わった。往復の電車賃のほうがよっぽと高いじゃないか。そして、今日は羽生でシングルの試合。基といったが二人とも一回戦負け。これが続くと出る気がなくなっちゃうんだ。次回もめげずに出よう。ちなみに奥さんも初戦敗退後、コンソレで優勝。さやかもバトミントンの大会に出場してリーグ最下位とのこと。ダメ家族もここまでくると・・・
23日(水) 山陰旅行三日目
最終日もホテルのブッフェで腹いっぱいにし、再度鳥取砂丘に向かうことになった。長女の今回の旅行のお目当ては、ラクダに乗ることだ。でも、混んでいたため、乗れるのは子供だけ。大人な写真撮影だけだった。しかし、砂漠というには狭すぎる。鳥取コナン空港の半分くらいの面積だろうか。しかし、この砂山はどうやってできたんだろうか。
倉吉までの戻りの途中には、因幡の白兎神社があった。ここには、ウサギが体を真水で洗ったという池と神社があり、日本書記にも明記されているという。体を洗うには汚い水の池だったな。
倉吉では、白壁の良く保存された一角が観光地となっている。ここも大きな観光地ではないが、多くの人が歩いていた。ここの造り酒屋、高田酒造では、そばも出していた。このそばと日本酒はほんとによく合う。最高の旅のしめくくりだった。
22日(火) 山陰旅行二日目
美味い朝食ブッフェをしこたま詰め込んだ直後出雲大社方面へ向かった。まずは、松江から数キロ南下した場所にある足立美術館だ。ここは、この地方の実業家が作った庭園と、横山大観を中心とした絵画、魯山人の陶芸が展示してあるところで、庭園は外国人からナンバーワンの評価を受けている。庭園は、確かに美しいが京都の庭園と日本の三大庭園を足して二で割ったという趣だ。確かに外国人には受けそう。絵画は横山大観がなければコレクションにはならない。陶芸も魯山人のものだけ。入場料が二千円以上なので、何か満足感がない。まあ、商売人が作ったものだからねー。そして、また高速に乗り、出雲大社へ。ここは、おそらく日本最古の神社だ。伊勢神宮の徹底した整備はないが、やはり思い歴史を感じさせる。
大きなしめ縄だ。これが、神の領域を示すものだとはここで初めて知った。屋根上のXは、古代建築での梁の屋根からの飛び出しを表現したもの。この飛び出しをそのままにすると雨水がしみこみ劣化が進むそうだ。だから、象徴的にこのXだけを上に載せている。そしてxの間の棒は、屋根の重しだそうだ。これが奇数なら男神、偶数なら女神が祭られているという。ここの博物館の管理員がいろいろ教えてくれた。やっぱりこうゆう人には積極的に説明を受けたい。それにしてもすごい厚みの茅葺だね。
ここは拝殿だが、しめ縄が一層大きくなる。これどうやって作るんだろー?そして、また移動。宍道湖の東にある中海の北端にある境港はゲゲゲの鬼太郎一色だ。観光紹介では、ストリートと書いてあるが、町全体が鬼太郎に登場する妖怪に占領されている。電車も。
左写真が作者の水木しげるの像。「なまけものになりなさい」と書いてある。そして、このストリートには道のいたるところに妖怪の像が作られている。これはいいまちおこしだ。かなり広い年代層に受ける企画。そして、そのあとは、近くの皆生温泉へ。ここもやっぱり温泉病院のある由緒あるはずの温泉地なんだが、なぜか三朝温泉に比べると品がない。夜街を歩くとキャバレーやソープの呼び込みが激しい。ホテルから紹介を受けた海鮮の店(右写真)はこんな一角にあった。満席でホテルで時間をつぶしてから再度入って食べ始めたが、なんせ一品の量が少ない。やっぱり山陰の海岸なので、うまいがなぜか満足できない店だった。やっぱり品のない回りの店の影響受けてんのかな。
21日(月) 山陰旅行初日
これまで縁の薄かった山陰地方。この5連休のシルバーウィークを利用して、鳥取と島根に妻と長女で行ってきた。期待以上にいい旅行だった。優しい自然と人、そして古い歴史や特徴のある文化。もう一度行ってみてもいいと感じる旅行になった。始発の高崎線に乗り、新幹線で姫路、まずは、乗り継ぎの20分間で姫路城を見てくることにした。建築様式の独創性や置物の芸術性に特徴のある城なので、遠くから見ただけでは良さはさっぱりわからなかった。そして特急で2時間かけて倉吉に行く。姫路からほんの少し内陸に入ると写真のような田舎風景になる。魅力的な地域だ。まだ1時前なので、十分に観光地に行ける余裕がある。まずは、以外に知られていないけど、スリルがあり、実際に危険な修行の山出寺、三徳山へ。ここは、山の中の険しい山で、以前は本当に修行僧だけの山だったんだろう。今では観光地なのに安全対策がなされていない。毎週滑落のため負傷者が発生しているし、毎年のように死亡者も発生しているという。長女の短パンは強制的に長ズボンに変えさせられ、妻の靴は草鞋を購入履き替えさせられた。
三徳山で入場料の400円を払い、石段を登るとそこからは危険なアドベンチャーワールド。まずは樹齢400年の大きな杉が迎えてくれる。そして、根っこがはりめぐされて、滑りやすくひっかかりやすい急な坂。
最初のお堂の手前は一本鎖のついた岩を登らなきゃならない。ここがネックで2時間くらい待たされた。そりゃ、年寄や子供は無理だよな。そして、その上のお堂の床の下は絶壁なのに、なんの安全柵もついていない。こりゃこわい。
こんな岩の面を利用していくつもお堂が建てられている。ちなみに、最後のお堂は僧が念術により平地からこの岩の穴に一気に放り込んだと記録されており、投入堂と名前がついている。しかし、つまずきや滑りやすい危険な修行の道だった。おかげで両膝を打ちつけ、腰を打ち、旅館に戻った時には体はボロボロになっていた。
旅館は三朝温泉の旅館にした。近くの川には無料の露天風呂もある。料理はいいし、ラジウム温泉の効能は最高。(温泉病院のある温泉地だ) 朝起きるとけがはよくなっていて元気も戻っていた。
20日(日)
自分で連絡をつけ、大沢と桃太郎がうちに来て飲んだ。5時過ぎから1時前まで延々飲み続けた。やっぱり久しぶりにこうゆう気を使わない仲間と飲むのは最高だ。学生時代から30年。それぞれいろいろな重大なことがあり、それなりに重みもついてきた。こんな飲み語りはほんとに楽しい。でも、どうやら俺がずっとしゃべり続けていたようだ。
16日(水)
久々の本社出張と午後の商社打ち合わせの3時間の空き時間を使い、浅草に行ってきた。浅草寺は何も変わっていなかったが、スカイツリーは、初めてだった。
13日(日)
午前から初めてのテニスオフ会に参加してみた。総勢6名で2面。これで4時間シングルスを回していく。これは50台半ばの体には辛い。それでも、何とか3試合をこなし2勝1敗。、あと一時間半を残して早めにかえって来た。いちよう勝ち越しなので、気分はいいが、これを4時間は続けられないな。でも参加メンバーは、年齢層もうまさもそこそこでこれは気に入った。これからも利用しよう。このあと、西武川越病院に見舞いにいったが、母親は眠っておりおきてくれないので、かえってきた。奥さんはアリーナで試合、ベスト4まで残ったとのこと、県外の強豪に負けたとのことなので、これも悔いはないだろう。これを迎えにしろと向かい、一時間半をアリーナ散歩した。相変わらず蚊が凄い。しかも凶暴だ。帰るとさやかが料理を作ってくれていた。味のほうはまあ、これからだな。
12日(土)
もう何週目だろうか?今日も川越にお見舞い、そしてスマッシュテニスだ。お見舞い後は、川越で人気抜群とのうわさのうどん屋。藤店うどんに行ってきた。行く途中に少し駐車場をみたら、開店間際の10時にすでにいっぱいで、待っている人がいた。半分あきらめかけて見舞い後に行ってみると。店から離れた第二駐車場もほぼ満車だ。いつもなら帰るところだけど、今日は手打ちうどんの実演が非常に自然でよかったので、6組町の中入ってみた。一番人気の肉うどんの中盛りを頼んだが、太く高密度に練られたうどんは、かなり食べごたえがある。大盛を食べる人は、後で胃がもたれるだろう。汁もうまいし、面もいいが、麺が太くて長すぎる。割りばしが重さで折れそうになるくらいだ。だから、汁の味は最初だけで、あとはねっちりとしたうどんの味だけ。少しバランスが悪いかな。もうしばらくはいいかなって感じだ。
10日(木)
今日はパシィフィコ横浜での展示会に出席。少し時間が余ったので、20年前に住んでいた横浜の面影などを探して写真を撮ってみた。まずは展示会場であるみなとみらい。ここは当時建設中で、まだ半分くらいしか敷地は埋まってなかった気がするが、今はいっぱい。それも、高度なインテリジェントビルで埋まってる。でも、半月型のインターコンチネンタルは昔のままだね。駅周辺はびっくりするほど整備されてる。
毎日通勤で使っていた相鉄線に行ってみた。駅、車両とも記憶にない。当時は辛い仕事も多かったからあまり記憶に残ってないのかな。まあ、ここも大きく変わっちゃったんだろーね。でも、西口前の細い通りは昔のままだ。
休日、小さな子供たちの手を引いてケーキを買いに来たダイアモンド地下街。ここも、大きく変わっていた。ケーキ屋さんの場所も変わっちゃったね。でも、相変わらずここの地下街にはスウィートの店がほんとに多い。
やっぱり、金もないのに子供たちと遊びにきたそごー。右写真のように食堂街の雰囲気がいっぺんしていた。ここもやっぱりエコブームだね。そして、ここらら隣のスカイビルに通じている。なんか連絡通路はあんまし出来が良くないので、わたるのが少しこわい。横浜の中心街はあまり面影も残っていなく、少しさみしい。まあ、20年だからねー。
9日(水)
昨日の夜はまた、基と連絡が取れず大騒ぎ。結局、テニス部の友達の電話番号を奥さんが見つけ、連絡し、無事が確認できた。一人暮らしならこんな心配しないけど、過去にトラブルを持つ息子が一緒に住んでいると、一日連絡取れないと大騒ぎになってしまう。最新のスマホや位置情報も緊急時には便利だけど、常に心配しなきゃなんないのはつらいね。さて、明日はみなとみらいのパシィフィコ横浜で展示会だ。そのあと歯医者。
7日(月)
週初めは国会図書館から。今日も何の変哲もない一日だ。つまんねー。
6日(日)
土曜日は、家事と午後はスマッシュテニス。そして、外食前の飲酒。全くいつもの土曜日と変わらない。今日は基と朝テニス。そして午後は川越にお見舞い。これもいつもの通りだ。日本の生活ってこうゆう風になるのかな。
2日(水)
出張帰りのためか、それとも出張時の焼酎飲み放題が効いたのか、今日はいつもより更に眠い日が続いた。新規テーマへの準備はいい方向に向かっているようだ。
1日(火) 熊本
短い時間で、熊本市内を探索した。さすが城下町、落ち着きのある建物が多いし、食べ物もうまい。水はすべて阿蘇山の伏流水だそうだ。この規模の地下水は世界でも例がないそうだ。木も大型のものが多い。でも、この湿気はすごい、ベトナム以上だ。それと、立派なビルが多いが、中のアーケード街ならぬシャッター街は大変気になる。他の衰退している地方都市と同じ傾向だ。しかし、熊本城は素晴らしい。お堀の美しさは日本一か、それと特徴のある城の建築方式。やっぱり、本州と大きく異なる文化を感じる。興味ある町だ。また来たい。下左写真は、空港から市内に向かう道での市電。立派な建物が多いが,空きも相当だ。こりゃ大変だろーな。以前周南でも同じような光景を見たな。バスセンターに40分ほどで着くと、そこからすぐに天守閣が見える。これは自然に観光客の足は吸い込まれてしまう。魅力的だ。
お堀は素晴らしいの一言だ。くっきりしているのに複雑だ。自然風に生えている木々も芸術的だ。
この壁からは鉄砲が狙いをつけるんだろうが、それにしてもすごい数だ。本当に戦闘のためのお城だねー。この平屋ねに突き出た三角屋根が特徴的だ。
写真では渋さがでてないが、実物は迫力のある城だ。天守閣より阿蘇方面の景色。
昼は時間がなかったので、バスセンターのお土産やさんで、左写真のいきなり団子ってもち。サツマイモの上にアンが乗ってそれをもちがくるんでる。なかなかだ。夜は定番の馬刺しや辛子レンコンなど。熊本は食べ物はうまい。すごく大衆的なお店で、値段もやすかったんだけど。
この居酒屋では、写真の焼酎や泡盛がビールやソフト度リングと合わせて900円で飲み放題。こりゃすごい。どうりで会計が安かったはずだ。お土産はやっぱり陣太鼓。これが一番ポピュラーだ。
トレッキング
ベトナム赴任後半、特に最後の一年はいろいろなところに旅に出た。こんな時は自動車を運転するわけにはいかないし、あまり観光地化されていないので、兎に角歩く機会が多い。それも半端な距離じゃない。10q位は歩きゃなきゃ帰れないし、どこにも行けないなんてことはしょっちゅうだった。こんな時、2時間も歩いていると、いろいろなことが頭に浮かんできて、それ内に整理され、時にはいいアイディアなんてものも沸いてくるし、不安もなくなる。これは歩きだけじゃなく、自転車でもおなじだった。ただ、あまりに危険な場所や、ハノイ市内のように、バイクの騒音や排ガスが多いところは別だ。精神を落ち着かせ、体質を改善させることに気付いた。これからも、たぶん月一くらいで、トレッキングや自転車を続けていこうと思う。しかし、山歩きはいつも天気悪いし、何かトラブルが起こる。
トレッキング























