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日記2015年2月

 

 

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ハノイ単身赴任

                              今月の一枚

 

5年前

写真は、5年前赴任スタートした時、前の池から最初に住んだアパートを取った写真だ。このときはこれからどーなるんだローって心配で景色に色が付いてなかったような記憶があるなー。よく寝ててもうなされたもんだよなー。もう5年がたったんだ。しかし、人間やればなんでもできるもんだねー。こんなにいい状態で日本に帰ることができるとは思ってなかったよ。自分自身成長したって気もする(かな?)どちらにしてもいい経験だったなー。又何かに挑戦したいね。一休みしてから。

 

 

 

27日(金)    

 帰国日を3月4日水曜日に早めた。これから、宴会の毎日だ。明日はどうもPhulyで送別会を開いてくれるらしい。泣くと恥ずかしいなー。

26日(木)    

 昨日、母の容態急変の知らせがあり、急遽帰国の準備をしたが、病院の人工呼吸で容態は落ち着いたようだ。それにしても、少し帰国は早めよう。帰任でみんなと別れる寂しさもあり、春はやっぱり好きな季節ではない。

23日(月)    

 テト最後の休日だ。今朝は濃い霧の中、コーチと二人で打った。久々に長い時間重い玉を打ったので腕が痛い。又エルボーにならないといいんだが。その後は、やっぱりなんにもすることないので、ハノイに出てみることにした。台北旅行でたまった脂肪を抜かなきゃならない。マッサージ、Cheoと営業しているかもしれないとかすかな期待で回ってみたが、やっぱりやってない。仕方ないので、普段いくことのないハノイの下町を歩いてみることにした。最後は3年前までハノイで澄んでたアパートだ。何故かいつもここにたどり着いてしまう。

まずは、いつものバス停で待っていると、いつもと違う普通のこぎれいなバスがやって来た。料金は、いつもの半額の100円。これほんとにハノイまで行くのかなと不安になった。バスは高速の途中で折りたためやっぱりと思ったが、旧道を通ってハノイまでたどり着いた。これは、多分公営のバスなんだな。いつものザバットで降り、北東方向を目指し、右写真のような路地をiphone map をたよりに歩くことにした。この辺りは治安が悪いと言うことで住むのをためらった場所だ。でも、路地は入り組んでいてなかなか面白い。

しばらく歩くと、ブンカーといって、魚のフライを具にした丸面のフォーの店着いた。旨そうだし、何人か客もいたので入って食べてみたが、やっぱり旨い。こんな路地、いやこんな路地だからこそ、旨い店がある。そして、路地のたびは続く。

少し広い通りに出ると、tokotoko と書いてある店があった。てっきりたこ焼きかと思ってみたが、少し違う。マヨネーズとケチャップたっぷりで噛むとすぐにつぶれ熱いのが出てくる。こりゃなんだ。飲み物はビールやコーラはなく、抹茶ラテにつぶつぶののが入ったやつ。この店にはさすがにおじさんは一人もいなかった。

何年ぶりだろうか。3年前まで住んでいたハノイのアパートは、改装されてグレードアップしていた。なんで俺が出てから改装するんだ。湖面に美しく映えている。やっぱり失ったものには未練が残るもんだ。

そして、池への道の入り口のハノイウォッカ工場は、解体され、次の建設を待っていた。こうも経済発展が早いと何年後かには思い出なんて一つも残っちゃいないかもな。でも、東南アジアによくあるつまらない都会にはハノイにはなってほしくないなー。

22日(日)    

 酔いと頭痛で自転車散歩しか出来なかった昨日だが、今日は朝テニス後ハノイに行ってCheo見学と計画を立てていた。朝テニスはサーブを打ったあと雨が激しくなり中断した。さて、ハノイに行こうかと思いなんとなくカレンダーを見ると、あれっ、月曜日もテト休みだったんだ。慌ててハノイに行くこともないと、だらだら過ごしていたら、今日も何にもすることなしに終わってしまった。明日は必ずCheoを見に行くぞ。

21日(土)    

 今日は、断ることができない。テト三日目。朝テニス後は正月の宴会だ。一気飲みさせられ一日だめになるとわかっていても、断ることはできない。しかし、テニスコーチの空手の弟子は綺麗だったなー。写真は撮るの忘れた。この女性とテニスコーチの奥さんにはこの間マニラで買ったTバックをプレゼントしておいた。どうゆう風に受け取るんだローね。

 

20日(金) 台北旅行   

 今日の午後、3泊の台北旅行から帰って来た。ただ日本にすぐ帰れる場所ということで決めた場所だが、十数年前一泊ですばやく通り抜けた街だ。この時は故宮だけって感じで終わってしまい、街の文化・風習や食事などまりわからなかったが、今回はゆっくりとテト前の台北を味わうことができた。この街の中心街は十数年前と変わっていない。むしろ古びた感じがする。でも、郊外は発展していた。居心地のいい街だ。日本語や英語もかなりの割合で話せるし、文化風習はそれほど日本と変わりはない。食事は日本よりよっぽど旨く、値段も安い。そこそこお金のある日本のお年寄りには一番過ごしやすいところじゃないかな。でも、やっぱり若者には向かないね。驚きや発見や刺激が少ないからだ。ほんとに日本と似ている。これ以上同じ国もないだろう。移動日前日はハノイに宿泊し、旧市街周りの観光地に出てみた。左写真は旧市街の中心にあるマーマイの家、200年くらい前の典型的な旧市街の家を保存したものだが、今回始めて開いていた。まあ、いつもは夜だからね。狭い細長の家だが、吹き抜けの中庭があり、快適だし明るい感じだ。夜はホアンキエムにでてみると、亀のお社への橋がすごくきれいにライトアップされていた。

初日の移動日は、夜11時ころにホテルに着いたので何も出来ずベットイン。翌朝は早くから観光に出かけた。まずは世界に3箇所(一つは秋田の玉川温泉)しかないという、北投石のラジウム温泉の北投温泉。日本人の研究者がその発見者であり、名づけ親らしい。台北駅から南北に伸びるMRTの北部にある温泉地だ。ここは、駅から温泉までの道も右写真のように綺麗に整備されている。こういった観光地の完成度は日本以上だ。

温泉街を流れる小川の上流にはこんなにおおきな地獄谷がある。源泉の温度は95度とのこと。凄い湯気だ。温泉街の中心には、右写真のような公営の露天風呂がある。この中は、水着の混浴露天風呂だが、外国人も多く、年末だというのにかなりの賑わいだ。中には管理人がいて、風呂の張り方やマナーを厳しく指導している。ホイッスルを吹き注意するので、なんだか、地方の子供向けのプールに行っているようだった。話しかけてきた台湾のおじさんは週5日ここに通うとの事。来週は岐阜の下呂温泉に行ってくるとのこと。現役時代は飛行機の添乗員だったらしい。

近くには温泉博物館があり、北投石の生成なども学問的に説明されている。また、右写真のように、昔の風呂も保存されている。

一度台北駅に戻り、ガイドブックの口コミに乗っていたと言う台湾料理やの蘇杭に行って見た。店の看板も出さずに官庁街でひっそり営業しているこの店は、1時過ぎに入ってみてもほぼ満席。食べてみると料理の腕が際立っているといった感じ。しっかりとした料理だった。やっぱりこういったひっそりがたの店は旨い。

食事後は台北駅から南北に伸びる鉄道にのり、九扮という観光地に行って見た。した左写真は、瑞ホウという駅の駅前通り。ここからバスに乗り九扮にいくよていだったが、日本人に声をかけられタクシーで行きませんかとの話。2カップルなので、一人150円くらいになった。しかし、あの若奥さん綺麗だったなー。九扮は太平洋に面し、景色もいい金の廃鉱街。3万まであった人口は一時9軒まで減り、買出しはまとめて9軒分を注文していたため、この名前になったという。金鉱山の家並みに懐かしい感じがあったため、一大観光地になった。宮崎アニメの千とちはるの神隠しのイメージにもなったという。それらしい感じは確かになる。それにしも、台湾だ。こういった両脇の露店の売り物がよくみかけるようはものはなく、どれも珍しい。でも食料は匂いもきつくあまり買う気になれない。

下左写真は、どうも血の付いた豚肉をゼリーのようなもので包んだものらしい。少し気持ち悪かった。あとで胸も焼けたなー。右写真あたりは、宮崎アニメの感じでてるねー。

夜は定番の夜市に出てみた。兎に角人、人、人。でも何も買う気がしなかった。しかたなく、牛排という、肉のあらを漢方で茹でた料理を食べてみた。まあまあなんだが、店の汚さは酷い。なぜかお店のおじさんは半額にしてくれたので、二人で300円だった。

途轍もなく移動し歩きまくった初日と打って変わって二日目は大晦日だ。かなりの割合でお店は閉まっている。目当てにしていた観光地も年末休業に入ってしまった。しかたないので、中心街の観光地をいくつか回ってみた。下左写真は、総統府。りっぱなつくりだ。そして、右写真とその下二枚は、中正記念公園。蒋介石を讃えた公園だ。この規模はでかい。とくなくでっかければいいと言う大陸の建造物にもまけない迫力だ。

そしてランチは、また台湾料理のお店。ほぼ昨日と同じオーダーだが、やっぱり昨日のは高級、今日のはそこそこだ。腕が違うようだ。小龍包の皮が時間とともに変形し、ぺちゃんこになっちゃった。食事後は歩いて龍山寺にでかけてみた。このあたりは年寄りと障碍者が圧倒的に多い。このお寺がそういった効能をもっているんだろう。多分。

夕方は、龍山寺近くの華西夜市に出かけてみた。半分くらいのお店ややっていたが、いくら夜市でもおおみそかは活気がなかった。

三日目は奥さんを空港に送り出し、一人でサウナにやって来た。ホテ情報もこの手は役に立つ。2100円のサウナで3時間くらい時間をつぶし、そのデパートのフードコートで食べた500円定食が右写真だ。これは、いい、旨い、今流行ってそうなのまで入っている。でも、そのあと相当ニンニク臭かった。

旅の最後はホテル近くの足つぼマッサージ店へ行って見た。年寄りが大晦日に営業している。力のある若い人達は田舎に帰っちゃったんだろーな。

 

 

14日(土)   

 今日はテト前の土曜日だが、一日出勤日だ。仕事後は毎日続く忘年会にまた出席した。最近は毎日酒を飲むのに体が慣れてきた。仕事で飲むようになったらこうゆう風に飲むんだろうな。さて、いつものレストランだが、ワーカーの家で飼っているというウサギを食べてみた。これは旨い。今度はみんなで鼠を捕まえて間部手見ようということになった。とことん付き合ってやるか。しかし、何のプレゼントもないバレンタインデーだった。寂しい。下写真はウサギ肉の皿。

13日(金)   

 やっぱり今日も忘年会。当然ワーカーの住居地であるドンバンでの宴会だが、今日はあるワーカーの家での宴会になった。多分裕福な家なのだろう宴会のために野生の子豚を落とし、多くのお客を呼んでくれた。これが、今回の宴会だった。家は米俵が貯蔵されている、多分庄屋なんだろう。親戚一同集まり、落としたノブタをねたに宴会が始まった。しかし、ベトナムのお年よりは元気がいい。七十過ぎの老人が、艶やかな女性の話題で盛り上がり、げんざいも精力的なd現役であると主張する。それ引き換え若者のおとなしいこと。現代の日本を見ているようだった。やっぱり、元気で精力的な老人の話のほうがおもしろい。料理は、落としたノブタの内臓、精肉で、兎に角旨い。野生の小型の豚はくせもなく、ほんとに旨かった。特に酒は旨い。料理の旨い家は酒の作り方もうまいようだ。まだ、明日、明後日と宴会は続く・・・。

12日(木)   

 昨日は、anh さんとホータイの脇にあるquan kien と言う店に行ってきた。kienとはありと言う意味。主にアリの卵を扱う料理を出すレストランだが、各種虫料理を取り揃えている。かといって、ゲテモノ料理の店ではなく、通常の少数民族料理も数多く扱っている。兎に角、さそりを除いたらすべてがうまかった。アリ卵の酒、スープ、炊き込みご飯、蜂の子揚げ、イナゴ、鈴虫揚げ、蝉揚げ、ココナッツの芋虫など、どれも旨いと感じる料理だった。料金も二人で飲んで食べて5000円以下。これは、接待にも使えるレストランだ。そして、今日は相変わらず現場の忘年会の続き。今日は倉庫グループの飲み会だ。このままだと、体が持たない。店は空港にいく幹線道路yen phu 沿いにある。店に行くには車を降りてこの幹線道路を横断しなけりゃならない。これが大仕事だ。店は下左写真のように、意外にしゃれた感じの内装の店だった。まずはこのお店自慢のアリ卵のお酒。これはマイルドで非常にいい。アリの卵ってのは体にもいいようだ。そして、更にアリ卵のスープ。これは非常にうまい。

そして、ご愛嬌のサソリ(左写真)。これは殻がものすごくかたく、はらわたをぐじゅぐじゅとすするだけだ。一匹でやめた。そして、鈴虫や蝉のから揚げはどれも凄く旨かった。

そして、ココナッツに住んでいるこの芋虫(左写真)これは、噛むとほのかにココナッツの香りがする。しかし、皮が厚く以外に堅い。右写真は、最後のあり卵の炊き込みご飯。宴会続きの一週間だったが、これは体を回復させてくれた。

やっぱり今日も宴会だ。明日も宴会だ。そして、日曜日も。そしてテト・・・

10日(火)   

 昨日から、また日本人出張者が5人来ていた。明日帰る人もいるので、今日はPhulyのビアホイにて宴会をもった。ベトナムとはいえ、寒い日だったのでだいぶ参った人もいたようだが、7人何とか今ハノイへ向けて帰っていった。今回の接待はどう思ったんだろうね。

8日(日)   

 出張明けの疲れた体だったが、コーチから電話あったので久々に3時間弱の朝テニスをやって来た。おまけに最後にストロークに自信のあるオニーチャンに誘われてシングル1ゲームもやってきた。いつものようにすべて勝ったが、やっぱり疲れる。そのあと、マニラ出張をウェブでまとめ、今度は朝の散歩。といっても、11時にでかけて、1時に戻ってきた。やっぱり思っていた通り、町の北西部(綺麗なオレンジ色の水門があるあたり)の畑や近辺の景色は凄くよかった。何毎か写真を貼っておく。こうして自転車で回ってみると川岸の土地もあますところなく有効利用させている。いわゆる荒地がない。まあ、肥沃なとちだからなのかもしれないが、フィリピンの広大な荒地とは大きな差がある。また、綺麗に区画され知的に土地が利用されている。頭いいんだねー。しかも、膨大な平地のためか、死角がない。これは犯罪防止やモラル防止には大きく役立っていると思う。いい国だ。

 

5-7日 manila  

 マニラに出張。東、東南アジアはほとんど回ったが、なんと近場の観光地フィリピンはまだ行ってなかった。いい機会だったので、開いた時間に一つの代表的な観光地intramulos に行ってみた。 いい観光地だったが、スペイン統治時代の遺跡だ。原住民であるタガログ族の遺跡や観光地も行ってみたかったが、あまりなさそう。人の顔、衣服、食べ物、植生、気候、何についても「これがフィリピンの特徴だ」っていうものがない。街も途上国の典型的な形で、バンコクやクアラランプールとの違いはない。これが恐らくフィリピンなんだろう。この混沌が。しかし、銃社会だから何か犯罪があれば、簡単に殺人につながり発生率も異常に高い。得るものの少ない割にはリスクの大きな場所だ。下左写真は、着陸前のマニラ市街の様子。やっぱり、木造家屋はまったく見れない。中央写真は、ホテルフロントのお嬢さん。当然普通よりびじんだが、この顔にフィリピンの特徴らしきものがいくつか見れるかな。右写真は、ビジネス街。まだ新しいから他の途上国の都市と変わりはない。

まずは、ホテルの近くのハンバーガ屋さんで食事を済ます。これが注文してから出てくるまで20分待った。このあたりは途上国の常識だが、以外に旨かった。ちなみに、宿泊したホテルはマカティーといい、非常に治安のいいビジネス街だが、近くのセブンイレブンの入り口には、ストリートチルドレンらしき、こどもが数人たむろし、おつりを目当てにカップを差し出していた。そして、alaya の街に繰り出しカラオケバーへ。内容はハノイのカラオケとまったく変わりはないが、さすがに女性のノリがいい。それと料金は5,6倍かな。行きはタクシー代が300円だったが、帰りの悪そうな運ちゃんは客の顔色を伺いメーターを倒さない。これは参ったと思ったが、請求は2倍の600円。おんぼろタクシーでどれだけぼられるかと思ったが、なにかほっとした。それにしても、この国の男共は、少しでもずるいことして金を増やそうとする。intramulos へ行く時の運ちゃんも同じだった。

翌朝はこんな海岸線の道を通り、マニラ南部の工業団地へと向かう。道路反対側の沼地には、いまでも倒れそうなバラック民家が密集していた。台風の時は大きな被害になるという。うなずける話だ。

仕事を終え、ホテルに戻ったが時間が余ったので、観光地に出かけることにした。昨夜のカラオケバーの女の子が案内してくれるといっていたがいつまで待っても連絡が来ない。これも途上国の常識だ。そこで、フロントにて安全地帯を確認し、タクシーにて行って見ることにした。唯一の大規模な観光地のintramulos は、北西5,6kmのところにあるが、運ちゃんは行きは右から回るルートを選択した。大都市の真ん中なのに景色は少し燻っている。下りて別のタクシーを探す勇気はない。ここで、料金交渉となる。運ちゃんも頭がいい。観光地ー買い物ーホテル戻りで3000円とした。彼にとっては大もうけだろう。

さて、1時間半くらいかけて到着した。ここはスペイン統治時代の城壁内の都市で、当時はこの中がマニラと呼ばれていた。タガログ族は中国人はこの中に住めなかった。現在でも多数の教会と大学が残っている。場内は古い石作りの道と建物で、絵でみるヨーロッパの古い都市のようだ。右写真は、現在は古民具屋さんになっている。

少しタガログらしいものが展示されている。右写真は、サンオーガスチン教会の位置。中は一部博物館になっている。ここの展示物はすべて重みのある貴重なものだ。

教会内部。こんなきれいな教会はなかなか見れない。天井の彫刻もいい。回廊の展示絵画もいい。何より歩いていて凄く気持ちいい。

教会の外壁も渋みのある石造りだ。その奥は西の城壁となっている。右写真は、マニラ大聖堂。キリスト教の総本山だ。これは大きさに圧倒される。

内部もよく整備された美しい教会だ。右写真の祈りの部屋のステンドグラスは素晴らしく綺麗だ。写真では表現できないな。

城壁の一部。この上も歩けるようになっており、その外側は旧来の堀が埋め立てられ公園やゴルフコースになっているとのこと。

 

帰りは海側の道を通って帰ってきた。あまりにぎやかでない海岸だが、南国の雰囲気は少し出ている。やっぱり、フィリピンって国は、ローカルのセブやパラワンに少し長く滞在してのんびりと過ごすのがいい国なんだろーな。マニラあえて来るところじゃないな。

2月1日(日) thay pagoda  

 雨降りもようのよくない天気だったが、兎に角時間はたっぷりあるので、ハノイの西25kmにあるchua thay タイ寺に行ってきた。ここもハノイ近郊の歴のある寺で1000年以上まえに有名な修行僧によって開かれた寺だ。ハノイ付近のまっ平らな地形がこのあたりに来るとぽつぽつと石灰岩の小山が見えるようになる。まあ、こうったところに有名な寺はあるもんだ。地形とつよい関係があるのは、どの国も同じだろう。ここもそういった地形をもった有名な寺だ。建築形式も優れているし、彫刻もいい、なんといっても修行のための近くの山には尖った石灰岩が多くあり、修行と言う名にふさわしい山だ。ハノイに戻り、実はこの日のメインイベントのCheoに行ってみたが、本日は開店休業。このリベンジはなんとか今週中に・・・。した写真左は、高速を下り、タイ寺方面に向かう道。このあたりになると、こういった石灰岩の小山が見えてくる。そして、お手の近くにはこんな山と池と道路端の物売り。

駐車場にタクシーを止めると、まずはこんなお寺が出迎える。屋根の装飾もりっぱだ。なんといっても近くの山の景色と屋根のそり具合がマッチしている。

次はこの複合寺のメインの天福寺。ここは寺のデザイン、古さ、仏像や彫刻物の芸術性といった観点より、他の寺からずば抜けていいお寺だ。なんといっても、歩いていて心地よい。中は右写真のような建屋が三重に配置されていて、真ん中の建屋の仏像や彫刻は力強い。それから、柱は異常に太いものが使われているようだ。

修行僧を祭ったものだろう。威厳がある。右写真は、その左右に位置する閻魔様か?これもその太さに圧倒される。

天福寺をでると、大きな池があり、ほの淵にはこんな曲線を持った屋根を持つ橋が架かっており、池の正面には、この水上の門が気品をもって、位置している。

下のお寺を見学したあとは、この門をくぐって、山に入る。右写真のような急が階段を上っていかなきゃならない。これは少ししんどい。

頂上付近にはこんなお寺がある。右写真の洞窟の奥にも、仏像が置かれている。

山の頂上は切り立った石灰岩だ。景色は凄くいい。

土の少ない石灰岩の山だから、木の根っこや形も凄く面白い。

昼は、近くの食堂でこのあたりの名物の鶏肉と豆のスープだ。これは凄く旨かった。そして、ハノイに戻り、Cheoシアターに行ってみたが休業。ホテルは予約してあったので、仕方なく有り余る時間を旧市街の喫茶店とフォーを食べながら過ごした。