31日(土)
昨日は設備Gの忘年会。これで4つ目かな。あと何回忘年会に出席すればいいんだ。テト前まで体が持たないかもな。今日はそのおかげで会社休んじゃった。二日酔いで休むのはやっぱりよくないねー。さて、明日はまたお寺参りでも行ってみるか。
26日(月) bach ninh お寺巡り
もういくまいと思っていたベトナムの文化遺跡探訪の旅だが、新しい情報が入り、急遽バクニンの川を挟んで南側の地域に、ドンホー版画は博物館への見学もかねて日曜日に行って見ることにした。バクニンは工場の場所を決めるのにいろいろな工業団地をめぐった際、昼食に寄った記憶がある。この時、生の演奏と歌で綺麗な女性が歓迎してくれた非常に印象のいい街だった。そして、ベトナム最古の街でもあるらしく、文化的なものには以前から興味があった。まずは、バスでハノイまで移動し、そこからタクシーでブッタップ寺にに向かった。下左写真のような幹線道路から外れたがたがたの田舎道の先に、この寺はあった。でも、景色と調和しているし、車から降りて気持ちいいと感じる久々のお寺さんだ。近くの田んぼや畑で燃やしている藁のにおいも懐かしくていい。
門をくぐるとまず第一の建屋。ここにはこんなに力強い仏像が置いてある。それにしも、右足の下の獅子らしい彫刻の迫力は満点だね。建屋のつくりも素直でしっかりしていて、中に入っても高貴な香と古い木材の香りでほんとに気持ちいい。
回廊の先には次の建屋があり、中にはこんなに芸術的な千手観音が置かれている。これは芸術的価値も最高級だ。確かこのお寺はその所蔵彫刻や絵画の芸術的な価値も高いので有名だ。インドからと中国からの仏教文化の合流点であったらしい。
後ろの千手にはそれぞれ目が彫られている。凝ったつくりの観音さまだ。こりゃ製作日数がかなりかかっただろうね。また、台座の彫刻も凄い、細かくはないが、何か迫力がある。
千手観音ともう一つの対の仏像の壁側にはそれぞれ18羅漢が配置されている。今にも動き出しそうだ。
対の仏像。これは渋い顔だ。タイやミャンマーの一部のように、子供対象の仏像とは雰囲気がまったく異なる。この建屋の後ろにはこんな三途の川(?)もあり、石の彫刻もなかなかいい。
その後ろにはチベット系の仏教寺院でよく見られる回る彫刻塔がある。そして、その回廊の外には紀元前に建設されたという仏舎利が気品高く建っている。確か中国からもたらされた舎利とのことだった。この塔の形はベトナムではあまり見ることがない。
仏舎利の土台近くの彫刻。シンプルで力強い。
更に先にもう一つ建屋があり、この中にも仏像とともに、こういった貴重な彫刻をほどこされたテーブルが置いてある。
さて、ブッタップから幹線道路に戻ったその角にザウ寺がある。このお寺はベトナム最古のお寺であると記されている。
最初の入り口の建物をくぐると、回廊に囲われた広場の中央にこの塔が立っている。中には美しい形の鐘と綺麗な彫刻の入った梵鐘がつるされている。そして、その先に本堂(右写真)がある。
この中も、前のお寺と同様、簡素でしっかりとした木造建築になっており、ほんとに居心地がいい。そして、いっそう暗くなった奥にこういった金の千手観音が置かれている。
このお寺にも仏像の回りにこういった彫刻が置かれ、本尊を守っている。外にはやはり回廊があり、これも18羅漢か。
こんな脈絡のない仏像も回廊には置かれていた。以外に見回る内容は乏しく、2,3十分で外にでることになった。ここまでの境内はりっぱだなー。でも、流石に建設当時のものは何一つ残ってないようだね。
そしてまたタクシーに乗り、ドンホー村の版画博物館に寄ってみた。ここは道が非常に複雑だ。おまけにスマホの地図ソフトがお粗末なものだから、ほんとにここを探すのに苦労した。でも、ベトナムのドライバーにとって、道を尋ねながら進むのはいつものこと、それにしても、行きがかりの人達も必ず親身になった答えてくれる。今の日本じゃ聞く気にもなれないよね。ここは、博物館だけあって。版画の製作、紙すりにいたるまで工程がわかるよう展示されている。それにしも、買う気になれない。やっぱり、梱包が心配だからかなー。
文化遺産をめぐるたびを終え、バクニン市内に行き、懐かしいレストランに行ってみた。でも、記憶にある、古いお城のような建屋とは大きく異なる。やっぱり改装しちゃったんだろうね。もったいない。でも、2時近くだったこともあり、前来た時同様に個室に案内してくれたが。お目当ての楽器演奏と歌はなかった。もう、ほとんどのお客さん帰っちゃったしねー。
バクニンから60円でハノイ市内に戻り、ホテルにチェックインし、旧市街に出てみた。左写真のような希望に近いレストランがあったので、入ってみた。でも、こりゃ酷い。料理は甘い、味が濃い、おまけにオーナーか従業員の子供が店内を走り回っている。バクニンのれるらんは昔の味を守っていたが、旧市街はどこも酷くなってきた。高融点は外国人ってほんとに迷惑な存在だ。でも、ホコ天になった道をあるいていると、可愛い若い女の子たちに寄ってかないかと声をかけられる。カチューと呼ばれるベトナムの古典芸能の保存のためのNPOだそうだ。8時からの舞台があるというので、入ってみた。位置口でチケットは?と聞かれ、なんだタダじゃねーのかとがっくり、10$だったが、日本でいう、三味線での小唄といったところ。楽しみにホテルから出直すまでのこともなかった。でも、これで、ベトナムの三大古典芸能、Cheo、tuong、それとこのca tru,すべてをこの一年で見ることができた。
25日(日)
昨日の朝テニスの時、街灯もなく、あまりに暗かったので、テニスコート脇の公園の植え込みに自転車で突っ込んでしまった。これを見ていた目のいいベトナム人は、俺がテニスコートに付くまでLEDライトで照らしてくれた。今朝テニスコートに向かうと公園の周りの街灯が付いている。これって俺のためかな?こうゆうことってベトナムにはよくあることなんだよな。さて、今日はバクニンの歴史遺産お寺とドンホー版画会館巡りだ。楽しみだ。
24日(土)
仕事後、今日はqaグループの忘年会だ。なんと、分析Gの忘年会と同じ場所。やっぱりこの辺はあんまり宴会場はないんだねー。料理も同じ。でも、ベトナム語旨くなったねとみんなに言われて大満足。よし、これから、残り6所属ぐらいの忘年会だ。今年は全部出席するぞー。
22日(木)
火、水と半日年休で過ごしたが、今日は無事一日出勤することができた。今日はゆっくり過ごし、普通に帰宅しようと考えていた矢先、あるグループより忘年会の誘い。宴会続きでここ数日体を壊していたが、出ないわけにはいかない。日本からの出張者との飲み会も回避し、工場近くの宴会場に行ってきた。いつもの鍋だが、これでベトナムのシーズンは最後と思うと、何故か鍋も旨くなる。不思議なもんだ。
20日(火)
午前中何もやることなくなったので帰って来た。天気がよかったので、今日は自転車旅行に出かけることにした。先週のハノイでのスタッフとの宴会の帰りにPhuly方面で乗り合わせて帰ったが、一人のスタッフの家は、トンでもない田舎で酔いながら水の上をタクシーが走ってる感じがした。今日はこのあたりに行くことにした。まずは国道1号から工場方面に左に入り、こんな川沿いの道をまっすぐに工場方面に北上する。このあたりで頭がすっきりしてくる。そして、工場まで行っちゃうのもなんなので、更に左に折れ、西方面に向かう。何にもない。田んぼと道だけだ。
更に少し拾い道に出たのでもう一度左に折れ、今度は南南西に向かう。このあたりは、民家やお店が多くなっている。立派なお寺もあるんだ。田舎なのに。
更に南下すると綺麗な川と小さな堤防だ。みんなが大切にしているのがよくわかる。
そして、T字路にぶつかったので今度は東方向に曲がり、Phulyへと向かうと。この綺麗な田んぼだ。こんなに街の近くにこんなに綺麗な畑があったんだ。そしてその先には、懐かしさがこみ上げてくるような綺麗なりっぱな堤防だ。この堰を上げ下げするための立派なチェーンが存在感あったなー。
うーん。ホアビン省に長旅しなくても、自転車でこれるこんなに近場にいいとこあるねー。
18日(日)
昨日はpho to まで日帰り旅行をしたせいか、朝がきつかった。朝テニスでは帰ろうとしたらまたあのポリスの強引なおじさんがやってきて、帰らせてもらえない。なんとか一試合で帰り朝食後は、またすぐに朝寝した。今日はなんにも予定のない日だったので、髪を切ることにした。しかし、年末が付かずいてきたせいなのか、数多くの床屋がみんな満席じゃねーか。こんなことはなかったので、すぐに空くさと数時間おきに寄って見たが、入れたのは午後の4時。一日がこれで終わった。でも、今回も床屋料金は記録を更新し、100円でやってくれた。どこまでさがるんだ。
17日(土) フン王のお寺
朝テニス後、バクニンに行こうかと思っていたが、my dinh行きのバスに乗ってしまったので、フートーにあるフン王のお寺に行くことにした。ハイディンから始まり、ベトナム各地の大きな有名なお寺に行ってみたが、今回のフン王のお寺で終わりにしたい。もう飽きた。どれも同じような建物、そして歴史があまりにもない。こういった施設をベトナム国民はお祭りの際に大挙してやってくる。ただご利益を得るために。まあ、lこういった前近代的な行為は日本も戦後かなり長く続いたが、細りかけている。ベトナムも今後施設管理者のサービス精神、歴史との関わりの明確化がなければ廃れていくだろう。兎に角サービスは酷い。さすが共産党国家だけのことはある。タクシーにてden hung に向かった。去年ノイバイ空港からラオカイ方面に高速ができたので、それに乗ったと思いきや、いつもの国道を走り、二時間くらいかけてやっと付いた。まずは、外郭にあるフン王のお母さんを奉ってあるお寺に。竜神のお母さんと仙人のお父さんの100人の子供の長男がフン王だ。紀元前3000年から2500年くらいの王朝が続く。
地理的に外郭のお母さんのお寺は美しい。でも山はフン王のお寺の山よりも険しく急勾配だった。
へとへとになりながら外郭のお寺を上り下りし、フン王のまずは下の寺から。どうやら中の寺は工事中らしい。職人と軍人の共同作業で修復作業が進められていた。
そして、フン王が祭られている上の寺へ。このモンは非常に美しい。モン上の竜の彫刻には綺麗が光物が使用されていた。また、裁断も軍人のお寺らしく、数々の武器により守られていた。
いわれを忘れたが、上の寺から降りてくる途中の井戸のあと。そして、山を降りるとまた美しい寺があり。フン王のお母さんが手鏡の代わりに使ったという。水がめもある。
帰りはハノイの高層ビルなど。ハノイも凄い勢いで変わりつつある。でも、みんなめんどくさがりだからなー。いつ完成するかなー。以外に木を多く生かした潤いのある街づくりを考えるのかもね。
一方裏道には昔ながらの景色が汚く広がっている。犬肉の陳列棚のある店が3軒ほど続いていた。
15日(木)
昨日は、日本のエンジニアグループの3人の出張者との会食、今晩もオフィススタッフの忘年会での会食にて2夜連続のハノイ。兎に角疲れた。週末はゆっくり過ごそう。
13日(火)
今日内内示が出た。3月16日付で日本勤務だ。うれしいより、なぜか悲しい。仕事の面はね。でも、これから家族と暮らせる。
12日(月)
チョッとした長旅をしてきたような気分だ。ハノイ通院旅行として、土曜日の病院と本日月曜日の歯医者・病院のため、二泊三日でハノイでのんびり過ごしてきた。今思い出しても記憶がはっきりしない。いったい俺はこの三日何してたんだろう。しかし今日は参った。歯医者で待っていると、システムダウンのため、最低一時間治療が出来ないとの連絡を受けた。それじゃということで、先に病院に行き用事を済ませて連絡すると、午後になりそうだとの返事。あきらめてマッサージに行って連絡をしてみると、3時から治療再開との事。結局一日仕事休んじゃった。歯医者のために一日仕事を休むのはやっぱり途上国くらいしかないだろーな。さて、三日間を振り返ってみよう。仕事は先週行こうと決めていたbach dan だ。ここは、元の来襲を防いだ場所として有名だ。日本の元の来襲と時を同じく、元はベトナムの遠征に失敗していた。そこで、このときは8万の兵と数百の軍艦にて攻め落とそうとした。これに対して兵力に劣るベトナム軍は、ホン川の川底に杭を打ち込むなどの準備をして元を迎え撃ち、勝利した。この周辺を歩いてみた。もともと川の戦場なので、昔をしのぶものは何もない。いまや川べりの貧民街となっている。このとおりの食堂に入ったが、くさい匂いで注文したもののほとんどを食べることができなかった。こりゃ残飯を使った料理だな。腐敗臭がした。
ロンビエン橋の手前には船着場らしきものがあり、船を利用したレストランが数軒オープンしていた。ここもあまり入って飲む気がしない。悪酔いしそうだ。ホテルまで雨の中の散歩で疲れたので、少し休憩後は、近くのフエ料理の店に入った。これは有名なチェーン店で安心して食べれたが、甘さが強すぎる。これはあまりお勧めできないな。
翌日は朝から強い雨。何にもすることないので、hung sen マッサージのyen phu 店にタクシーで来た。やっぱり、ここはくつろげる。マッサージを受けながら今日は何しようと考えたが何も思いつかなかったが、外に出ると雨は止んでいる。そこで、旧市街とホータイの回りを散歩することにした。ここは、ホータイのウェストレイクのいぼ状に突き出た場所だ。ここは蛙鍋の並んでいるところだ。しかし景色はいい。
ゆきのと行ったバーの近くの景色だ。ここいら当たりも船のレストランやバーが散々ならんでいる。やっぱり、back dan とは少し違い品格がある。しかしホータイは広いねー。なんだかんだで、半分くらいを歩いて回ったかな。
さて、靴擦れで血も出てきたので、ホテルに戻ることにした。同じ道はきついので、まずはホーチミン廟、それから革命博物館に回り、入って見てみた。玄関正面の展示館には、ベトナム戦争時代の展示物ではなく、4000年前のフン王にまつわる資料や青銅時代の遺跡などが、中心だ。これはなかなか良い。
そして、中国との領土争いの歴史や遺品が展示してある。左下の写真が昨日の散歩場のbach danの戦闘の模様だ。これも、いい。でも、アメリカ戦争の時代の展示物はこれといって興味を引くものがない。
左下の写真は、ベトナム軍が打ち落とした米軍の戦闘機の残骸。これは有名な展示物だね。ホテルに戻り休憩後、旧市街に出た。今日はma may 通りを中心に見て回った。右下写真は、200年前の民家を保存したものだが、今でも澄んでいるといっても通る。今もローカルではそんなに違わない生活をしてる。でもやっぱり、木造は上品で住みやすそうだね。
夕食は、ベジタリアンの間で有名なタンジリンでと考え、住所に向かったがない。尋ねてみると、経営者と店が変わったとのこと。同じ料理だというので注文してみたが、こりゃ酷い。料理じゃない。多分、会計業務をやっている静養の女性が新しい経営者なんだろうな。彼らに繊細な東洋の味付けがわかるのかな?
三日目月曜日は予定通り歯医者に行ったが、情報システムの故障で診察開始は午後になると言われた。しかたなく、病院を先に済ませ、時間が余っているので再度フンセンマッサージだ。それでも時間が余っているので再度ホータイの散歩とした。高級なインターコンチネンタルとシェラトンが歯医者のこんなに近くにあるとは知らなかった。
9日(金)
さて、今週も明日一日となったが、火曜日と木曜日にハノイに胃って帰って、明日土曜日もハノイの病院だ。そして来週の月曜日はやはりハノイの歯医者だ。なんか、家に落ちついている日がないような気分だ。こうゆう後に大体大きな病気に罹るんだよね。
8日(木)
sh社のn,k氏の来場があり、ハノイのステーキ高級店のエルガウチョとその近所のバーに行ってきた。k氏は金城さんだったので、てっきり男性かと思っていたが、着てみると美しいお嬢さんだった。軟式テニスの沖縄代表だったとのこと、楽しい宴会となった。帰りは午前様。明日は半分寝ながら仕事だ。
7日(水)
今朝は5時前に起きたので張り切ってテニスに行こうとしたら湿っていただけの路面に大粒の雨が降ってきた。気になって天気予報を見てみると、今週は日曜日までずっと雨だ。でも、ベトナムの天気予報だから・・・。明日もめげずに5時前に起きるだろう。なんたって夜することないからなー。日本で買ってきた文庫本ももうそろそろ終りだな。あっと、でも明日夜は接客でハノイで食事だ。腹痛も治まってきたことだし、ぱあっと飲むか。
6日(火)
正月明け2日目、今日も朝から歯医者だ。発熱・下痢はおおかた治まったが、やはりこれまでの2回はホンと痛かったので、不安だった。おまけに詰め物が正月に日本で落ちでそのまま捨ててきた。これを知った歯医者の顔は急速に冷たくなり、又これまでと同様の歯の神経があった穴を一生懸命彫刻等のようなもので削り始めた。万事急須だった。こちらは何も出来ない。あの時間のかかる削りの効果はいかほどのものなのか。早く止めてもらうのを祈るだけだった。しかし今回は痛みがほとんどない。歯の穴にセラミクスをつめる時の一瞬の痛みだけだった。後二回で治療も終わるようだ。レントゲンではセラミクスは綺麗に入っているし、治療後も痛くない。ホンとはあの先生以外に腕がいい人だったのかも。でも、不安でたまったストレスは午後からの出社時にスタッフに向けられた。
1月5日(月)
正月帰国から昨日帰ってきた。母親も思ったより元気そうだったので良かった。結局この4日間は、酒とカロリー高い料理と正月の典型的な過ごし方だったので痛風の発作が心配だ。最後の晩に寿司屋で大量食いしたせいか、昨日はさんざんなめにあった。朝から下痢と胸焼け、そして飛行機に乗ったら発熱と頭痛。昨日の晩は、ひえぴたでやり過ごした。でも、やっぱりただの食中毒。今朝は体調が回復している。明日はまた歯医者で痛い目にあうから、体力ないと持たないからね。
忘年会
べトナム人女性は、普段は化粧はせず非常に強い印象だし、鼻毛や胡坐は気にしない。でも、こうやって化粧をしてステージに上がると別人のように映える。スタイルがいいからかなー。どっちにしろショーやダンスを見せてもらっている方には申し分ない状況だ。しかも、毎年芸が細かくなってきている。こりゃ来年は、ファッションショーでも始まるかもね。でも、その時期までは赴任続いてないだろーなー。


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