28日(日)
朝テニス後、朝食会に誘われたが、酒で一日だめにするのもなんなので、ハノイに行くといって断った。何も予定のない、自由な一日だったが、言った以上はハノイに行くことにした。今日はまったくプランがない。こういった場合は大概そんなんだが、やっぱり酷い一日だった。ハノイの街を十数キロ歩いたので排気ガスで頭が痛くなる。おまけにいつものように綺麗な景色はないから、何もいいことのない一日だった。でも、最後のマッサージだけは、良かったな。久しぶりにビンコムの食堂に行き、また酷いタイ料理の店に入っちまった。これはまずかった。昔ハノイテニスクラブでやってた公園で、闘鶏と足のバトミントンを見学した。多分大学生かな、女性も混じって競技してたけど、凄く旨かったな。
27日(土)
休日出勤の土曜日、仕事後、出張者のh氏とk氏と3人でまずはasimaで食事。店のサービスは日増しに悪くなっている。この店いったい継続していく気あるんだろうか。でも、きのこ料理は旨い。きのこ刺身、マツタケスープ、ホタテサラダとワイン二本。それから、h氏の行きつけのカラオケへゴー。痛風で歯茎治療中のみには非常に負荷のかかる夜になった。明日痛風の発作にならなきゃいんだけど。
26日(金)
今日は分析Gの忘年会。イヤーホンと楽しかったなー。女性は、女性だけの宴会だと以外に飲むモンなんだねーー。ベトナムでの女性の強さをネタに週何回夕飯を作るのかを聞いてみた。結果は平均週2-3回。あとは料理上手な旦那がつくるんだそうだ。だいぶ日本と違うねー。酒も強い女性は、仕事も強い。安月給なだんなに、家事はやらせるようだ。
25日(木)
そういえば、昨日はイブ、今日はクリスマスだね。まったく気づかなかった。今日も痛い一日だった。月曜日に神経を抜いたが一向によくならない。歯医者いわく、まだ化膿が収まってないので、詰め物は来年に延ばしたほうがいい。今日は抜いた神経の跡をクリーニングするとのこと。いやな予感がして、痛いのかと聞くと、前回と同じくらいかなーとにっこり笑って言い切った。覚悟を決め、治療を受けているとちっとも痛くない、これは、今日は神経がないからかと安心し始めた頃、神経跡の内壁を削っていた道具が歯の根っこを超えてその下に入る。これは痛い。凄く痛い。呻いていると、でもこれやらナイトねーとか言ってこの作業は続けられる。残酷な女医だ。また、二時間弱の治療を終えてぐったりだ。帰り際、少しはいいこともなきゃってことで、シレナ1階のフランス食材売り場へ。クロワッサンを買ったついでにショーケース内を見ると旨そうなチーズがずらり。これ、カットして1ピースでいくらと言ったら、はっきりしなかったが、200円くらいと聞こえた。会計をしてみると、クロワッサン4個とチーズひとかけらだけで、なんと2000円弱。伝票を見るとチーズひとかけらが1000円以上だった。自宅で試してみたが、値段の割にはって感じ。アンモニア臭はきつかったけど。さすがフランス食材。明日は仕事後、この間の忘年会のダンス大会で活躍してくれた分析Gとの飲み会だ。楽しみだけど、あんまり飲めねーだろーな。
24日(水)
治療後2日だが、今日は本格的に痛くなってきた。やっぱりコリャ何かあるかもね。歯茎の中で化膿してんのかなー。明日はまた治療の日だけど、また痛い一日になりそーだな。
23日(火)
昨日は神経抜いてから痛みもなく、鎮痛剤も使わないで過ごせたが、今日の午後から少し痛くなった。鎮痛剤のんで寝よ。明日は朝テニスできるかなー。
22日(月)
うーん。今日の歯医者は痛かったなー。先週末よりずきずきし始め、昨日と今朝は最悪の状態で、腫れるし熱を持つしでどうしょうもない状態になった。仕方なく、また朝電話をして、いつもの歯医者に午後から行った。ベトナム女性の歯医者からは、これは原因が明らか、神経部分が化膿している。治療の唯一の方法は神経を抜くことだそうだ。こういわれれば従うしかない。神経を殺し、抜き出した。その後はその部分のクリーニングだ。これは、痛かった。歯医者に来る前より痛かった。二時間弱の治療で、見も心もぼろぼろになった。でも、気を持ち直し、予定のベトナム少数民族の酒を直販店に買いに行った。グレードはdiamond 1, gold 2 でしめて一万円だ。これも大きな出費だった。歯医者の350ドルとあわせると、5万円位になる。しかも、正月帰ったときに子供に何か買ってやらなきゃだ。この正月は財布の中もぼろぼろだ。
21日(日) chua huong 香寺巡り
いつだったか、huong son に行った時、船に乗らないかとしつこくさそわれたけど、歩きたいからと断ったところが、ベトナム人には非常に有名な香寺だったんだ。何か惜しいことをした気分になり、行ってきた。先週は寒くて酷い目にあったんで、今週はタクシーで行くことにした。こっちのローカルタクシーだとなんと、往復で三千円以下だった。朝八時半に家を出て、9時前にはhuong son 街に入るが、ここで何故か、タクシーを止められ乗船チケットを買わされる。船でいくつかのお寺を回れるチケットが450円なので一安心だが、何故か不安が残った。その不安はタクシーが船乗り場に乗る前に的中した。まずは乗り場前に元気のいいおばさんたちに車を止められる。このときのおばさんたちの顔はまるで地獄の金の亡者だ。日本人だからいくら取れるかを計算している。乗船チケットを見せると、これは6人乗った時の料金で、この時間は他の乗り合いの人間がいないからあと、2500円で一人で船を貸しきれると持ちかけられる。いろいろアイディアはあったが、他の場所に行って乗り合い客を探しても、ベトナム語対応になるので、あっさりあきらめて言われるままに料金を払い、乗船した。左写真は、その交渉と関係ない船漕ぎのおばさん。一人で出発するのは、いいが、下手な英語でお金をふんだくろうといろいろしかけてくる。朝から歯が痛く、機嫌も悪かったので黙ってろといっておいた。この船もお寺から帰って来たときに待っている保証はないので、いったい外国人からいくらふんだくろうとしているのか不安になり、なおさら歯が痛む。サパやニンビンの一部など、本当の観光地は、観光業を民間に委託し、こういったぼったくりを防ごうという姿勢が見れる。あまり、外国人が訪れない中途半端な観光地は、ぼった繰り放題だ。船旅の景色はいいが、こうして機嫌は悪い。
船が待っているかどうかの不安を残し、上陸して山頂付近のお寺を目指す。ここは、いくつものお寺の集合体をchua huong 香寺としている。参道はいくつもに分かれていて、右写真のようなお寺をみることができるようになっている。
左写真のこの門は15世紀の建造時のものじゃないかな。メインの建物には香寺と中国語が入っている。香寺の名前の由来は知らないが、チョッと変わった香を使っているようだ。
そしてまた少し歩くと、自然の石灰岩を領したお寺もある。洞窟なんかは古代からの人間の住処になっていたはずだし、山の洞窟とお寺っていうのはやっぱり相性がいいようだ。見ていてほっとする。
ロープウェイを使わずに登ってきたが、結局ほとんど止まっていたようだった。歩きで正解。やっと頂上付近だ。ふと道端に目をやると、こんな階段が洞窟へと続いている。
オッと、これが今回のメイン、chua huong 香寺だったんだ。しかし、感動した。写真では旨く表現できないが、この景色を見たとき、心が清らかになる。朝の料金のいざこざもスーッと心から消えてなくなる。外観も野性味がありすばらしいが、
洞窟の中は、なめらかな鍾乳石に囲まれ、仏様がきらびやかに鎮座している。切り立った岩などなくほぼ全体がなめらかで芸術的な鍾乳石でてきている。外観、規模、岩の質とここを寺院にしたのはうなずける。そして、寺院として、ベトナムで代表的なものとなっていったのもうなずける。
下山はロープウェイを使おうとしたが、やっぱり止まっている。うーん、ベトナムの公務員って・・・。お寺には多くの坊さんもしくは修行者がいた。別に感化されたわけじゃないが、昼飯は、この芋類にした。左端の芋はくわいみたいで野性味があり、旨かった。ここでは、3種類と芋と、鶉の卵2こで100円。半端な観光地なのに、ぼらなかった。ちなみみ、帰りは船は待っていたが、俺貸切の船のはずなのに3人も別の客が乗っていた。そして、下船前にチップまでしつこく請求されたが、仏様のように、静かに何度も断った。
20日(土)
今日は、組合主催の忘年会が2時から始まった。といっても、実質は今日一日はパーティーのための一日だった。もっというと、この一ヶ月この日のために各職場ではプロのダンス指導者を呼んで訓練していたんだ。こういった努力の甲斐もあり、今日のパーティーは素晴らしいものになった。した写真左は、各職場リーダーの英会話勉強チーム。右写真は、職場対応のジェスチャーゲーム。ベトナム語なので何にも面白くない。
左写真は、品証チームによる民族舞踏。右は、排水グループによる民族舞踊だが、半分以上がお釜役。
左は、分析チームによるセクシーダンスショー。やってるのはほとんど未婚の女性だし、文句なしの一等賞。右はオフィススタッフによる同じくセクシーダンスショー。今回は良くがんばった。
19日(金)
今週も明日が最後の日となった。体調は余りよくないけれど、朝テニスは、今日で3連続。今日は久しぶりに4人以上集まりゲームができた。いつも一番下手なおじさんと組まされるが、今日は二連敗だ。みんな旨くなってきた。明日は勝てるかな。さて、明日は会社の忘年会だ。午後二時から始まり、夜8時以降まで、会社側の説明あり、組合の説明あり、そして、メインイヴェントは、各職場代表によるダンスショーだ。そのあとが宴会になる。少し楽しみだね。去年は凄かったモンなー。
16日(水)
のどが痛く風邪引きの前兆があったが、朝テニスを強行し、一日がスタートした。しかし、久しぶりだ。朝テニスに誰もパートナーが現れず、サーブだけ打って帰ってきたのは。多分、朝は初めてじゃないかな。でも、今朝は非常に寒く10℃以下だったからね。明日も試しに行って見よう。
15日(月)
昨日に引き続き、今日はincohotelにてポンプメーカーさんと会食。昨日は体力回復のために、豪快に飲んで食ったけど、今日は同じことやったらまた痛風の発作が起こっちゃうよな。冷静に過ごしずつ飲むことにしよう。相違や、明日も多分ハノイで会食になるな。こりゃたまらん。
14日(日) 最後の最後に見つけた hoa lu
もう何回も行ったニンビンだが、まだ名目上のNo.1観光地のホアルーにては行ってない。どのウェブを見ても行く価値はなさそうなところだが、やっぱり1000年前のベトナムの都の遺跡だ。行ってみないと気がすまない。そんなわけで、今日もスタッフのバイクを借り、寒い中にホアルーに行ってきた。ベトナムの他の観光地同様、ホアルーの位置はグーグルマップでさえ不明確だ。このため、場所を探すのにほんとに苦労したが、あきらめかけていた午後の4時半やっとみつけた。中は予想通り見る価値のないところだったが、なんか達成感がある。急いで帰宅し、中国人出張者とtu co にて、夕食し、今帰ってきた。夕食は鳥料理にしたので、冷えた体はあったまり、明日は出社できそうだ。下写真左は、バイクで出発直後の道。石灰質な山の宿命か、見渡す限り山は無残に削られている。国道はあぶないので、川沿いのこういう小道を行くことにした。まず最初に到着したのは、tran an寺院。ここからの川くだりは有名だ。
寺院の様子。建物は比較的新しい。季節には大勢の環境客が集まるニンビンの超有名スポットの一つだ。寺の建物の中ではベトナム民謡ショーをやっていたが、今日は見る人は誰もいない。
グーグルマップでみるとホアルーは、すぐ近くだったので歩いて探すことにした。こういった景色のなか、歩いて探したが見つかりそうで見つからない。景色的にはすぐそこって感じなんだが・・・。でも、鳥のさえずりとこの景色は歩くだけで気持ちいい。
二時間以上も歩いて探したが見つからない。仕方がないのでまずは、trananの川くだりの船に乗ることにした。まずは、右写真のような岸に着き、お寺などを見学して又船に乗り込む。
そして、水面ぎりぎりの洞窟を舟でゆっくりとかいくぐって行く。ほんとに頭すれすれの洞窟だ。こうゆう洞窟が4つくらいはあったかな。
そして、また川岸に上陸し、こういった祈りの場などを見学する。この繰り返しだ。この辺りは水路が複雑に入り組んでいるので、神秘的な景色になっている。
3,4回繰り返しただろうか、上陸と乗船。でも、他の客は、あまり上陸していないようだ。どうやら、舟こぎのおばちゃんにリクエストしなけりゃ上陸はしてくれなさそうだ。この舟には、俺と日本人一人それとベトナム人2人の乗り合わせなので、お役人のベトナム人がこまめにリクエストし、いろいろな場所で上陸させてもらっているようだ。しかし、川くだりを始めてすでに4時間が経過している。俺ももう一人の日本人ももういいから戻りたいっていう気持ちになった時に、戻ることができた。すでに、午後四時だ。寒いし、けつも痛い。終わって良かった。でも、時間に余裕があるのなら、この川くだりは絶対にいい。ニンビン観光では最高のものだ。さて、今回の目的のホアルーだが、旅行客の日本人が地図で位置を教えてくれた。夕方は中国人と食事の予定があるので、ぎりぎりだが、行ってみることにした。
やっと見つけたホアルー。一時期のベトナムの都の遺跡にしては少し規模が小さいかな。しかも改装中。しかし、残っている遺跡の価値は素晴らしい。ベトナムではめずらしく、芸術的でさえある。
このホアルーの門構えは、他のベトナム遺跡のものと共通している。どの遺跡の形が起源なのか。ぎりぎりにフーリーに戻り、鳥料理屋にて食事。バイク旅行で冷えて疲れた体に、ジオと鳥料理はじんわりとしみこんで、元気にさせてくれた。
13日(土)
休日の土曜日、午前会社にでて、疲労した体を癒しにハノイのhung sen に行ってきた。サパからの帰りに二人に評判良かったので改めて今日行ってみたが、確かにスマート(ビジネスライク)になったような気がする。マッサージの手順もレベルが上がってる。でも、リラックス感はこれまでのほうがいいかな。何かベトナムのマッサージって感じがしない。仕事にむらがないし、リズム感がある。やっぱり俺には気持ち次第で仕事も変わる昔ながらの家庭的な雰囲気のところが向いているのかな。
11日(木)
サパ帰り二日目。朝は比較的元気よく、朝テニス。一週間ぶりなので、筋肉痛だ。旅行から帰り酒を断っているが、旅行中の不摂生のせいか、左足首が又痛む。痛風発作の再来か?
7、8日(土、日) かおり、ゆきのハノイ着とサパ一日目
午後1時にノイバイ空港に着いてたらしい。ana便なので、羽田発着だ。このくらいの時間に着けると俺もらくだね。でも、ローカルタクシーに乗っていったので俺が遅れてしまった。まずは、サパの少数民族の予習として、コウザイにある少数民族博物館に行って見た。ここは、室内には各部族の風習や古来からの道具、着物が飾ってあり、屋外にはおのおのの部族の家が転居され展示されている。竹の壁や床、屋根の形の不思議さなどに驚いていたようだ。それて、水上人形劇を丁度やっていて、これはラッキーだった。
このあと、ホータイのel gaucho で食事をした。ステーキメインの食事だったが、大酒のみのゆきののおかげで、いろいろなものを注文させられ、結局アルコール類の分もあり、4万円近い出費となった。こりゃ、メトロポールのフランス料理以来の高額出費だ。その後、ハノイB駅に移動し、9時10分の寝台列車にて移動した。4ベット1ルームの寝台なので、行きはドイツ人エンジニアと一緒だった。お土産の山崎を飲みながら話したので、何をしゃべったのかまったく覚えてないが、いい青年だったと思う。朝7時にラオカイに到着し、ホテルの送迎バスにてサパに到着。ホテルで荷物を少なくしてから、早速カットカットへトレッキング。10度を切る低温と霧雨のため、道はドロドロですべり易い。ホンとの冒険旅行となった。まずは、かっとカット村の入り口付近。霧が綺麗だ。
定番の滝。そして、その近くにあったダンス小屋。ここは前回は来ていなかった。のどから民族舞踊だ。
そして、地図に載っていないケモノ(地元民用)道に入ってラオチャイ村を目指す。右写真を撮った少し前の道を歩いていると、突然悲鳴が・・・。何かと戻ると、後ろに着いてきていた老夫婦の旦那が足を滑らせ骨折との事。ガイド二人をつけていたのですでに当木で固定しているところだった。こんなところで前回のように俺一人で骨折したら、死んでいたかもしれないね。こりゃ冒険旅行だ。
途中の村まで来ると、右写真の妊婦がガイド役を買ってでた。どちらにしても、道がわからないので頼むことにした。しかし、妊婦だってのに、ぬかるんだスリッピーな道を何の不安もなくすばやく歩いていく。やっぱり強い。
こんな橋のない川もわたらなきゃならない。トレッキングらしくなってきた。更に悪路を2時間歩きやっと目的のラオチャイ村に着いた。でもゆきのは相当疲れたらしく、(転んで泥だらけになっていたから)ラオチャイ村の入り口からバイクに一人250円で乗せてもらい、サパに帰った。この日の夕食は疲れて寒いし、外に出る気になれず、近場でふっとマッサージ7ドルのあと、ホテルのレストランでサパのきのこ鍋メインの食事をして寝た。
9、10日(月、火) サパ2日目と帰国
翌日はトレッキングのパックでvan ho へ行くことにした。ホテルのフロントのオネーチャンに勧められた120ドルのやつだ。どんなに素晴らしい場所かと思ったらこれが・・・。
村に着き最初の見学先は、なんと水力発電所。なんでここに来なきゃならないの?そのあとも、いろいろ村の中を歩いたが、これといってめぼしいものはない。村のあちこちではホームステイ用の家を新増築しているけど、やっぱり思った通り、最近めっきりお客が減ってきたとのこと。この日ももう一組とあっただけ。観光客がはるばる何を求めてやってくるのかを理解してねーんだよなー。
このホームステイ家屋の料理用の囲炉裏はいい。でっかい自然石を利用した炊事場だ。ここで、ここいらで取れる野菜を煮たり、炒めたりして食べてみたい。さて、まだ12時前なのにトレッキングは終わり、サパへの道の途中で食事することになった。右写真がそのお店だ。トイレに行く下の会への会談は古びている。トイレはもっと凄かった。食事はフォーとヨーグルトとサパで買っていった果物のみ。こりゃやられた。ぼったくりだー。
帰りは7時半の寝台列車にてハノイへ出発。今度はアメリカ人の獣医さんが同室だった。トライアスロン、写真、旅、イラスト作成と趣味多彩の人間だ。しかも喋り好き。この人も楽しかった。もしかしたら、生き返りのこの出会いがこの旅の一番楽しかったことかも。ハノイでは、日航ホテルで朝食と時間つぶしをし、家族を再度マッサージ店に案内してから自宅へ戻り、準備をしてから出勤した。疲れたー。
5日(金)
一週間も大きな問題もなく終わった。明日は家族とサパへ旅行だ。しかし、寒いだろーな。最低は7℃を切るとの予想だ。風邪引かなきゃいいんだけどな。
3日(水)
キンマーのファミリーメディカルプラクティスに行って、結膜炎の回復状況を見てもらった.だいぶ良くなっているようだ。でもあと5日同じ点眼剤を使うようにとのこと。こっちに来て結膜炎で数回病院にいったけど、日本で赤眼で病院にいったことってあったかな。たぶんないな。すぐ直ったし、そう思っていたから。でもこっちは何か怖い、熱帯にはあらゆる種類のウィルスや病原菌がすぐに繁殖しそうな雰囲気がある。聞いたこともないような症状も聞いたことがある。やっぱり病院にすぐに行くべきだろう。しかし、赴任の年やその次の年くらいまでは、つきに2,3回下痢してたし、病院に良く行ったけど、今年は何回下痢しただろう。多分ここ2,3年は、ほとんどベトナムでは下痢してないな。体質ってのは良く順応するようにできてるんだね。
1日(月)
さあ、12月の始まりだ。って言っても特に前月までと変わることないけど。日本の感覚じゃ年末ってことで、いろいろ慌しくなるけど、こちらは無関係だ。来年もほぼ年始から仕事を始めるし、現場は休みなく働いている。しかし、iphone app の find friend は面白い。こうゆう広がりかたは確かに市民の生活そのものを変化させるね。世の中面白くなってきたなー。
昔の写真
これは新婚旅行のハワイの写真かな?しかし、太ってるねー。もうこの頃は体重70kgは軽く突破し、毎年1kgづつ太っていった時代だね。顔はその前兆が現われてる。しかし、年取っても若い時と考えてることはほとんど変わってないね。換わったのはあの当時の無限とも思える体力が今はないってことだけだ。しかし、ホンと最近はいつもどこかしら体に不調がある。