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日記2014年10月

 

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今月の一枚

奥入瀬渓谷

webの整理で赴任翌年に帰国した時の写真を見つけた。奥入瀬渓谷、酸ヶ湯、種差海岸、八甲田と東北大地震半年後の青森旅行を楽しんだ。あれから3年が経ってたんだ。このころからやっとこの日記も始める余裕が出てきたんだよなー。なつかしいね、あの頃の不安、悩み、真剣さが。よく夜中にうなされ目が覚めたもんだ。今は日曜日の朝など、楽しくで2時3時に目が覚めてしまう。そろそろ次の挑戦の入り口に立ってもいい時期かもしれないな。

 

 

 

 

 

31日(金) 

 10月も無難に過ぎていった。最近、やることがマンネリ化している。今日もいつものビアホイに行き、生ビール二杯とやきそばと野菜炒め。いつもとおんなじだ。あまりベトナムの文化にも興味がなくなってきた。でも、明日出勤後の日曜日は、バイクを借りてトレッキングに挑戦だ。ここから2,30kmのbasaoに再度チャレンジし、山登りをやって来るつもり。トレッキングシューズを日本でかったもんだから、早く試してみたくてしょうがない。グーグルデミル限り景色はとってもいいところだ。日曜日が楽しみだ。ちなみに明日は通常の出勤日で、そのあとlさんの誕生日会がハノイのモン族のレストランで行われる。あの竹虫のから揚げがあるといいなー。

30日(木) 

 昨日午後空港に着き、その足で面倒な銀行に行き、あれこれ無為な時間を過ごした割には今日はすっきりとおき、朝テニスもできた。でもやっぱり午後は眠かったな。それでも特に酷い疲れは残らず今日は定時で帰って来た。明日働けばあさってからは休みだなー。しかし楽な仕事だねー。さて、今週末はどんなところにトレッキングに行こうかな。

29日(水) 

 一週間ぶりの日記になるんだな。先週の金曜日の深夜に出発し、今日日本出張から帰って来た。内容的には楽な出張だったので、土日を休日にあてりらっくすできる日々を過ごした。でも、パーティー料理屋やイタリアンレストランがあったから、体重は明日は怖くて量れない。しかし、サークルで週三回やってるだけあって基は凄くテニス旨くなってたなー。あれでなんで俺に勝てねーんだろー。やっぱ親父の大きなイメージが勝負した時に緊張に作用し、大事なポイントを落とすのかな。しかし、今回の日本では成田の引き出し以外、あのデビットカードはつかえなかった。ベトナム人のあほなスタッフに翻弄され、さっきハノイの支店までいってきたけど、時間のむだだった。ほんとにおつむのレベルが低い。まあ、ニュージーランドの銀行だから途上国の人の使い方や教育のしかたはしらねーんだろーな。勝手に人の講座をブロックして、連絡もないなんて、信じられねーことだよ。下左写真は、イタリアレストラン。こんなテニスコート近くの田舎に、しっかりとした料理を出す、居心地のいい建物のレスランがあった。日曜日の12時前に行ったのにすでにいっぱい。20分ほど待った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

久々の昼の便で、富士山を山梨側からみた写真。最近はこうゆうサービス的な航路にしてるんだ。南アルプス、濃尾平野、瀬戸内、九州と、日本一周の気分だった。右写真は、相変わらず汚いうちのリビング。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

23日(木) 

 今朝体重量ったら、あんまし増えてない。週末サパ旅行の後、朝のテニスはおろか、ランニング、散歩さえしてないし、ある晩は、ビアホイにいってさんざん飲んだのに。やっぱり、高原トレッキングんってのは体にいいんだねー。しかし、日本人出張者にはストレスが溜まる。

22日(水) 

 今週末は、日本だな。丁度免許のゴールドカードへの更新ぎりぎり日程に間に合ってほんとに良かった。やっと、先週末の疲れも取れ今日から朝テニス行こうと思ったけど、雨だった。まあ、無理してやるより明日ゆっくりやったほうがいいかもね。仕事もまあまあ順調だー。

2014年10月18-20日 サパ独り旅 

 金曜日の夜行寝台に乗り、ベトナムの高原リゾートサパに行ってきた。だいぶ時間を費やしたトレッキングで健康状態は非常に良くなった。でも、今日月曜の朝に寝台で着き、日航ホテルで時間をつぶしてから仕事に行ったけど、やっぱり疲れたなー。しかし、この疲れを上回る魅力がサパにはあった。又行って見たいと思う数少ない観光地だ。まずは、マッサージに行き、仕事の疲れを取り寝台列車に備える。列車内で旅行会社の人間が切符を仮のから本物に替える約束だったが、案の上時間に来ない。列車の発車の遅れを見越して遅れてきた。こうゆう時のベトナム人のルーズさは、はらはらさせてくれる。寝台は、一部屋に4ベット、シンガポールから来たと言う3姉妹と同部屋だった。いまやシンガポールの一人当たりGDPは日本より上。彼女たちも日本を含めたくさんの海外旅行に出ている。

 

 

 

 

 

 

 

やっぱり寝台ではそんなに眠れない。朝7時にラオカイに到着したが、眠い。そこからサパまでホテルのバスに乗り1時間強の移動をする。予約したホテルは比較的新しいサミットホテル。高原特有の霧につつまれいい雰囲気だ。この辺りは多分ヒノキだと思うが、木の香りが充満している。ハノイとはだいぶ違う質の空気だ。澄んでいて軽い。

 

 

 

 

 

 

 

サパ市内は、湖の回りに広がっている。規模と雰囲気は、日本の白樺湖って感じかな。サパ周辺は、景色は長野の高原地帯、田んぼや民家は東北地方の田舎って感じ、ラオカイ周辺は、秩父に良く似ている。街中で小さな雰囲気のいいレストランを見つけ、朝食を食べる。ハノイで思ったことだが、サパの野菜は旨い。でも、このお店の野菜は思ったほどではなかった。でも、新しい発見。ラオカイビールは相当旨い。ビアラオやミャンマーのビールの系統で澄んだすっきり系のビールだが、黒ビール的な味も強い。これはいいもの見つけた。

 

 

 

 

 

 

 

ホテルで紹介された3,4の少数民族部落の内、まずは近くのカットカット村に行くことにした。棚田と山と矢にのコントラストがいい。ここは一番有名なところなので、もっとうるさい客引きをするかと思ったが、以外におとなしかった。

 

 

 

 

 

 

 

この村の一番の名所の滝。急勾配の階段を上り下りしてやってくるだけに、いとおしく感じる。でも、綺麗な川や滝に慣れている日本時にはそれほどのものでもない。近くにはこんなお店があった。睡眠不足で疲れていたので、竹の中につまったご飯と水牛の肉を食べた。これは旨い。

 

 

 

 

 

 

 

少しは元気もでたが、次の村ライチャウに行く交通手段がない。でも、12kmと聞いたので歩いていくことにした。道を聞くとこっちだとただそれだけ。この道はさっき迷って入り込み道がないので戻ってきた道じゃないか。トレッキングコースにさえ乗っていないしやな予感はしたが、景色はいいのでこの道にした。でも行けどもいけども人と会わない。おまけに山の道になっている。所々道がはっきりしていない。頭は不安だが、景色がいいのでこのまま進んだ。

 

 

 

 

 

 

 

綺麗な水が流れているが、よく見るとこの先は滝になっていて断崖絶壁じゃないか。藪に隠され見えないが一歩間違えば転落なんてことになる。だからトレッキングコースには認定できないんだな。適度な危険と山谷コースで気分はアドベンチャー。しかし、疲れがでてきたところで、人里に下りることが出来た。これがラオチャイか?でも甘かった。ここで約半分。この先も前半と同じくらいの難所だった。

 

 

 

 

 

 

 

この集落でいろいろ声をかれかれながら歩いていくと、なぜか子供が二人ついてきた。後でおばさんに聞くとラオチャイまでのガイドのつもりだと言う。まあ、集落部分を少しガイドしてくれたので、100円ずつあげて帰すつもりでありがとって言ったが、離れようとしない。でも、このとき帰していたら、多分ラオチャイの村にたどり着けなかっただろう。右写真の女の子は民家からでて、美人だなって言ったら、写真撮影時にぽーずまで撮ってくれた。しかし、サパ周辺の少数民族の女の子は美人が多い。でも、歳取るとどうしてみんな凄い顔に変わっちゃうんだろ。美人は都会に出て、残った人達はここの強い紫外線にやられ、顔が早く歳取っちゃうからかな。

 

 

 

 

 

 

 

こういった道なき道を行かなきゃならない。これでガイドいなきゃさすがに戻るしかないよな。おまけに山の急斜面は、ぬれてて滑りやすい。こんな悪路を後ろの俺に気を使いながら、歩きやすいように道を整備しながら進んでいく子供たち。トレッキングシューズなどあるわけはなく、ハノイでも良く見る貧弱な白いサンダルで悪路をバランスよく散歩のようにこなしていく。歳はまだ6歳だ。へとへとになりもうだめかと思ったところで峠の茶屋らしき店があったので、入る。子供たちに好きなものを選ばせるが、ぴんとこない様子。缶の蓋の取り方も知らない。そして飲んだら、何これ!って感じの反応。そうか、この子達は、コーラやスプライトなど、炭酸飲料の缶入りは飲んだことないんだ。うーん、いいねー、旅してるって感じだ。この先はまっすぐ行けばラオチャイに着くというのでここで別れた。後はトレッキングコースだった。ラオチャイからタバンまではお土産屋が脇にある平坦な道を歩いた。やっぱり上り下りがないとほんとに疲れない。タバンからやっぱり乗り物を探したが、バイクの後ろに乗せてくれるセーオームというのがあり、これで300円でサパまでもどることにした。ホテルに5時頃着いただろうか。もう動く気にもなれない。でも、着替えて近くの赤モン族が経営しているお店で食事をした。持って行ったウィスキーも飲んでいたため酔っていたのもあり、予定していたサパ市内の夜の観光断念した。ホテルに戻ると10時間寝た。

 

 

 

 

 

 

 

翌朝の目的地2つはサパから反対方向にあるし、少し遠いのでレンタルバイクを借りることにした。これで、村から村への交通手段の心配はしなくてもいいし。気軽にいろいろなところに立ち寄れる。まずはタックバック村を目指して走っていたが、しばらく走って行くと道路標識に、2つ目の目的地のタフィンの文字がある。どうも、反対方向に走ってきていたようだ。俺ってこんなに方向感覚悪かったかな。仕方ないのでまずはタフィンに行くことにした。この街の教会。恐らく彼にとって教会ってのは日曜日に集まりみんなでいろいろなおしゃべりをする集会所みないなもんなんだ。とても楽しそうだ。少し走るとそのままの生活を紹介する山間の村落に着いた。こういった赤モン族の女性が自宅を紹介し、お土産を買ってもらうというのがスタイルだ。

 

 

 

 

 

 

 

家はほんとに簡単な構造だ。隙間だらけの木の板の壁に焼き物の波板の屋根が乗っているだけ。左写真は、流し場、この水瓶にお湯を足し、体を洗うんだそうだ。右写真は、ベット。それと、土間に直接穴をほって作った囲炉裏があるが、数世代で澄む時はこの囲炉裏を増やして2,3になる場合もあるんだと。赤モンの赤は帽子の色だが、この帽子、凄く重い。これは昔頭にいろいろものを載せて運ぶためのものかもしれないな。

 

 

 

 

 

 

 

もう少し、バイクで走ってみるとこんな洞窟に行き止まり。ここでもさんざん多くの子供ガイドに誘われたが、流暢な英語をしゃべるこの女性にした。一見小さな洞窟だが、中は狭くて長い、中でいくつもの狭い道に分岐しているし、そういったもので3日探検しても行き止まりにならないものもある。また、柵もないので、すべったら転落し大怪我するだろーって場所も。前日のカットカット同様ここも整備されていない観光地なので冒険気分になり、出てきた時は上着は汗でびっしょりだった。さて、この村もここで終わり、帰りはこういった高原特有の景色を眺めながらサパの反対方向にあるタックバックを目指した。

 

 

 

 

 

 

 

今度は反対方向に走ったので間違いなく目的地方向だ。それにしても、サパ付近の複雑な道路交差状況を改めてみて、なぜ間違えたのかを確認した。国道って言っても太くないし、標識もあんまりでてなのと、サパ付近では微妙に折れ曲がってるからだった。ここから15kmほど走ると、ホンとは午前の目的地のタックバックだ。といっても少数民族の部落があるわけではない。ご覧の滝と魚料理が名物の場所だ。滝の右隣には、かなり急角度の道が平行に走っているのが見える。多分これは木材の滑り台だろー。でも、この道を滑りながら降りてくる現地人も見える。こりゃ、他の観光地と同じように、危険なおもいして滝のトップから降りてこなきゃいけねーのかなーと思った。でも、さすがにこれはなし。滝の中腹で散策道は橋を渡りくだりに転じていた。少しほっとした。登りでこれまでの疲れでひざが笑っていたので、あすこまでの登山は不可能だとあきらめていたからだ。道がなければ行かなくてすむってところだな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここで、大きな鱒を食べ、少し休憩してからサパに戻った。バイクなのであんまりじっくり見れなかったけど、やっぱり高原特有のいい景色だったなー。サパについたら、まだバスの時間まで一時間以上あったので、豚フォーを食べ、ベトナムには珍しいエスプレッソを飲んだ。写真手前がレンタルバイク。エンジンはかかりにくいし、前輪から異音がしていたので、ほんとにこれ大丈夫って確認したけど、なんとか一日は持ってくれた。カンボジアではいいホテルのレンタル電気自転車だったけど、途中でバッテリーが切れ酷いめにあったが、ここではなんとかなった。運が良かった。5時に宿泊したホテルに行くと、バスに乗るのは俺一人だった。ラッキーと思いきや、ベトナム人がそんなもったいないことするわけはない。別のホテルに行き、しかもバスを替えられた。列車は7時半初のハノイ行きだが、ベット番号が行きと同じだ。もしやと思ったらその通り、行きのシンガポール3姉妹とまた同室だった。ハノイでは5時半に着き、行くところがない。しかたないので日航ハノイに行き会社への車を待った。手持ち無沙汰だったので朝食ブッフェを頼むと、なんと会計は2200円。この旅行で一番高い値段の食事になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

16日(木) 

 さて、明日の晩は、9時の列車に乗ってサパ旅行だ。土曜の朝着き、日曜日の夜ラオカイ発の列車だから、向こうで退屈するほどの時間がある。ご当地に自生している大麻でも試してみるか。

15日(水) 

 さて、来週の日本行きのチケットも手に入れた。VNってとこが少し気に入らないけど、まあどうせマイレージはたまらないしどうでもいいや。今回は仕事の合間なので、あんまり楽しみじゃないな。

13日(月) 

 昨日のファーストフードが悪かったのか、酒と甘いものと取りすぎのせいなのか、今日は朝から酷い下痢だ。せっかく週末に落ち着いた体重もいまはめちゃくちゃな状態だろーな。さてと、24日の日本行きが決まった。今週末は、サパに行く予定なので体調管理はしっかりやろう。

12日(日) 

 出張者対応で疲れが出たせいか、この土日はどこにも行く気がしなかった。朝テニスを1時間で切り上げ、フェデラーとジョコビッチの準決勝を見ようとしたら別の準決勝だった。もう、テニスに戻るわけにもいかないし、試合もつまんないので酒飲んでフォーを食べに行ったら何故か酷い良い方で1時半まで寝ていた。しかも酷い頭痛。でも、一時半からの準決勝は感動した。久々にみるフェデラーの完璧な試合だ。これじゃ、少し勢いの落ちてきたジョコビッチでは勝てないし、いいポイントで得点していた。その後は3時半からシモンとの決勝。ゲーム差よりは試合の内容はフェデラーに傾いていたが、定石どおりのテニスで優勝。そろそろ神の領域に入ってきたなー。夕方になり頭痛が治まってきたのでマッサージのあと、この町の唯一のファーストフード店にて夕食。これはやっぱり酷い。やめときゃよかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

10日(金) 

 出張者は、今日みんな帰ってしまった。ベトナムでは今日は開放記念日の祝日にて、ハノイではあちこちで花火大会が開かれる。工場は比較的安定しているし、近々の課題もない。明日は半日働くとしても、この土日はどう過ごそうか?なんか寂しさを感じる。夕飯は久々に池の傍のビアホイへ行き、イカの蒸したのと、上げ豆腐をたべた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

9日(木) 

 出張者の設備o,i氏、技術i,t,k氏とハノイの紀伊にて食事。久しぶりの刺身は旨い。いいちごもすんなり体に入る。やっぱり週二回程度の酒は体にいいのかも。でも週末はまた体重増えるだろうな。さて、今週末は、なにして過ごそうか

8日(水) 

 先週の日曜日に引き続き、今日も結婚式前夜祭だ。今日の酒は度数高かったなー。何であんなに強いの作れるんだ?この屋根があるだけの倉庫のような建物内で結婚式をやった。さびた鉄骨が落ちてこなくて良かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

7日(火) 

 10月も特に大きなイベントはなく、比較的穏やかに過ぎていきそうだ。こうゆう時は出張に限る。カザフスタン、フィリピン、インドどこにしようか。

5日(日) Thanh Hoa の結婚式

 エンジニアの一人が今週月曜日に急に、週末は結婚式なのでthanh hoa に来てくださいとのこと。バスで行くのも味気ないし、時間もみんなと会わなかったので、前泊含め列車で行ってくることにした。この街は以前からもう一度行って見たいと思っていた街だ。中部への入り口、海と山に囲まれ、山からの綺麗な川が走る、街のはずれはラオス国境だ。sam son という綺麗なビーチもあり、今後の観光地として将来が期待されているところだ。以前は出張できたが、この料理はベトナムで最高のものだった。今回は料理だけでなく、

 

 

 

 

 

 

夜の自由な文化度の高い面もみることができた。これだから、旅行は面白い。行きは通常のシートが予約できず、しかたなく木のシートで3時間弱を過ごした。

さすがにけつが痛くなる。でも不思議とそんなにストレスたまらないでいくことができた。これから自由だーってな気持ちになってると疲れないんだなー。

 

 

 

 

 

thanh hoa に到着。駅前通りはご覧の通りだだっ広いゆとりのスペースを持つ道路になっている。やっぱり、汽車はあまり有効な移動手段ではないので、ベトナムでは、かならずしも、駅前が待ちの中心地ではない。そして、この駅前通りを右に切れるとなんと過ごしやすそうな場所があることか、翌日この公園のすぐ隣が結婚式会場のエンジニアの家だとわかった。

 

 

 

 

 

 

 

上の写真は、カラオケ通り。この通りのお店はすべてカラオケだ。ここの人達は歌うの好きなんだね。ホテルは、ウェブで予約したが、電話番号もなかった。しかも、ホテル名は変わっているし、住所も正しくない、このホテルを探すのに1時間をかけた。しかし、ハノイでは住所はたまに間違っている程度だが、この街となると住所で目的の場所を探すのはかなり困難なことだと翌日の結婚式会場にたどり着くときにわかった。でも、部屋の

 

 

 

 

 

 

 

 

中もなかなかいい。フロントもしっかりしていた。不思議な街だ。近くにはこんな旨そうなビアホイもあったが、目的の絶品料理を食べさせるレストランに行きたかったので、入るのを我慢した。

 

 

 

 

 

 

 

 

ここが、絶品レスラン。記憶ではもっとずっとおおきかった。地元の経営者が連れて行ってくれたため、恐らく料理自体のクラスも上だったんだと思うけど、兎に角ベトナムで一番感動したレストランだった。この魚のスープはほんとに旨い。何で名前の魚だろ。今度は調べてから行こう。しかし、大人数でいくのと違い、一人でいくレストランは、注文がほんとに難しい。あきらめて会社のAさんに電話し、注文してもらった。

 

 

 

 

 

 

 

 

腹いっぱいになったあとは、夜の街の散歩。この街はいたるところでジャズの演奏をしている。大人のまちだったんだ。とても雰囲気がいい。夜に活気が出る街は素敵な街が多い。

 

 

 

 

 

 

 

翌日は、タクシーのウンちゃんでさえ、住所がわからないほどの混乱振り。苦労して結婚式会場までたどり着き無事記念写真。奥さんホンときれいだったな。こんど、家に遊びに行こう。この後は案の定乾杯の嵐。午前中の結婚式で、午後四時の汽車だったが、この間酒が抜けなかった。これで、木のシートで帰ったら病気になるところだったが、しっかりエアコンの効いた約2倍の料金のソフトシートで帰れたので今無事に日記が書けている。しかし、今日は番号プレートが張ってある後ろのシートに座っていたら、女性2人が来て、それは私たちの席だという。最初は取り合わなかったが、回りを見るとどうも彼女たちの言い分が正しい。二年前は、駅員が番号プレートの張ってある後ろの席に案内したんだけど。ホンとこの国は住所から座席番号までいい加減なんだな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2日(木) 

 今日は何もない一日だった。さて、今週末の結婚式には前泊か当日早朝出発か、迷うな。多くのスタッフは、前日早朝に出発し、一日あたりの観光をしてから翌日の結婚式に望むようだ。ほんとに遊び好きだねベトナム人は。

10月1日(水) 

 tr社s,a氏の来場があり、夜はハノイにて宴会。場所は予てから行きたいと思っていたpacific place の the roof top 。雰囲気いい、音響設備いい、飲み物、サービスなかなか。でも、待望のダンスフロアーとなる9時以降。おかしなフィリピン系のバンドが入ってきて、歌い始めた。これは酷い、こんな耳障りな歌は初めてだ。すぐに店を出て砂時計に行った。なんか、家に戻ってきたが、すでに12時を過ぎていた。