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日記2014年9月

 

 

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今月の一枚

民族博物館高床式竹床の囲炉裏

ベトナム少数民族の竹製の家屋であろうと、やっぱり囲炉裏はいい。弾力性に飛んだ床で囲炉裏がゆれようとゆれまいとやっぱり囲炉裏はいい。熱いものや重量物を載せると床下の地面に落下しようとしまいと囲炉裏はいい。かやぶきとあわせ、今後の日本の家屋の中心となっていくだろう。この技術は学びたい。それと、土塀だ。触るとやわらかくひんやりしている。こういった伝統的な材料が失われていったのはどうしてだ。ただ安く作りやすい物に変わっただけだ。まずは自宅から改造してみたい。 

 

 

 

 

 

30日(火)  

 また、o,i両氏日本人出張者がやって来た。今週は、明日来客でハノイにて食事、そして日曜日は、スタッフの結婚式のため、タインホアに行って宴会だ。この間に日本人との宴会となるとまず体が持たない。まあ、よく来る出張者なんで、流れに任せよう。

29日(月)  

 夏の疲れを感じる8,9月がいつの間にか終わっていく。今年は体調を壊すことなく秋を迎えられそうだ。しかし、引き続き今日も暑い。ほんとにもうすぐ10月かってくらいに暑い日が続いている。まあ、4,5月が涼しかっただけに今年は残暑がきびしいんだろうね。でも、最近現場に長時間いることもなくなってきたな。何か寂しい気がする。

28日(日)  

 昨日は週末だったけど、どこにも寄らず、まっすぐに家に戻り、ビールも飲まずに寝た。確か夕飯も食わず、牛乳だけ飲んで寝た。3時前には目が覚め、PCをしていたが、元気だったので、テニスコートに5時に行った。普通はこれで一時間半もテニスして汗かけば体重は元通りになるんだけど、今朝は朝食会を断れなかった。ビール1ケース以上を6人くらいで飲んだが、三分の一位は俺が飲まされたんじゃないかな。今は酷い頭痛だ。一日を駄目にした。これだからやなんだよなー。でも、今気晴らしに喫茶店に行ったついでに、金属製のホースバンドを買ってきた。これで、数ヶ月の悩みだった、自転車のハンドルがすぐに曲がっちゃうってことについての問題に決着をつけることが出来た。少しくらいいいこともあったようだ。

26日(金)  

 誕生日翌日。今日はなんとか最後まで働くことができた。午前、さあ、パーティですよとの声で会議室に行って見ると誕生日の音楽ビデオがかかり、ケーキが置かれていた。何故か、こんな大げさな誕生日のお祝いは、ベトナムに来てからが最初だ。今年で4回目だね、こーゆーの。日本に帰ったら寂しい思いをするだろーな。事前に断ってはみたものの、やっぱりなんかうれしいね。下写真は、会社の会議室にて。

 

 

 

 

 

 

 

仕事は、ハノイに出て、パーティ。場所は、ロイヤルシティーというゴージャスな場所だった。そのなかのフエ料理の店で会を開いてくれた。料理もなかなかいいし、店も清潔だ。日本人もここなら連れて行ける。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

25日(木)  

 誕生日だ。こっちに来てもう五回目になるんだ。明日金曜日に工場近くでパーティーを開いてくれるとの事。ありがたいこった。体調は最悪だけど、今日も酒を控え明日に備えよう。てなわけで、今日は朝のランニングコースを自転車で夕飯をどこにしようかと回っていたら、凄いピザやさんだ。まあ、ベトナムにしては高いからお客さんはほとんどいなかったけど。27cmのピザが850円。考えてみたら、パンはなかなか旨い、海老なんかは最高の国なので、ピザの味もいい。でも油の質とにんにく過剰なのはいまいちだけどね。帰り際、ご主人から配達もできると言われた。今度、宅配してもらおう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

24日(水)  

 昨日の日航ホテルでの宴会で飲みすぎ、クーラーかけっぱなしで寝たせいか、それとも、先週末の雨のbavi国立公園での登山が効いたのか、今日は熱が出た。明日は体調戻るかな?まあ、何にもない日だから、休んでもいいかな。

23日(火)  

 購入原料の不手際の謝罪という名目で、s社f氏、s氏が待つ、日航ホテルにいってきた。喫茶店でコーヒーを飲みながら適当な話をし、本格的に弁慶で飲食した。久々にしっかりした酒と料理を食べた。しかし、この店はいつも暇なんだなー。ここほんとに高いんだローな。それにしても、こうやって週に数多くの宴会をこなす彼らってほんとに凄い体力だな。

21日(日) ハノイ近郊観光地 ba vi 国立公園 

 フン王による独立記念日は、祭日でもあり、また、紀元前2000年のまったく神代の話だ。海と山の神が結婚し、100人の子供を生み、その長男がフン王となり、その後代々王の家系として継承された。この遺跡が本当にあるならなんとしても行ってみたいが、残念ながらフン王のお寺は10世紀ごろに建造されたものだ。山を登った先に3つのお寺があるが、写真で見る限りそれほど技術的に価値のあるものでもなさそうだ。一年に一度の大賑わいするお祭りには行って見てもいいが。さらに距離はハノイから90kmあり、一人でこの距離を行くのは少し冒険的過ぎる。そんなわけで、電解エンジニアのふるさとでもある、もっと近場のba vi 国立公園に行くことにした。生憎霧雨が続く中、あまり気持ちがいいとは言えないキツイ山登りとなった。しかも、帰り際に天気が良くなってきた。日本でいえば那須高原ってところかな。条件がそろえばほんとに気持ちのいいたびになったに違いない。今回は、バスの混雑、天気、行き先の調査不足により、ただ疲れるだけの旅になってしまった。下左写真は、行きのバス車内。ホテルからタクシーでバスターミナルまでが1000円は普通。このバスはソンタイまで60kmをわずか45円で乗せてくれる。でも、普通の停留所に全部止まるタイプのだ。2時間弱この状態で立っていた。これだけでかなりの運動だ。でも、空いてくるといかにも、好奇心ありそうに俺を眺めていた女子達が、何人?東京?ベトナムの滞在は?など、大勢で質問してくる。この辺りはあまり外人なれしてないのか、それともオープンな土地柄なのか、塞いでいた気分が少し楽になった。ソンタイでタクシーに乗り換え、国立公園へ。まずは入り口の観光名所。確かに中にみるものもすくないけど、この書き方はねぇー。更に寂しくなるよ。

 

 

 

 

 

 

 

1200mの山なんでかなり高くかんじるんだけど、ここは8合目くらいかな。ここから、みんな歩いていく人が多くなる。でも、今日は雨なので車やバイクで行く人がほとんどだ。でもここであるいたら来る意味がねぇー。気持ちを強くし歩いていくことにした。

 

 

 

 

 

 

 

山頂近くでは、こんな古ぼけた教会の残骸があった。これなんの意味なんだろー。こんな山中に立てたことに敬意を表しているのかな?ここらあたりで、アメリカ人夫妻とあった。どっちに行けば山頂なんだと。でも俺もわからない、ベトナム人があっちにいったからあっちでしょ。といったら、間違ったといって降りてきた。やっぱりベトナム人だ。アメリカ人夫妻は飛行機のエンジンメーカのエンジニアという。90年代は、田園調布に住んで東京で仕事を10年していたという。東京は清潔で文化も興味深く、楽しく過ごせたと言っていた。まあ、金がありゃどこだって楽しいよね。奥さんはマレー人との事。

 

 

 

 

 

 

 

タクシーにて山頂からソンタイに戻り、まずは昼食。牛乳がうまいところなので、何故か牛肉を食べた。凄く堅い牛肉だった。近くで牛乳を飲んだが、脱脂粉乳みたいな薄い味。ここほんとに牛乳の産地なの。帰りは再度バスに挑戦。やった。空いている。ラッキー。座ってすぐ寝てうるさくて目覚めた時には、バス内の状況は中央写真から右写真に変わっていた。しかし、こりねーなベトナム人って。なお、今回はミーディンにてphuly行きのバスに乗って帰ってきた。こっちはやっぱりいつもの通りに座れるんだよね。

 

 

 

 

 

 

20日(土) ハノイ近郊観光地 ベトナム最古の遺跡co loa 

 休日の土曜日、前夜にインターネットでco loa というベトナム最古の遺跡の情報を見たので、リュックに宿泊セットを入れて出勤した。いつもは少ないのにこの日に限ってエンジニアが出勤している。俺のラフな格好を見てその一人がまたハノイに遊びにいくんですかというので、いつも通りベトナムの伝統文化と芸術を求めて今日はco loa に行くつもりと言ったら、一人のスタッフの家の近くだった。案内してくれるというので、彼女と午後行くことにした。うーん、ここは3重の螺旋構造の城壁を持つ紀元前3世紀の城跡だと聞いていたわりには規模が小さい。でも、築城の場所は大抵そうなんだけど、いて気持ちのいい場所が多く、ここもその一つだった。もちろん、建造物はその後数世紀後の建築なのだが、彫刻、建築様式は非常にしっかりしていてレベルが高い。これも影響してか、見物散歩するにはほんとに気持ちのいい遺跡群だった。ここは、神話と遺跡が一致する最古の場所だが、まずは神話から・・・

紀元前3世紀、度重なる事故で築城が思うように進まなかったアンズン王は、神にささげものをした。すると金色の亀が現れ、爪をわたした。これより築城が上手く進み、この爪を弓矢のトリガーに使うことで一度に何本もの矢が敵に百中百発あたり、中国軍は思うように侵略することができなくなった。スパイとして送られた中国の王子はアンズンの娘と結婚し、内情を探った。情報を持ち帰った中国の王子は、帰国しベトナムを攻めることになった。この戦争は爪を偽物と取り替えられたアンズン側の大敗となり海岸方面へ逃走したが、娘によって行き先の情報をもった中国の王子に追い詰められる。娘の裏切りを知ったアンズンは娘の首を撥ね、自ら入水する。首のない娘の死体はハノイ近郊のco loa に流れ着き石となる。戦争に勝った中国王子は、この城に戻り、井戸を覗き込むとアンズンの娘がおり、悲しんで飛び込むことになる。

国道からco loa への道は川沿いで美しい道だ。この川岸が街中心にて、3重の螺旋城壁の一部となっている。右写真は、王子がアンズンの娘の姿をみて飛び込んだという井戸。池の中に円形に囲われている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

井戸を正面に、まずは、代表的遺跡。ここが、アンズンの執務の城だ。階段の龍はタンロン遺跡にも同じ様式のものがある。右写真の屋根の中央の彫り物は素晴らしい。セラミクスの綺麗な色彩の薄板で表面が覆われている。

 

 

 

 

 

 

 

左写真の建屋の中にアンズンが祭られている。右写真は、1重の螺旋城壁の付属品。

 

 

 

 

 

 

 

城門の模様、孔雀や他の生き物の絵に一つ一つ意味があるという。(スタッフ談、後で説明するそうだ)。右写真がアンズンの娘のお寺。中は悲しみでいっぱいだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

祭られている建屋の概観と内部構造。彫刻ひとつひとつをとっても非常にレベルが高い。柱も京都の古寺のようにしっかりと長い年月機能している。

 

 

 

 

 

 

 

 

娘の首なし石。 最初は意味が良くわからなかったが。。。少し怖い。妊婦がこの場所に来るとお産に失敗するという言い伝えがあるくらい悲しい感じだ。螺旋の城壁の様子、池の向こうが3重、こちら側が2重。どちらも言われなければわからない。この後は、バスでロンビエンに戻り、1700円にて旧市街のホテルに宿泊した。予約はしてあったが、過剰受け入れのため、別のホテルに回された。でも、今回は回されたホテルのほうが、グレードが高い。ラッキーなこともあるもんだ。翌日は歴史観光の続きで、紀元前2000年のフン王のお寺があるden hung に行こうとしていたんだが・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

19日(金) 

 二週間以上続いた日本からの出張者対応は今日ですべて終わり。仕事では疲れないけど、やっぱり夜付き合うのは疲れが残る。この期間に火事あり、品質異常あり、原料不足ありといろいろ重なったこともあり、疲れた。今週末あたりは、マイチャウに行きたかったんだけど、一人で旅先で具合悪くなったら大変だしね。週末はおとなしくしていよう。

18日(木) 

 火曜日は、技術g出張者3人のご苦労さん会でハノイ宴会後、そのまま宿泊。昨日は監査役来場にてハノイ紀伊で会食して夜遅く帰宅。今週はもう一回ハノイに行かなきゃ。体持つかな?週末はゆっくり静養しよう。

14日(日) 

 朝テニス後、なぜか腹痛になった。三日連続で行った近所のビアホイの人参のせいかな。今日は安静にしていよう。でも、今日の昼飯もしっかりここに来た。ここ好きなんだなー。

 

 

 

13日(土) 

 昨日から何故か自転車のタイヤに空気がない。ハンドルもゆるいので自転車屋さんに行ってきた。朝飯食べてる間に直ったようなので、受け取ったが空気が入らないし、バルブからもれる。再度持っていったら、もうその店ではバルブやチューブは直せないという。しかたなく、紹介された修理やさんに行き、午前仕事して午後取りに行った。3時前だったので、少し待ってくれとおばさんに言われ、待つこと20分。俺の自転車に乗った修理のおじさんが帰ってきた。しっかり直っていた。そして、修理代は、25円。最初の自転車屋さんに払った250円は返してもらいたい気分になった。それにしても、笑顔でナムギン。さわやかだった。

12日(金) 

 昨夜は、 日本のs社の購買のaさんが来越のため、うちの担当のs、tをつれ、ハノイでの食事会に行ってきた。まずは、レストランmam。ここはほんとにいい店だ。4人個室でワイン2本(いける)と主だったベトナムの名物料理を食べて100ドルくらい。aさんもだいぶ喜んでくれた。その後は、その近くに卵コーヒーを飲ませる50年ものの店があるって事で、いって来た。最初は、コーヒーに生卵の黄身が浮かんだものと思っていたので、ゲテモノかと思ったが、まあ、コーヒーの上にミルクセーキの泡が載っているようなもんだった。店には西洋人も大勢珍しそうに飲んでいたが、これは二度来る価値はないな。

 

 

 

 

 

9日(火) 

 あーあ、興奮したusオープンおわちゃったなー。夜の楽しみがなくなった。さみしいもんだな。

8日(月) 

 週始めは大きな問題もなく終わった。さて、明日の早朝は錦織の決勝だ。早めに寝よう。でも、まだ7時前だな。

7日(日) 

 昨夜は錦織ージョコビッチのusオープン準決勝。やっぱりやってくれた錦織。ジョコビッチの本気は久しぶりに見た。そして、恐怖の表情は初めて見た。実質ここ3年のテニスキング、ロボットが初めて見せた表情だ。それだけ、錦織のストロークは凄みがあった。これから、この調子が続くかどうかは体調次第だが、すでに実力はトップ3だろう。仲がいいだけに、決勝はフェデラーとなら最高の試合だ。夜のテニス観戦のせいか、朝テニスは酷い状態だった。いつも簡単に勝てる相手にシングルで負け、その後ダブルスでも負けた。ハノイに出てマッサージまでは良かったが日差しが強く今日は歩き回る気にならない。結局遅い昼飯をベトナム風ステーキ屋で済ませて帰って来た。これなら、最後まで錦織の試合を見ていればよかったな。

6日(土) 

 昨夜は、久々の痛飲だ。やっぱり日本料理やにいくと、冷酒の大量のみから始まり、生ものによる腹壊と相まって、翌朝は大変な状況になる。ほぼ毎回だな。しかし、懲りずに俺も飲んじゃう。二件目はカラオケに行ったはずだが、何も記憶がない。こんな状況でよくphulyまで戻ってこれるよな。

4日(木) 

 一昨日昨日と近くにビアホイにいって食べたのがいけなかったのか、今朝の体重はひどかった。おかげで今朝は朝食抜き、夜は、食パンと牛乳だ。でも、これでも簡単にはやせなくなったんだよね、最近は。さて、明日は出張日本人とみんでハノイで宴会だ。まあ、二件目はきっとカラオケだろうな。

3日(水) 

 連休明けの初出勤日。みんな元気よく出勤してきた。プロセスも安定している。なかなかないことだ。おかげで午後はうつらうつらしながら過ごしてしまった。今月は大きな出張も旅行の予定もない。ベトナムの文化・歴史に触れる月間にできそうだ。しかし、日本の軍事政権からのベトナムの独立記念日は、おおきなイベントもなく普通の中国の忠節を同じように終わっていった。もう少し各所でいろいろなイヴェントがあってもいいような気がしたんだが。

2日(火) 

 独立記念日4連休の最終日。今日も出社だが、遅れて出て2時頃には帰ってきた。それにしもusオープン4回戦。錦織とラオニックの試合は壮絶だ。テニス会サーブNo.1のラオニックとストロークNO.1の錦織の試合。どちらが勝っても、準決勝でフェデラーとあたるだろう。試合のポイントよりも、錦織のほうがレベルは上だった。今回は神がかり的なプレーだ。あのストロークは今これ以上はないだろう。ワリンカとの試合も楽しみだ。数年後は、決勝でこの二人が常連になるだろう。

9月1日(月) 

 一般の独立記念日4連休の3日目だ。今日は9時から出社。なにごもなく終わった。これならいかなきゃ良かったな。休日出勤のダレタ昼だったので、みんなでPHUlyまでいき、バインコンチャとバインダーカーローを食べて午後から仕事。でもビール飲んじゃったので仕事にならない。3時に止め戻ってきた。明日もだれるだろうな。