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日記2014年4月

 

 

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                              今月の一枚

兄弟でトランポリン

休みに兄弟3人でトランポリンに行って来たようだ。20歳過ぎた3人の兄弟が一緒にとらぽりんに行き、こんなに楽しそうにしているって・・・。こんな状態で社会に出てやっていけるんだろーか。まあ、俺が何とかやっていけてるんだから、何とかなるもんなんだろーね。しかし、各人の特徴が良く出ている写真だね。でも、最近基は本来の魅力が薄れてきたな。東京で中身のない人間と多く付き合ったからかな。

 

 

30日(水)

 本来はベトナムは開放記念日、そして明日1日が勤労感謝の日で祝日。だから5連休のはずだが、日本人出張者のため、一日働き、最終日なので、ご苦労さん会ということで、ハノイのビール醸造場所でのステージ付きのホールに行ってきた。黒、バイゼン、ラガーとあったが、やっぱりこの国ではアッサリとしたビールになってしまい、コクのあるどっしりとしたビールは飲むことができない。でも、ステージのショーは、マジックあり、ダンスショーあり、指笛ショーありとなかなかだった。でももう行かないだろーな。今回の出張者は、若手のs,o,i氏の3人でした。この出張のおかげで先週から休みなしになっちゃった。

27日(日)

 日曜の朝、深夜より豪雨、電線切断(いつも予想できる)、停電、いつものパターンだ。テニスは出来ない、自転車で散歩しても、ペダルの位置まで水に浸るなどの理由から、日本人出張者の待つ工場に出勤した。停電と大雨による被害もあり、平日より疲れる一日だった。帰宅後は、近所の池横のビアホイにて、牛肉と野菜のペーパーロール、イカの野菜炒めをつまみに生ビールを3杯、これは極楽だった。さて、9時から、錦織の決勝だ。だぶん勝。後半はいい一日になりそうだ。

25日(金)

 今日女性エンジニアと話をしていたら、学生時代、4人で一部屋に下宿し、ベットは2つ、部屋代は約1000円/月。一人250円。食事代は、一食約10円。トイレシャワーは、1フロアー共有で、温水器もないので、まずガスコンロで鍋にお湯を沸かしてからシャワールームに向かい、お湯と冷水を混合して暖かい水で体を洗うとのこと。洗濯はもちろん冷水。いまでもハノイの一部アパートでは、こういった生活をしているとのこと。海外で生活していることの実感が沸くお話でした。

23日(水)

 うーん、今日は疲れたー。昨日、工場にシンガポールより日本人出張者が来て、夜はハノイでおつきあい。紀伊で夕飯まではよかったが、このとき一升瓶が空いた。その後のカラオケで盛り上がり帰宅は12時過ぎになった。たまにはいいけど、これが週2回になると、少しきつくなり、3回になると、次の週まで疲れが残る。今週末から来週前半は、別の日本人対応だ。持つかな。

21日(月)

 健康診断でショックを受けてから、その日のうちにばね式の体重計を買ったが、会社に数日忘れてきていた。今日持ち帰り計ったところ衝撃の77.5kg。声も出ない。さあ、これからどうしたら良いんだ。また、喫煙開始か?原因は何だ。その対策は?また、苦悩の日々が続く。

20日(日)

 昨夜は、マスターズ モンテカルロの準決勝、フェレーラーワリンカ、フェデラーージョコビッチの凄い組み合わせた。楽しみにして帰って幹線していた。ワリンカは年老いてから凄い。玉の速さと精度が尋常じゃない。絶好調フェレーラを寄せ付けなかった。どうして今になって?さて、次はフェデラーの試合。でも、いつまで待っても始まらない。ウェブではライブでスコアーは刻まれていっているのに。やっぱり、ベトナムだ。番組変更しやがった。この試合の値段が上がったのかな。いずれにしろ、ライブスコアだけじゃつまらないので、寝ておきたら。フェデラー勝ってた。うれしいー。でも、今朝は霧雨。フォーを食べ、床屋に行き、テニス用品を買い、テニスコートが開いていたので1時間弱やって帰ってきた。

さて、夕方は、10kmはなれたお寺の祭りで、Cheo(ベトナムの庶民向け伝統芸能、歌・踊り・演劇)をやるっていうので、見に行って来た。ほんとに10kmかって思うほど遠い、大体このあたりのグーグルマップはいい加減だからなー。でもなんとか、下半身しびれながらも帰ってこれた。街の周辺部にある小さな山寺だけど、お祭りには大勢集まるんだねー。下左写真は、麓の参道、ここにも多くの出店が出てすでに賑わっていた。誰かが俺のリュックを引っ張るからすりかと思ったら従業員だった。彼はこの間結婚したばかり、夫婦で着ていた。ウン、でも奥さんこの人だったかな。その他にも2人の従業員とその奥さん(恋人?)と会った。さすがに地元のお祭りだ。右写真は、山寺への上り口。この両脇にも出店びっしりだ。思ったよりは急で、キツイ階段だった。

下写真が、山寺の御堂と本堂内。以外にしっかりした仏さんだ。地形的にも信仰が厚くなりやすいためか、信者(観光客)の数も大そうだ。それで、仏さんがしっかりできてるのかな。それと、建造物は太くてしっかりした木材を使っていて、シンプルな彫刻がいい。

5時前だったか、到着した時はプロによる歌謡ショーをやっていた。ああ、こんなステージでCheoをやるんだー。こりゃ楽しみだねー。

上右写真のステージ上の特別席で休憩し、サトウキビジュースとビールを注文した。さすが特別席、いつもの二倍以上の料金だ。250円を払った。なお、左写真手前の看板満たないのはベトナム将棋の駒。通常こういったお祭りでは、こうゆう大将棋をやり、上級の人達の手を見せ付けてくれる。歌謡ショーを見ていたら、突然スピーカーから音が途絶えた。スタッフが右往左往していたが、5分も経たないうちに、帰り支度を始めた。あー、設備が悪いから怒って帰っちゃうんだと思っていたら、ステージのすべての設備の回収が始まった。あっ、Cheoを見に来たのに、今日も見れねーのか。しかし、簡単にあきらめちゃうんだよねーベトナム人って。

こんなに景色のいいところだったんだー。参道際の出店も叩き売り状態。みんな帰っていく。しかし、俺もこんなに大変な思いしていったい何しに来たんだロー。やっぱり、ベトナムだ。

 

18日(金)

 今日は、ハノイタワーにて健康診断、そして、シレナビルにて歯科検査を受けてきた。健康診断の会社は今回はじめて使う会社だ。やっぱりハノイタワーだけあって、応対や診察はしっかりしていてサービスもいい。久しぶりに日本のサービスを受けるとやっぱりベトナムの劣悪さが目立つ。後10年待たないとかなー。健康診断はオプションもいれたのに、なんと一時間半もたたないうちに終わった。それで、予約を変更し、10時にシレナへ。こっちは、外人の医師が検査し、まったく異常なしとのことだ。久しぶりに気分の良い一日だった。午後工場へ戻っても、それほど大きな問題はない。今後はこうゆう日が続くのかな。

16日(水)

 今朝朝テニスができた。暖かくなったせいか、体も動くし、腕も早く振れる。少し体調よくなってきた感じだな。こりゃ6月くらいには全開になるかも。一昨日昨日と続いたキツイ宴会も終わり今日は穏やかな夜を過ごせる。しかし、昨日の中国人との宴会は、結構飲んだし、前の日の酒も残ってたはずなんだけど、今日は調子がいい。やっぱり、すっぽんの生き血酒のお陰なんだなー。

14日(月)

 帰宅後、古いほうのビアホイに行った。豆腐上げを食べてすぐに帰ろうとしたら、テニス仲間に出くわした。どうも、医者の集団だ。彼らは、給与は凄く安いが、モチベーションは、非常に高い。瞬く間に彼らのペースにっ引き込まれ。撃沈。これはこれで、なかなかいい。でも、やっぱり特質すべきは必ず女性がいるってこと。まず、男だけでは職場の飲み会は成立しない。このあたりは、日本の差別社会に少し学んでもらいたいところだね。

13日(日) 街の南部の祭り

 朝テニス、朝食後、先週に引き続き懲りずに途上国製ママチャリにて小旅行に出発。今週は、怒りっぽくなってるし、疲れているような感じがしたので、あまり遠出にならないように、街の南部のニンビン方向へつながる川沿いをサイクリングすることにした。ここ数ヶ月小雨続きで悪路となっていた。そんな中、ダンプが連なっていたので、いつものように事故か工事かと思って前に出ると、祭りの行列だった。これはいい。すっかりしなびた気持ちも蘇った。やっぱり祭りはいい。日本でもそうだけど、なおさらこっちの祭りの起源もわからない。今週は水曜日がフン王の祭りで休みだった。このことと、祭りの担ぎ物、この街の地形(山と海の境界地域)から推察するとおよそ以下のようになるか。4000年前のベトナムの統一王はフン。彼は、山の神と海の神の100人の子供の長男だ。やがて、神はそれぞれ山と海に帰っていくが、この際のストーリーを祭りにしたものじゃないかな。ベトナムは、山の少数民族とホン川を中心とするデルタ平地の文化は大きくことなる。これが、山海両神の子孫の影響なのか、文化が違う原因を両神に求めたのか、いずれにしろこういった神話と祭りのような風俗的なものとの関連は、面白い。下の左写真は、この付近の地域(村)のDinh。これは、古くからこの地域の大切なことを決める場所で、テトの期間中、祭りはここを中心に行われる。一度テトや他の祭りの際に行って見たいと思っている場所だ。やっとDinhという名前のついた場所を見つけて感激だ。右写真は、街の西方向につながる山の地域。石灰質なので、ところどころにセメント採掘工場がある。この桂林的な山の形と古い工場のコントラストもなかなかいい。

東側海方向への道路を走っていたら、たまたま祭りに出くわした。左右同様な行列だが反対の方向に向かっている。このぬかるんだ悪路の中、女性は綺麗なアオザイで正装だ。しかし、儒教に大きく影響を受けていない(逆に1000年前に中国の文化を排斥した)ベトナムの祭りは、女性が前面に出ている。日本や中国の祭りを大きく異なっている。以外に日本が一番女性差別の激しい国なのかもしれないね。

担いでいる王座は海?山?どちらの神?しかし、祭りの行列の沿道には一切出店もない。こうして、1000年も同じ祭りを繰り返して来たんだろうね。

12日(土)

 仕事後、午後テニスに行って見た。三時頃着くとすでに2コート埋まってる。さすが、春だね。日本でも同じなんだけど、春はやたらテニス人口が増える。季節も良いし、女性の足も見たいからか。でも、ベトナムのローカルな場所では、女性はめったにテニスをしない。でも、この時期初心者がぐっと増える。そして夏までにはおおかたが止めていく。もう数十年経験していることだけど、やっぱり人間って自然の一部なんだよなー。空海か俺は。写真は、多分家の近くの公園の桜かな。でもこんなに綺麗だったかなー。

11日(金)

 仕事後、近くの古いほうのビアホイへ。いつものように日本語を話せる経営者がさびしいだろうとやって来た。そのうち、テニス仲間で英語をしゃべれるやつがやって来て3人で飲んだ。日本語、英語半々の会話だったが、今凄く気持ちがいい。まるで、ニッホンの居酒屋で飲んでいたようだ。やっぱり、単身赴任4年、疲れが出てきてるのかな。

10日(木)

 バイク購入は一日のはかない夢で消えた。事故時の保険や賠償に関して言われてみればその通りだ。昨日はバイク屋に行ったり、ヘルメット屋に行ったり、すっかり週末のバイク旅行の夢を描いていたのに・・・夢の後は寂しいもんだ。力も沸いてこない。しかし、こうゆう点単身赴任はきつよなー。週末がやっぱり自由にならなって言うのはほんとに大変なことだったんだ。

8日(火)

 早くも週2日目、なんと明日はキングフンの祝日。4000年前、ベトナムの王となった神話の世界の人だ。この時代が紀元前中国の歴史書に記載されるようになるまで続いた。この祝日では、いくつかの省で盛大なお祭りが開かれる。きっとウォーターパペットや歌劇なんかのもようしものも実施されるんだろーな。でも、各地のニュースは見れないので残念だ。今日スタッフに聞いたら、ベトナムでバイクを運転する際は、外国人は実質免許は要らないとのこと。今週末バイクを買いに行くことにした。

6日(日)

 朝テニス後いつものフォー屋さんで食べた。さて、今日は何にもすることがない。自転車で小旅行でもしてこよう。下写真の高速インターまでが、いつもの通勤コース。ここから先は未踏破だ。右写真がナムディン方向への新しく出来たまっすぐな道。これを見ただけで、なにか不安を感じた。

サドルの堅い途上国製ののママチャリで進む。まっすぐで景色も変わらないから、進んでる実感がしない。なにか、子育て終了後にインドでは理想とされる苦行をしているようだ。長い時間瞑想しながら走っていたのでいいアイディアが2つ浮かんだ。でも、今はもう覚えていない。人は長い時間軽い苦痛にさらされると、体細胞が変化し、丈夫な心身となるようだ。血がきれいに流れ、不安を感じない。下左の町並みらしき写真んが見えたとき、それでもこの街がナムディンでなくとも、ここで引き返そうと思った。あんまり丈夫な心身ではなかったか。無事ナムディンであることを確認し、まずは前回もいったきれいな湖。ここでは前回同様結婚式の写真を撮るカップルであふれていた。みんな綺麗なんだよなー。

もうとっくにお昼は過ぎていたので市場付近のコンビンザンのお店へ。ここの料理は、そんなに珍しいものはないけど、旨かった。小魚の上げたやつと小エビは、特に旨かった。昼食後は、近くのしゃれた喫茶店へ。自転車の籠に入れてきた缶ビールは、昼食前に飲んでしまったせいか、もうすっかり自転車で帰る気が失せている。どうせなら、この街でゆっくり遊んでから帰ろうと、喫茶店で考えた。結局思いつくのがマッサージ。お店のオニーチャンに聞いて行って見た。

ここは、綺麗だし、サウナ・バスが付いて200ギン、約1000円。安い。今度も来たいな。でも、どうやって・・・

再度喫茶店で時間をつぶし、呼んだタクシーに自転車を乗せた。こりゃ日本じゃできないだろーな。軽自動車だし。汚れるからいやがられるし。こうして、週一日の休みは終わってゆくのでした。

5日(土)

 家の家族は、全部札幌、いろいろ面白い写真が送られてくる。下は、まだ行き深い妻実家近く。右二枚は、札幌ビール園にて。しかし、札幌ビール園もこんなに近代的な施設に変わったんだ。長女からは黒ビールが旨いだと。ビールの味もわかるようになってきているようだ。

下は、妻の元職場の同僚たち。しかし、まだみんな若いねー。どうして、写真のポーズまで変わってねーんだ。でも、悲しかったことや凄く幸せだったこととかいろいろあったんだろーな。聞いてみたい気がする。

4日(金)

 今日から家の家族は、札幌の実家で、義理の父親の29回忌だそうだ。次女が時間遅れ、長男が明日到着するという。そんなに忙しいわけないのに、何でわざわざお金かけて遅れていくんだろーね。わからないよなー。それにしても、きっと札幌で旨い海産物食べてんだろーな。いいなー。

3日(木)

 今週も雨続き、昨日今日と朝は雨。ためしに仕事後テニスコートにいってみたら凄い混雑だ。明日朝も天気予報は雨だからしばらくできないな。しかし、最近は夕食を外で食べる気が起こらない。ほんとに食がほそくなったなー。大丈夫かな俺。

4月2日(水)

 先月末と昨日1日にかけ、タイのアユタヤ方面にまた出張。先週末にテモによる道路封鎖は終わっていた。バンコクにホテルとりゃ良かったかな。前回と同じアユタヤのホテルに宿泊した。初日仕事後は先方t社hさんと夕食に。ここは、sai thong という川沿いのタイ料理レストランだ。マイルドだとの話だが、やっぱり料理は辛い。翌日朝は大変な思いをする。でも、生演奏の川沿いの屋外レストランで対岸にはライトアップされた遺跡が見れ、いいところだった。翌朝は、工場にうかがうまで時間があったので、ホテル近郊を散歩した。アユタヤ駅は、なかなか趣があっていい。駅前通りの先には、ボートツアーの看板があったので、行って見た。時間があったので、アユタヤ島を一周することにした。料金を払うと4バーツ。約13円。やけに安い。こりゃ凄いと思い喜んでボートに乗ったところ、対岸で強制的に下ろされた。ただの渡し舟だったんだ。おかげで徒歩でアユタヤ島内を散歩するはめに。気温は40℃。大変な思いをして帰ってきた。仕事後、飛行機の時間に余裕があったので、空港近くにてタイ式マッサージを受けた。1000円くらいで本格的なマッサー時だ。やっぱりどこの途上国も同じだけど、ローカルは非常に過ごしやすい。タイってこんなにいいところだったんだ。下は、初日のレストラン。これは、カップルでくるところだね。生演奏もなかなかだった。

下は、アユタヤ駅、なかなか元王朝所在地らしくしっとりとした駅だった。

駅前通り、こんなマーケット街を抜けると、ボート乗り場があった。料金は、13円。でも、これには訳が・・・

対岸で下ろされ、強制的に島内見学。でも、遺跡から遠く、繁華街なので、ただ暑くて混雑しているだけ。対岸よりホテル方面を望むのが右写真。てっきりアユタヤ島一周のクルーズだと思ったのに。後で考えりゃ、そりゃないわな。でも、金銭感覚がずれるので良くこうゆうことはあるんだよね。

帰りの機内、久々に3人掛けの椅子に2人で楽チン。しかも隣はこんな美人が乗っていた。最初は日本人とも思ったが、聞いて見たら、彼女は、二十歳のタイ人女子大生で貿易を勉強しているとのこと。なんと、これから初の日本旅行にでかけるという。やっぱり、機内の隣の人には話しかけてみるもんだね。