28日(金)
さて、明日からは3月だ。昨日あたりから少し暖かくなってきた。明日は晴れそうだな。
27日(木)
仕事後、エンジニアのHoが一緒にphulyに行って良いかと聞くので良いと言うと、huも一緒に乗ってきた。どうも、独身の二人がわざわざ俺の住んでる町に遊びに行くらしい。アパートの前のレストランンで彼らと食事を取り、その場所までタクシーで送っていった。川向こうの路地に入っていったところにあるカラオケだった。さすがに汚そうで付き合えなかったが、今度元気な時に行ってみよう。確か女の子のいるカラオケは、この町にはなかったと聞いているんだけど。朝は、久々に雨が止んでいてテニスができた。でも、今は又雨だ。明日朝もやっぱり雨の模様。いやな季節だ。でも、ベトナム人にとっては、田植えの季節であり、今は春だ。これのどこが春なんだといいたい。
26日(水)
今日は丸ともの千葉さんとハノイで飲み会。疲れていたので、会社を早めに出て、フンセンでマッサージ受けてから行ってきた。ダイウーで待ち合わせて近くのベトナム料理屋に行ったが、なかなか旨い店だった。でも、1000ギン。最近ベトナムの物価上昇は、凄いね。同じベトナム赴任で、感覚も似ている。やっぱりたまにこういう話ができると、いいねー。しかし、次いつ帰れるかなー。
25日(火)
昨日はtt社a,h氏とkさんとで、キミで日本料理の後はカラオケ。先週からの続きで週3回の宴会ペース。明日は丸山の友達の千葉さんとキンマー付近で宴会。まず、その後に次回に行くだろーなー。こりゃほんとに健康管理しっかりしなきゃー。
23日(日)
天気予報どおり朝から雨だ。やっとのことで体を動かし、マッサージに行ってきた。でもやっぱりサウナは不十分だし、浴槽は汚いし、マッサージ自体は旨くないし、満足感はない。普段体力が十分な時は、こうゆう不満も感じないが、疲れて体力がないときはだめだ。以前ホテルでも感じたことがあるが、日系ホテルはサービス満点。元気な時はそれがかえって邪魔に感じることがある。でも体が弱ったりしてる時、温水量が十分でない、隙間風が入ってくる、料理が冷めているなどはかなりの不満を感じるだろう。料金の高さってのは、年寄りがきめてんのかもしれないね。今日は多分一日雨降りだろう。これから何したらいいんだよ。明日は、またtt社のa氏が来場する。夜は又ハノイだ。今回はほどほどにしよう。
22日(土)
木曜日は、社長との会食、金曜日は社長の工場見学と昼食会、そしてその後は出張者o,i氏との飲食と深夜のためのハノイ泊まり、ほんとに疲れた。最近でも、疲れたーって感じることが増えてきたよな。体もくたびれてきたんだろーな。
17日(水)
久しぶりに7時まで寝た。昨日は、h社s氏と営業のy氏が来場、k氏と4人でハノイに出た。まずは、ロータスクラブ。ここはやっぱり落ち着ける室内環境だが、やっぱりここも従業員の質は、落ちていた。ホテル、有名レストラン一様にいえることだが、3,4年前に比べ、どこも従業員の質が落ちている。外国人相手の接客業以外に高給な仕事が数多く出来たためだろうか。まあ、もともとベトナムにはサービスという概念はなさそうだが・・・。その後はお決まりのカラオケで騒ぎ、帰宅は12時過ぎ。明日は社長来場だな。疲れるなー。
2月16日(日)
昨夜電話で約束したので、今朝は少し長めにテニスやろうとしたけど、こうゆうと気はやっぱり雨だ。仕方なく部屋でビール飲んでから朝飯のフォーを食べに行き、それから何もしていない。こんな日もいい。しかし、村上春樹の小説は、考える必要ないから一気に読んじゃうな。漫画並みだ。さて、雨も止んできた。コート乾いたら行って来よう。その後はマッサージとビアホイだな今日は。
2月15日(土)
今日は1時間以上の朝テニス。疲れたー。たいした試合じゃなかったけど。さて、ゆっくりしてから、オフィスのレイアウト変えの様子でも見に行って見るか。今日は飲まずに寝るぞー。
2月14日(金)
テト明けの次の週は
あっというまに終わってしまった。あわただしかったけど、なかなか充実していた。先週末の結婚式ラッシュから始まり、昨日の宴会まで、何かからだが休まる感じはしなかったが・・・。まあ、今週末は、じっくり体を休めよう。しかし、昨日のハノイの黒ビールは旨かったなー。
1月30日〜2月7日(金) テト休みミャンマー旅行
久しぶりにたっぷり遊んだなー。
1月30日(木)ー陰暦大晦日
仕事を終え、妻と待ち合わせのハノイへ。今日は大晦日。ホアンキエムの教会やその周辺は、綺麗にイルミネーションされていた。クリスマスの気分だね。それから12時に恒例の年明け花火大会。今回打ち上げのすぐそばでみたもんだから、凄い迫力だった。なんかベトナム戦争の大砲の連続発射音って感じだね。
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1月31日(金)ー陰暦元旦
少し遅くおき、フライトまで時間があったので、タンロン公園まで、散歩した。今回は、元旦ってこともあるのか、VIPが来場しており、入場するのに少し戸惑った。やっぱりお役人主義の国だねここは。昼はホアンキエムのこんなおしゃれなカフェで軽く飲む。白人が多く、雰囲気もいい。
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まずは、ヤンゴンに夜7時頃到着。ホテルまでは、1時間くらい乗って、タクシー代たったの10ドル。翌日その距離の短さに驚き、10ドルの妥当性と、ヤンゴン市内の渋滞の凄さに驚いた。しかし、ヤンゴンはバイクは規制されているとのことで、まったく走っていない。これでバイクの乗り入れが解禁されたら、大変な渋滞になるだろうね。下写真は、ミャンマーの最大、最古のシェーダゴンパゴダ。この絢爛豪華さは、他には見られないだろう。日曜日の夜にもかかわらず、多くのミャンマー参拝者で混雑していた。でも、日本の仏教遺跡や遺産にみれれるような重みがない。仏像なんかも、アニメチックなかわいい顔をしているし、その後ろには、LEDライトで豪華に電飾されている。ミャンマーは、未成年の内数年、お寺にはいることが義務付けられているが、やはり宗教の信仰は子供のうちからというのが、この絢爛豪華なシェーダゴンバゴダの理由なんだろーな。夜なのに目が痛くなるほど、金ピカだった。
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宿泊は、ビジネスマンに人気のthamadaホテル。夜チェックイン、早朝4時チェックアウトの強行軍だったが、バーの雰囲気はとても良かった。
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2月1日(土)ー陰暦2日
早朝6時初の便は、大きな遅れ(後で酷い目にあったが)もなく、バガンに向け飛び立った。ミャンマーの海岸沿い地帯の景色はおよそこんな感じが続く、乾季のためか、土の色が畑の区画用の木々に彩られている。以外に乾燥した大地なんだー。多くの人々は、非常に日本人ににている。中国、韓国、ベトナムよりも日本人顔だ。信仰心に厚く、他人を助けることを多くする。尊敬すべき民族だ。だがミャンマーには、以外に多くの民族が混在している印象だ。ほとんど、黒人といったインド系の人から、南アジア、中国系といった人の代表的な顔も多く見られる。このCAは何系かはしらないが、美人系だった。
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8時前にオールドバガン にある thamde hotel にbチェックイン。あまり疲れてなかったので、すぐに観光に出発。2000以上といわれる遺跡は、数を見ても意味がないので、この日は町を良く知っている馬車のオニーチャンに一日案内してもらうことにした。25ドルだったかな。まずは、オールドバガン南方のミンカバー村方面へ。この時、丁度お寺に出家する子供たちの行列に遭遇し、相当時間がかかった。馬車も車もこの行列を無礼に追い越していかないんだ。最初のバゴタ寺院 ミンガラゼディーは、下右写真。ここの屋上からは、多くの遺跡を見渡すことができる。最初にここは都合がいい。あのオニーチャン案内慣れてるなー。
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その隣にあったのが、下左写真のナガーヨンパゴダだったかなー。ここいらは、それぞれのパゴダに宗教画の絵描がいて、自慢の絵を売っていた。多分10ドル位じゃないかな。この辺のパゴダは、豪華ではないので、あまり人手がないが、興味深い壁画と綺麗な形の寺院が特徴だ。しっかりとみることもできるし。
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ナガーヨンの道路の向かいにあるのが下写真の4番目のアペヤナダ寺院。渋い趣のある寺院だ。この建物は古さ、保存の良さを感じさせる。ここも大きくはないが深みのある遺跡だった。
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その次は マヌーハ 寺院。何でも当時の王様が幽閉されていた時の窮屈な精神状態をこの仏像に表現したものだとか。別にそこまでしなくとも・・・
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更にオールドバガン付近に戻ったところにあるジユェグージーパゴダが下写真。やっぱり、入り口上の形状やパゴダの上部構造は特徴的だ。
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オールドバガンから少し東に行ったところにある見晴らしのいい シュエサンドーパゴダ。ここは、上まで急な階段で登っていけるので、そこからの景色はいい。千近くのパゴダや川向こうの山頂のパゴダ、東部の山地まで見渡せる。それにしてもいっぱい作ったねー。10-14世紀位までの遺跡だけど、中世は数万、大地震前は4000強と言われていたわけだけど、王の数よりずっと多い。どうしてみんな似たようなものたくさん作ったんだろーね。その答えは、再生。よみがえりの道具だったわけだ。
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下左写真は、別のパゴダ。どこも3種類くらいの分類のなかではほぼ同じ形だね。下左はダビニュー寺院。角ばったつくりだ。髭の西洋人が建設したって感じ。右は、オールドバガン城壁のなごりの古いタラバー門。
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このなかのレストランで昼飯にした。定食のミャンマー料理だが、これは旨い。タイ、インドにはさまれているから辛いと思いきや、控えめな調理で、日本料理にホンとに近い。ミャンマーの人柄同様、大いに感動した。その後はホテルに戻り、馬の休憩の間、こちらも休憩した。
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午後は、まずバガンで一番美しいといわれるアーナンダ寺院。この形と女神像の美しさは格別だ。でも、どうしてみんあ金ぴかなんだろね。こういった大きな寺院には、4方向に1体または2体ずつの仏像が置かれている。しかし、ほとんどの寺院やパゴダは、上に登れないようになっている。重要な研究材料が眠っているためか一般の観光客は、入れない。本当に価値のあるのは、あの仏塔の先端なんだけどなー。
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この ダヤマンジー寺院の形は他とだいぶちがう。また、なかに入っている仏像もさまざまだ。確か、王になるために親・兄弟を殺したが、他の王国からの妻を殺したため攻め滅ぼされた王の寺院だったんじゃなかったかな。
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最後はまた景色のいいバゴダにのぼり夕日を受けたパゴダを写真撮影。有名な撮影ポイントのためか、凄い人だかりだ。でも、みんなあんまりいい写真取れてなさそう。(左写真)帰り際に彼が「ここは、いいよ」と言って連れて行ってくれた場所のほうがよっぼどそれらしい写真とることができた(中央写真)。一日ありがとう。
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ホテルでの夕日と翌朝の朝日。これは文句なく素晴らしい景色だった。これには感動した。
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2月2日(日)ー陰暦3日
朝食後、電気自転車を借り遺跡巡りに出発。ホテルの係りによると、漕ぐことはできないが、8時間は充電不要とのこと、8時間9ドルにて契約した。どうも表示は、中国製。後で痛い目にあった。まずは最初にホテル近くのゴドーバリィン寺院。こんなしっかりしたのが、近所にあるのにびっくり。たが、ここは、前日のシェーグージーやダビニューとかなり似た構造の寺院だった。綺麗なミャンマー人がこの近くの観光地を案内しましょうかッテ誘ってくれたので、この寺院は印象が良い。
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さて、今日は空港方面のニャンユー方面へ向かう。遺跡は常にどの角度でもみることができるが、道の左右にこういったパゴダを見ることが出来る。ちなみに左は昨日のダビニュー。でも二日目は昨日見たかどうかを忘れてしまう。
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ニャンユーまでの幹線道路を右に折れると壮大な遺跡が。下写真は、ダマヤンジーかな?そうだとしたら、昨日行ったはずなんだけど。記憶が定かでない。
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そして、その近くのスラマニ寺院。ここの壁画は良く保存されていて素晴らしい。だが、大概の遺跡は上に登って行けないし、登っていけたとしても、仏塔の中には入れない。学術調査中、遺跡保存のためなど、いろいろ理由はあるが、残念だ。
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スラマニの興味深い壁画。
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ここは、幹線道路からすこし離れた場所だが、やはりどこに行っても遺跡がある。スラマニの回りにも規模は小さいがこんな綺麗な形の遺跡が点在している。
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幹線道路の反対側にも、大きな遺跡があった。田んぼ道を電気自転車でとぼとぼ走っていくと賑やかなティーローミィンロー寺院だった。ここは豪華さと趣の深さ両方とも持っている寺院だ。
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下写真は、ニャンユー市場。途上国の大きな市場はどこも同じ匂いがある。ベトナム、タイ、ラオス、マレーシア、ミャンマーみんな同じだ。でも、もちろん観光用の品だけでなく、生活用品を多く売っている。俺は乾物だとか、魚だとか、干し肉だとか、食べ物にしか興味ないけど。この近くの食堂にて昼食にしたが、メニューにソフトクラブシェルがあったので、注文した。味は良かったが、どこで採れる蟹なんだろーか。
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ニャンユー近くの川沿いには、バガン遺跡の玄関口とも言えるシュエジーゴン寺院がある。ここは、ヤンゴンのシェーダゴン同様、兎に角広大、豪華、金ぴかな寺院だ。昼食時のビールと揚げ物もあってか、暑くて疲れた寺院だった。ただ、東西に走る回廊の大きなにはびっくり、地下鉄の大きなターミナル駅ぐらいの規模がある。
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一気に電気自転車でオールドバガン付近まで戻り、川沿いに行くと、こんな船着き場があり、この高台にプーパヤーパゴダがある。一度地震で川に転げ落ち崩壊したものを復元したらしいが、紀元前のものだそうだ。でも、このシンプルな形状はパゴダのオリジンを推定するのに少し手がかりになる。復元の際、あえてこの論理的でない形状に変えることはないだろうから。入り口もなにもない、ただこの形状だ。意味がわからない。恐らくはパゴダの本来の意味である、ブッタの遺骨を納めるためのものだろう。?
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暑い午後、昼寝もなしに、遺跡を回った。8時間まであと1時間余るというので、再度、ニューバガン方面に行った。もうすでに同じような形状のパゴダは百以上見ているが、道路わきにあったこのセインニェットパゴダに寄った。いい加減疲れてきたのでもう帰ろうと言ったが、許してもらえず更にニューバガン方向へ走った所、バッテリーが切れた。この自転車は、バッテリーが切れると悲惨だ。思いモーターの負荷を足で蹴って回さないといけない。暑さと疲労で、俺も切れた。ホテルのフロントで怒鳴ったら、俺の分だけタダにした。
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2月3日(月)ー陰暦4日
さて、バガン観光は終わり、今日は国内線でヤンゴンに行き、国際線にて帰る。ウェブには、ミャンマー国内線と国内線の同日の乗り換えは避けるべきと書いてあったが、7時間以上の余裕があれば問題ないだろうと早朝空港に向かった。2時間遅れでヤンゴンに向かったまでは予定通りだったが、トラブル発生とのことで、舞い戻り、エンジニアの到着を待ち、修理、完了後飛び立ったのは、5時過ぎ。ヤンゴン空港に到着後、国際線のVNに向かったがチェックカウンター締め切り5分後だった。VN側と交渉したが、ルールだからと断られた。4人の人がお願いしたと言うのに。こうして、この夜はヤンゴンの安宿に泊まることになった。
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2月4日(火)ー陰暦5日
さて、明日からは出勤は、今日飛行機に乗らないわけには行かない。なんとか都合をつけてもらい、変更手数料とビジネスクラス料金の痛い出費だったが、なんとか航空券を手に入れることができた。下写真は、ヤンゴンの町並み。左官庁街。右下町の住宅街。
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下町住宅街の街頭食堂と、近所の雑貨屋のかわいい娘。
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ヤンゴン中心部の憩いの場所インヤー湖。あとは、定刻の国際線に乗り、ハノイに無事到着。
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今月の一枚
パゴダ
なんでこんなに手のかかるもの長い年月かかけてつくったんだろー。長年のなぞが解けた。