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日記2014年1月

 

 

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今月の一枚

アメリカ

12月出張で行ったオクラホマシティーという田舎町。こんな田舎町でさえ、何か引かれるものがある。さすが幅も奥行きも大きなアメリカだ。そこに住んでいる人達の考え方、習慣、風習など、もっと知ってみたい。また、機会があれば、積極的に行ってみよう。しっかし、食べ物は・・・

 

 

 

 

30(木)

 テト休暇三日目。今日は陰暦の大晦日にあたる。すでに、この街のフォー屋さんでさえ、ほとんどが店じまいしてしまっている。でも、正月料理のネタを売ってるようだが市場は凄く繁盛していて、自転車でも通り抜けられないくらいだ。さあ、今日半日仕事して後はミャンマーで休暇だ。明日の飛行機の時間までは何してようかなー。

29日(水)

 テト休暇二日目。今日も午前出勤で、午後は二時頃ハノイのマッサージに行こうとした。まさかと思ったが、マッサージさえ今日はやっていない。テト真っ盛りだ。かなりのお店も閉まっていたようだ。まっ、ホテルや主要なレストランはやってるようだけど、まだ今日は陰暦の大晦日一日前なのに。明日は大晦日だけど、ホンと何にもやってなさそうだなー。時間どうやってつぶしてようかなー。さて、今日のハノイの街角の様子など。大通りは正月用の飾り売りでにぎわってたけど、やっぱり街にはさっぱり活気がない。

28日(火)

 テト休暇初日。まだ、今日当たりは三分の一程度のスタッフは出勤してくるし、現場はほぼフル生産。明日の夜当たりからは、スタッフは、1,2割の出勤、現場は、5分の1程度の稼動となる。帰りは久々に国道1号(ハノイーはーホーチミン)で帰ってみた。先週末から高速は渋滞していたが、国道は今も混んだ状態が続いていた。何百キロ乗るのかはしれないが、二人乗りで荷物をいっぱい抱えたバイクで国道は混雑していた。でも、去年よりは平準化してきたかな。

27日(月)

 さて、最終日は無事に終了。後は数日流して仕事をすれば、ミャンマーだ。少しいい気分。今朝久しぶりにコーチとテニスしたけど、体力落ちたなー。しばらくサーブしかやってなかったからなー。

26日(日)

 日曜なのに今日も出勤日。来週火曜日からテト休みにするために、ベトナム政府が推奨した休出勤カレンダーだ。やっぱり、土日働いてその次の週の月曜日まで働き続けるのはきついよなー。なんか疲れが出てきた感じ。さて、明日は今年最後の出勤日だ。がんばっていこー。でも、どうせテト休みも出勤しなきゃだから、あんまりすっきりした気分にはなれないけどね。昨晩は、ある工程の忘年会。国道から狭い道に入りしばらく行った従業員のうちでのパーティーだった。恐らく、そのために豚一頭落としたんだろー。豚づくしの料理だった。でも、ホルモン、ロース、臓物、耳などいろいろな種類の肉と料理法ででてきたので、飽きることはなかった。豚自体も素直な綺麗な味だった。やっぱ、こうゆうところは、田舎はいいよなー。

25日(土)

 来週火曜日からのテト休みに備え、今週は土日とも出勤だ。この週末は休務者ぞくしゅつするだろーな。まあテトまでの辛抱だからそうでもないか。それにしても、テト後もしばらく出勤だらら俺にしてみりゃ同じなんだけど。ミャンマー楽しみだなー。

23日(木)

 今日は最初の工程の忘年会。明日から毎日どこかしらの忘年会だ。工場近くでは、3箇所くらいしか宴会を開く店はないからいつもの見慣れた店だ。ここで、20人程度で宴会。日本人のお土産の焼酎を持っていったら今回はみんなに受けた。さすがに大人数なのですぐなくなった。こんなに好評なら最もって来るべきだったんだが、ほんと、みんなのリアクションは難しい。ある時はほとんど飲まない。今日みたいに凄い勢いで、飲んでくれることもある。まあ、これからは、ボトル2本持って行きゃいいんだな。好評じゃないなら、持って帰れば良いんだから。

22日(水)

 今日は一日何とか持った。しかし、スタッフも年末を向かえだれてきたなー。誰かのおばあさんの葬式だとか言って、午後からみんなで払っちゃった。あいつらほんとにやる気あるんだろーなー。

21日(火)

 昨日のハノイ紀伊での忘年会のせいか、それとも先週からの風邪のせいなのか、今日も体調悪い。このまま元気戻らないんじゃないだろうかと。こうゆう感じって、秋から冬にかけてよくあるんだよなー。今日は午後から帰宅し、家でゆっくりしている。こうゆうところは、日本と違ってすぐ帰れるから良いよなー。

20日(月)

 昨日は試しに午後テニスコートでサーブ打ってみたがやっぱり凄くいたい。テト後までは無理かもな。夕方6時から女性スタッフのこの街の実家にて夕食会。スタッフの両親、おばあちゃん、だんな、妹とそのフィアンセと居心地のいい夕食だった。朝からの停電は、その夕食会でも続いていたので、キャンドルで食事。久々の夫婦とテト後に結婚予定の妹とその彼といったメンバーだったので、非常にロマンティックな夜だった。お土産にもっていったジョニーウォーカーは偽物だったが、なかなかイケル。中国品かな?さて、テトまであと一週間。休みなしで働かなきゃだけど、もうすぐだ。

19日(日)

 17,18日にてタイのアユタヤ付近のt社工場に出張。今回は、タイの中流・富裕層による反政府でものため、首都バンコクには泊まれない状況となった。夜の楽しみがなくなりがっかりしたが、先方で、手配してくれたアユタヤのホテルは、世界遺産のアユタヤ遺跡の真っ只中、18日の飛行機待ち時間(ほぼ一日)を利用してアユタヤ観光を楽しむことができた。体調不良で当日夜の食事もキャンセルしたせいか、風邪の調子も少し良くなった気がする。左下写真は、部屋の窓からの写真。3階のプールにてこんなセクシー水着を見ることができた。幸せ。右は夜食事にひとりで出かけた時のお店の料理。西洋人がいっぱい入ってた店だけど、味はなかなか。この鶏肉豆スープはほんと辛かった。日本人はデモの影響でホンと少なかったけど、西洋人にとってはこの程度のデモは旅行を中止することのもんではなってことだ。同感。

 

ホテルの通りにあるマッサージ屋さん。二時間で1200円程度。やっぱり安い。バンコクではこんなに安くはないだろーけど。そしてなかなかうまかった。翌朝、早起きして、空港に行くまでの時間をアユタヤ見学に使った。まずは、アユタヤの代表のワットマハタート。やっぱりこれは凄い。かなり痛んだ遺跡だが、王朝の宗教利用の原点が理解できる遺跡だ。こんなものがこんな身近に見れるなんて。

 

ここで、一つの発見をした。それは、仏塔のなぞ。なんで、10世紀前後の王朝はこんな利用価値のない仏塔を建てたんだ?と常々思っていたが、この目的は再生だったんだ。右の写真の入り口の形状を見れはその意味はわかるよね。

 

二つ目はやはり代表各のワットラーチャプラナ。ここの仏塔はタイで一番大きいものだ。残念なことに現在修復中だが、ここは、見る価値の大きな遺跡だ。中央の一番大きな仏塔は、アンコールワットと同様に蓮のつぼみの形をしている。その回りは他の仏塔同様にベル型だ。ここの仏塔の入り口から入っていくと、これを建設した王朝の意味はよりわかりやすくなる。

 

左写真は、入り口内部から入り口付近を撮ったもの。上部が狭まった形状の入り口が3層に連なっている。ピラミッドの内部と同じ構造だ。この奥には天井の高い狭い部屋がある。ここで、再生を実現または祈願したんだろう。なお、入り口から、正面室より下方に狭い階段があり、狭い二部屋に続いていた。さまざまな財宝が保管されていたようだ。この構造もピラミッドに似ている。外部の装飾には、カンボジアで見た、ガルーダ、ナーガなど、インド由来の神が数多く彫刻されていた。

 

これは、ワットタミカラート?(写真左)この辺の観光地図はいい加減なので、わからない。しっかしりた仏塔だ。でも何故か興味を惹かれない。そして右写真がワットブラシサンベット?。ここもいま少し歴史的な背景がわからない。でも王宮遺跡は迫力があった。

 

王宮遺跡。屋根はどーしたんだろーね。壁柱は立派なんだけど。そして右写真は、付近の仏塔遺跡。ほかのものとあまり相違はない。

 

そして、ワットプラ・スィー・サンベットここには、大きな金の仏像があった。タイに多くある金の代仏像。どうしてこうゆう奥行きのないもの作るのかねー。

 

この店はお菓子を作っているお店。日本の手焼き煎餅や見たいなもんだが、なかなか旨い。そして、一時ホテルへバイクタクシーにて戻る。料金は100円だけど、細かいのなので、300円あげた。

 

休憩後再度、アユタヤ遺跡へ。これは、川の外側にあるワットフタイサワン。ここは凄い。壮大な遺跡だ。アンコールワット同様。センターに蓮のつぼみ状のセンタータワーがあり、その周りに正方形上に各頂点とその中天に6個の仏塔が建設されている。見ごたえのあるものだ。

 

王の像は、川中のアユタヤ王朝を守るように建造されている。核コーナーの仏塔には、こういった仏像が安置されている。

 

さらに、川向こうを進むとこの遺跡。この仏像安置建屋内部には壁画がくっきりと残っている部分がある。

 

最後は観光地図でも大きく取りり扱われている・・・忘れた。たいしたものじゃない。価値もない。そして昼飯はまたローカルレストラン。サラダと川魚のから揚げ料理だけど、兎に角辛い。辛さを沈めるために、二種類のローカルビールは消費された。味はどうでもよかった。

 

 

15日(水)

 風邪引いた。ここんとこまた寒くなったのと、新人エンジニアの件の心労でやられたみたいだ。でも、今日はそれほど症状が酷くない。仕事後、エンジニアの話も聞かなきゃだしね。あー、気が重いなー。そういえば、バンコク状況も相変わらず大変な状況だ。明後日だけど、ほんとに行けるんだろか。

13日(月)

 今日は悲しい。一年前入社したマスター卒の女性エンジニアが辞めるといいだした。なんで?明日聞いてみよう。やっとここまで来たのにどうしてなんだろ。ほんとに彼らの気持ちはわからない。熱が出てきたようだ。明日は出勤できないかもな。

12日(日)

 昼前、雨が上がったようなので、散歩に行ってきた。ここんところ、テニスも散歩もやってなく、会社でもあまり現場に出ていなかったので、運動不足気味だ。いい機会のので出かけてみた。方向はやっぱり、東。ホン川からの支流に沿って走る道だ。結局今回は川を渡り大回りをして北から街に戻ってきたので50kmくらいは自転車で走ったんじゃないかな。東方面への川沿いの道は下写真左の場所で川を北に渡る橋と、まっすぐに海方向に続く道へと分かれる。今回は、川を渡ってみた。なかなか風情のある川だった。しばらく行くと二つ連なった小山を発見。おー、これはいつも国道一号線から見てるやつじゃないか。あんなにはるか遠くにみえたのに、こんなところにあったのか。それにしても、この小旅行後、街のストリートで買った揚げ物5品が胃にキツイ。やっぱり最後のソーセージの揚げ物が効いたかなー。明日朝が心配だ。

 

その小山の反対側は綺麗な場所だった。いつもはこんな景色が見えるような近さじゃなかったもんな。しかし、見渡す限り民家やビルがない。写真右。

 

おっ、これは?探していたdinhじゃないのか。旧正月は、ディンと呼ばれる村の集会所で祭りを開くのが、この国の古くからの習慣だ。一度是非見てみたい。

11日(土)

 今日も結婚式。今日の酒は、きつかったなー。

10日(金)

 昨晩の宴会で調子に乗ったせいか、今日は一日眠かった。Isoの1年後審査日だったけど、オープニングもクロージングも居眠りしてた。がんばってくれたみんな、すまない。

9日(木)

 今日は、現場リーダーの結婚式がPHULYよりの実家で行われた。さすが、大きな所属のリーダーだけあり、参加者は、非常に多かった。普段はあまり見ることもない、分析の女の子も出席していた。いやーしかし、お化粧をして、いい服を着た彼女たちはやはり見ごたえがある。こりゃ、へたなハノイのカラオケ行くよりよっぽといいや。旨い食べ物も多いし。今日はメンテグループの忘年会とこの結婚式が重なった。忘年会シーズンまっさかり。来週末はバンコク行きが決まったばかりだけど。

5日(日)

 昨夜のスタッフとの宴会後、いつもの安宿に泊まり朝から出かけてきましたキンボイ温泉。この温泉は、ハノイの南西約80kmの位置にあり、ハノイープーリーラインをいっぺんとしたほぼ正三角形の頂点の位置にある。この温泉をもう少し、南西に更に進めば少数民族で有名な、マイチャウ、またさらにその西は、モッチョー牛乳の生産地、そしてその南はラオス領となる。朝の8時にホテルを出発し、まずは西行きバスの停留所のミーティン付近から、まずはホアビン行きの乗り合いバスに乗る。タクシーは150ギン、乗り合いバスでホアビンまで約90kmは50ギン。ホアビンで更にタクシーに乗り換え、キンボイ温泉まで350ギン。合計550ギン。これじゃあ、タクシーで全部来てもそんなに変わらなかったかもね。こういった乗り換えのためか、キンボイ温泉に到着したのは、11時半になっていた。なんと、3時間半。そして、プール温泉に入浴。日本と違って趣は、ないが、炭酸泉なので、気泡が肌に心地いいし、傷だらけの体をやさしく直してくれるようだ。1時間くらい入浴しただろうか。その後、温泉前の繁華街食堂にて、食事。やっぱり、サパ同様、高地は、野菜がうまい。分厚くてしっかり強い味のある葉っぱと茎だ。さて、タクシー乗り場に戻ると、誰もいないし乗り物もない。これは困った。ところが、この道路にフーリー行きのバスが通りかかった。慌てて止め、プーリーに直行、帰宅。これはほんとに幸運だった。これなら、自宅から直行で2時間弱で行けるところなんだ。今度、バスの時刻表を調べてこっちから行ってみよう。左下は、ホアビン(省都)のバス停。甘い顔すると、すぐ値段がつりあがる。ちなみに昨夜の焼く肉屋の料金は通常の3倍程度かな。右はホアビンの通りの様子。

 

ホアビンから温泉地のキンボイまでの景色。こういった高原独特の景色が続く。でも、少数民族の衣装は見ることが出来なかった。

 

温泉プール。こうやってみると、日本の温泉に比べ風情がほんとにない。右写真は、温泉センター内部の様子。

 

食事。黄色の液体は蒸留酒。やっぱり高原の蒸留酒は、発酵菌が違うためか、味が違う。少しヨーグルトっポイ。メニューには、鹿、猪、ハリネズミ、鼠、豹、こうもりなど、さまざま。

 

 

2日(木)

 さて、火曜日は宴会断ったけど、今日は行ってきた。ある現場のローカルリーダーの家のパーティーだった。彼の家は大きな池のあるりっぱな邸宅だった。そこで食べたのが、飼っていたうさぎと地鶏。話によるとこの大きさの地鶏は、ベトナムでも相当高価で取引されるそうだ。彼の家には30羽ほどいるという。酒、肴とも最高のパーティーだった。でも・・・。今回のパーティーは、管理職のみ。どうしてこういったパーティー開くんだろー。

 

1日(水)

 新暦の元旦なので、今日は休み。さっきスカイプで児玉の正月の様子をみたが、やっぱりしっくりこない。精神面も陰暦に変化してきたんだろうか。まあ、毎年あのテトの最中にこの国にいたらそうなるわな。昨日、1Q84 という本を読み終えた。ベストセラーというので、機内の暇つぶしに丁度良いかと思い読み始めたが、文庫本で6冊、飽きることなく読んでしまった。最近の本は心の深いところにじっくりとしみこんで行くといった感はないが、ハリウッド映画のように、ページ数で分割し盛り上げ部分を配置している。このためか、読んでいる時は飽きないし、また次も読みたくなってくる。伝えたいものを表現するんじゃなくて、エンターテイメントとして計算され作成されている。なかなか凄い。時代が変わってきたのを感じる。さて、朝散歩。いつものように街の東、北部最大のホン川からの支流方面に自転車で散歩する。ホン川は、この町の西側で支流が西(内陸側)に流れ、この街の石灰質山地帯から流れる川と合流するわ北西部の中国国境付近以外は、ほとんど海抜に差がないベトナムならではの現象だ。川の美しい景色に誘われ自転車をこいでいたら、いつの間にか寂しい場所だった。この道も塞がり何とか進むとこんな道に。これには少し動揺した。

 

ここを抜けるとこんな美しい景色の中に、川辺のレストランが見えた。ビール、ウッォッカ、ウナギの野菜炒めで、145ギン、約750円だった。味は悪くはない。今度は川魚を何人かで食べに来よう。