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日記2012年7月

 

 

今月の一枚

ニンビンタムコック

この前行ったニンビン省ニンビン市のタムコックという観光地。ここの川めぐりは気分爽快でなかなかいい。やっぱり、ゆっくりのんびり行きたいところだね。

 

 

 

 

2(木)

 環境関連の工場査察があり、お役人と一緒にレストランへ。場所はphulyのINCOホテル。総勢16名の御一行だが、個室で気持ちよく過ごせた。でも、この客室は雑で良くないんだよなー。料理は、そこそこ、旨かった。ネップモイもウィスキーも旨く飲ませてくれる。おかげて午後はよっパリ状態での仕事となった。お役人の若い女性が綺麗だったので、俺がうれしそうにしてたとか、冷やかされる羽目になった。でも、値段は300$超えただろうな。

8月1(水)

 サッカー部の後輩より、ハノイで会いたいとの事。こうゆうのうれしいよなー。さてどんなところに連れて行こうかな。なんか楽しみ。

31(火)

 午後から、ハノイのメリアホテルのセミナーに出かけてきた。やっぱりホテル内となると、都会は良いなーって感じになるね。まあ、メリアだから仕方ないよなー。昨日は中国の客人とハノイのレストラン、今日もハノイに出張。こう続くと田舎に引っ越したのが悔やまれる。これから歯の治療も長引きそうだし、やっぱりハノイに戻ろうかな。もう月末になっちゃった。

30(月)

 今日は中国からの客人が二人来ていたので、仕事後ハノイのビンコム近くの海鮮料理屋にスタッフと6人で行ってきた。カニ、貝類、牡蠣などの海鮮とオジヤを食べて約200$。今までに比べ高い勘定になった。でも、なかなか海鮮類はうまかった。中国人も気に行っていたようだ。やっぱり、a氏の推薦するところは、落ちがない。安心できるパートナーだ。でも、さすがに内陸の中国人は生ガキを食べるのは初めてだったらしく、びくびくしながら食べていた。かわいかった。

29(日)

 歯ぐきの腫れのため、旨いものも食べれないし、酒も飲めない、お昼近くに工場に顔をだした。今日は日本人出張者とその通訳だけだった。最近だれて来たかな。午前に頼んでおいた壁掛け鏡が午後取り付けられていた。この間のパソコンとtvの接続といい、手際のいい仕事だった。5分で取り付けて帰っていった。鏡代500ギン。取り付け代50ギン。まあまあかな。これで、歯磨き粉をつけたまま会社に行かなくてもすみそうだ。

28(土)

 食事時、あまりに歯が痛かったので、午前中にハノイのWCまでいってきた。ここは何度かかかっているけど、設備、技術、サービスともに、日本のかかりつけの歯医者よりずっといい。丁寧過ぎるし、気遣いもいいし、時間かけるから相当高いかと思ったけど、日本と同じくらい。今朝レントゲン検査の結果、原因の一本目は、歯の神経が病んでいるため、神経を抜き、新しいものをかぶせるとのこと。これに約1000$。二本目は大変で、歯の根っこを支える骨が溶けているとのこと。インプラントにし、これが2000$との事。まいった。ショックだ。

26(木)

 昨日は教育に来てくれている大学の先生たち4人とうちのスタッフとの飲み会だった。工場近くのいつものレストランでやってたが、うちの現場の別の飲み会も同じレストランでやっていた。最初の宴会でも比較的飲んでたが、現場の飲み会では一気飲みで回ったため、酷い酔いかたをした。でも、すっぽん料理だったので、肝酒を飲んだせいか、今朝は比較的元気だった。やっぱすっぽん力ってすごい。明日は大学の先生方がテニスをやりたいっていってたけど、ホントに来るのかな?まあ、ベトナム人だから、話だけかな。先週の旅行と飲み会続きで、体重が2kg増えた。

24(火)

 今日は、久しぶりに現場の飲み会に参加してきた。べろべろに酔わないうちに帰れたので明日はたぶん大丈夫だろう。しかし、今日の宴会場は工場から9kmくらいはなれたところにあったけど、雰囲気のある場所だった。たぶん昔のお寺だろう。屋根は茅葺、木造で太い柱が使われていた。そこで飲んだのはハロー、ハッピーアゲイン、ストロングマン、などの薬洋酒。トカゲやワニや薬草やカラスや昆虫を漬けた蒸留酒のミックスしたものだった。これはハノイにもあるけど、ここのは味がもっとクリアーだった。食べ物はヤギ料理がメインだったが、ヤギの血ゼリー、煮たヤギ肉、炒めたヤギ肉などどれもなかなかのものだった。ホントはもっと飲みたかったけど、いままでの経験でこれ以上飲むと翌日にこたえることがわかっていたので、一時間で切り上げて帰って来た。今度はカラオケまで付き合うからねといって帰って来たけど、次もいけねーだろーな。そういえば、明日も教育してもらってる大学の先生方との宴会だったね。

 

 

23(月)

 比較的平穏な月曜日だった。帰宅後、いつものビアホイへ。ホームパーティー時のビール配達の御礼を言いに行ったら、逆に一品奢ってくれた。もう、蚊を気にしなくていい季節になったようだ。日本の焼酎は旨いとオーナーが言っていたので、帰国時はお土産に焼酎でも勝って帰るか。

22(日)

 バンコク3日間、ベトナム1週間の妻の滞在が終わり、昨夜空港まで送って行った。寂しい半面、特に何をしたわけでもないのにホットした感じもある。俺が日本に帰国した時の妻の気持ちもわかったような気がする。滞在中、俺が出勤している間に、DVDをPCでみるのはきついという指摘があったので、今朝は早速pcショップに行って、PCとTVの接続USBを買って、接続してみた。久しぶりだなー、ベトナム施工で一発で旨く行ったのは。言葉がよく通じないので直接家に来てもらって接続したら何の問題もなかった。今後来た時はTVでもDVD見れるようになったよ。帰り道、冷たいものがほしくなったので、道路沿いの小さな露天喫茶によって、チェーを食べた。その店の人にちょっと自転車を貸してくれと言われたので見ていたらちゃんと、氷は外販のミネラルで作った氷を買ってきた。水道水をタダ凍らせるだけとの疑いもあったが、大丈夫、ちゃんとした氷を使ってるよ。今度はdvdをたくさんもって、安心して道端の冷たいものを食べて行ってね。

 

19(木)

 昨日は自宅にスタッフを呼んでホームパーティー。20人弱来たかな。最初に日本の伝統食材、たくあん、梅干し、佃煮、漬物、海苔まき、お稲荷さんなど出したが、ほとんど手つかず。しょうがないので、近くのベトナムレストランから出前したら、すぐになくなった。やっぱり良く分からない食材に気軽に手を出すのは俺くらいなのかな。そのあとは、カラオケへ。これは、みんな喜ぶんだよなー。おもしろいねベトナム人は。

16(月)

 先週木曜日から日曜日まで、妻とバンコクで待ち合わせて小旅行を楽しんできたつもりだが、バンコクは腐った街だし、おまけに下痢をしてしまい、とんだ週末になってしまった。ドブ、糞尿、腐った食べ物のにおいのするバンコクでは、そこに住んでいる人たちも腐っていた。発展のスピードが落ちた状態ではこれまでのように生活の上昇は見込めない。希望を失った人たちの目は濁り、サービスは最低レベルの状態だ。ベトナムが後数年後、こう結う状態にならないように祈るだけだ。ここ数年政情も不安定になって来たけど、もう、きらきらしたタイは戻らないだろう。下の左写真は、屋台の料理。皿ご飯に好きなおかずを2品載せる方式だが、一人200円程度。この後酷い下痢に悩まされた。右写真は、サンクビットのゴーゴーバー通り。ポールに寄り添って踊るおねーちゃんがわんさかいるところ。

 

10(火)

 家に戻ったら、テレビは砂嵐状態、インターネットも使えない。ところが、二階のエアコンの室外機の電源をいりきりすると、なんともと通り。どういう配線してるんだこの家は?無許可で有線テレビやインターネット回線を引きいれてんじゃないのか?

9(月)

 今朝起きてシャワーを浴びふと鏡を見ると、なんと左目の半分が赤く明らかに出血している。下痢の次は目の病気かと思って暗い気持ちで出社し、さっそくSOSに予約を入れた。夕方5時に診察してもらったが、ベトナム医師に心配ないですよ。目の血管が切れてるだけですよ。と言われた。切れてるだけつったって、切れてるんでしょ?ホントに心配しなくていいの?そりゃ失明はしないかもしれないけど? って思ってたら、さっしてか、よくあることなんですよ。高血圧時のくしゃみなどで成人にはたまにあるらしい。やっぱり、熱帯の途上国ということもありいままでも経験のないことが起こったら躊躇なく病院に来ていたが、今回も来てよかった。少なくとも今週末のタイ行きは予約を取り消さなくとも済みそうだ。ほっておけば一週間で治りますよとのことでした。日曜日はフェデラー勝ったし、なんか今は快適な気分だな。やっぱり金土日と続けて飲んだのまずかったのかもね。

8(日)

 朝から雨、何もする気になれなかったので、自転車で市内の散策に出かけた。川向こうにはまだ昔ながらの生活らしきものが残っていた。駅前までくると、3階建の電気店ある。pc接続用のスピーカが約4000円で売っていたので買ってきて組みたてた。なかなかいい音だ。満足。下写真は、朝飯のバインミーとバインコンチャー。露天だったので不安だったが、OKだった。

 

下左写真は、川向うの市場。そして右写真は、その運搬船。両方ともなかなかの時代もんだ。

 

下写真は、昼食顕揚の果物。日本ではほとんど食べない果物だけど、こっちのは、甘くて旨い。皿の手前左は、すもも。その右のちょっとおおきのがモモ。そして、右の大きいのがメロン。後ろの枝になってるのがライチー。どれもいける。

7(土)

 昨日は、t社aさんにハノイにできた研究所を案内してもらった。うちのスタッフ二人と行き、いろいろ説明してもらった。日越での研究所設立は、今後のこの産業の発展のために大きく貢献してくれるだろう。その後は、本社会長秘書のf氏といつもの安心定番のクワンコムフォーへ。最後はフォーを食べたいというのでフォーガーの隣(いつも夜はフォーガーはやっていないので同じ味の店)でしめ。やっぱりこのコースは大体の人が喜んでくれる。よかった。f氏と別れ久々にhung sen マッサージのアンズン店へ行ってみた。たった一か月のブランクだが、フロントの対応、風呂がかりの対応、マッサージの対応とすべて激変していた。これなんだなー、ベトナムの経営方法は、どうしてこんなに短期間にサービスが一気に低下するんだろー。おもしろいねー。日本じゃ考えられないね。

5(木)

 今日も掃除洗濯のおねーちゃん来てない。洗濯ものが返ってくるのが、一週間に2回だけ。これじゃー毎日テニスできねぇじゃん。明日は洗濯もの戻ってくるかな?全くいい加減だね。ベトナムローカルは。

3日(火)

 今日は何もない平和な一日だった。今日会社で技術報告会をやってみた。みんあそれなりのものを作って発表してくれた。少し成長してきたかな。やっぱり今日の夜も停電だー。

2日(月)

 帰り際たまたまタクシーに一緒に乗ったスタッフに、今日は日本語のできる妹が来ているので、家に招待しますと言われた。作業衣のままなので、迷ったがまあベトナム人のいい加減な誘いなので行ってみた。家は川の反対側で大通りに面している家だった。妹さんは、ハノイ大学の日本語学科を今年の7月に卒業予定。日本語は良くできる。うちの会社の通訳程度はできそうだ。お父さんはニカラグアやアンゴラを経験した軍人。サイゴン陥落ももちろん経験したそうだ。もう60歳だけど、20年前に退役し、悠々自適の生活だ。テレビはシャープ、オーディオセットは、ビクターで、日本の製品の品質は良いと言っていた。家電には日本製へのこだわりがあるらしい。ビクターはもう12年も使用しているようだ。典型的なベトナムの住居で、一階に応接室、バス、キッチン、そして2階と3階は、シャワー、トイレ付きの寝室になってる。なお、一階の半分は、タクシー会社の事務所に貸し出してる。日本はもう戦争の事知ってる人間はほとんどいないし、困ったもんだと嘆いてみせたら、ベトナムも同じだよと言われた。どの国の人間も国政への不信は大きいんだよね。でも、選挙で政治家を選べないベトナムはいいけど、自分たちで選べる日本人としては、国民の顔である政治家やアイドルの質をみると、ほんとに恥ずかしい気がするね。なぜか、夕食もご馳走してくれる気になっていたんだけど、何にも出てくる気配がない。あー、ベトナム人の招待ってそうなのかと理解し、家に帰って来た。そういえば、別のスタッフが2家族で遊びに来て、お茶を飲んだだけで二、三十分で帰って行ったことがあったよなー。

7月1日(日)

 昨日は6時半ころテニスコーチより電話があり、結局ビアホイに行くことになった。そこで、旅の指差し手帳を使っていろいろなことが、わかった。現在32歳、教員の立場であり、テニスを教えていること。奥さんは妊娠中であり、あの更衣室のようなテニスコート脇の建物に一緒に住んでいること。共産党員であること。空手も15歳の時から習っており日本の沖縄に行ってみたいと思っていること。俺の事はいい人だと思っていること。途中大雨になったので、建物の中で飲んだ。その時も、「東京」というキーワードで、美術の先生や医者などがやってきて、全然わからないベトナム語をしゃべりまくり、乾杯して帰って行った。ハノイならこう結う人たちと話してると、片言でも英語がでてくるんだけど、ここでは一切英語はなし。どうしてそこまで英語しゃべらないんだろ。ビアホイのオーナーも時間があれば、席についてカラオケ、カラオケといっていたが、いよいよ店を出るとき、彼はいけないので二人で行ってくれと言われた。その時、やっぱり初めの子を妊娠中の彼の奥さんの厳しい視線が飛んできた。初妊婦二人のだんなとカラオケ行くのもなんだからと、ここで断念し、帰宅した。昨夜から、すごい雨だ。今日は一日雨になるかな。