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マニラ

               

 

 

 

5-7日 manila  

 マニラに出張。東、東南アジアはほとんど回ったが、なんと近場の観光地フィリピンはまだ行ってなかった。いい機会だったので、開いた時間に一つの代表的な観光地intramulos に行ってみた。 いい観光地だったが、スペイン統治時代の遺跡だ。原住民であるタガログ族の遺跡や観光地も行ってみたかったが、あまりなさそう。人の顔、衣服、食べ物、植生、気候、何についても「これがフィリピンの特徴だ」っていうものがない。街も途上国の典型的な形で、バンコクやクアラランプールとの違いはない。これが恐らくフィリピンなんだろう。この混沌が。しかし、銃社会だから何か犯罪があれば、簡単に殺人につながり発生率も異常に高い。得るものの少ない割にはリスクの大きな場所だ。下左写真は、着陸前のマニラ市街の様子。やっぱり、木造家屋はまったく見れない。中央写真は、ホテルフロントのお嬢さん。当然普通よりびじんだが、この顔にフィリピンの特徴らしきものがいくつか見れるかな。右写真は、ビジネス街。まだ新しいから他の途上国の都市と変わりはない。

まずは、ホテルの近くのハンバーガ屋さんで食事を済ます。これが注文してから出てくるまで20分待った。このあたりは途上国の常識だが、以外に旨かった。ちなみに、宿泊したホテルはマカティーといい、非常に治安のいいビジネス街だが、近くのセブンイレブンの入り口には、ストリートチルドレンらしき、こどもが数人たむろし、おつりを目当てにカップを差し出していた。そして、alaya の街に繰り出しカラオケバーへ。内容はハノイのカラオケとまったく変わりはないが、さすがに女性のノリがいい。それと料金は5,6倍かな。行きはタクシー代が300円だったが、帰りの悪そうな運ちゃんは客の顔色を伺いメーターを倒さない。これは参ったと思ったが、請求は2倍の600円。おんぼろタクシーでどれだけぼられるかと思ったが、なにかほっとした。それにしても、この国の男共は、少しでもずるいことして金を増やそうとする。intramulos へ行く時の運ちゃんも同じだった。

翌朝はこんな海岸線の道を通り、マニラ南部の工業団地へと向かう。道路反対側の沼地には、いまでも倒れそうなバラック民家が密集していた。台風の時は大きな被害になるという。うなずける話だ。

仕事を終え、ホテルに戻ったが時間が余ったので、観光地に出かけることにした。昨夜のカラオケバーの女の子が案内してくれるといっていたがいつまで待っても連絡が来ない。これも途上国の常識だ。そこで、フロントにて安全地帯を確認し、タクシーにて行って見ることにした。唯一の大規模な観光地のintramulos は、北西5,6kmのところにあるが、運ちゃんは行きは右から回るルートを選択した。大都市の真ん中なのに景色は少し燻っている。下りて別のタクシーを探す勇気はない。ここで、料金交渉となる。運ちゃんも頭がいい。観光地ー買い物ーホテル戻りで3000円とした。彼にとっては大もうけだろう。

さて、1時間半くらいかけて到着した。ここはスペイン統治時代の城壁内の都市で、当時はこの中がマニラと呼ばれていた。タガログ族は中国人はこの中に住めなかった。現在でも多数の教会と大学が残っている。場内は古い石作りの道と建物で、絵でみるヨーロッパの古い都市のようだ。右写真は、現在は古民具屋さんになっている。

少しタガログらしいものが展示されている。右写真は、サンオーガスチン教会の位置。中は一部博物館になっている。ここの展示物はすべて重みのある貴重なものだ。

教会内部。こんなきれいな教会はなかなか見れない。天井の彫刻もいい。回廊の展示絵画もいい。何より歩いていて凄く気持ちいい。

教会の外壁も渋みのある石造りだ。その奥は西の城壁となっている。右写真は、マニラ大聖堂。キリスト教の総本山だ。これは大きさに圧倒される。

内部もよく整備された美しい教会だ。右写真の祈りの部屋のステンドグラスは素晴らしく綺麗だ。写真では表現できないな。

城壁の一部。この上も歩けるようになっており、その外側は旧来の堀が埋め立てられ公園やゴルフコースになっているとのこと。

 

帰りは海側の道を通って帰ってきた。あまりにぎやかでない海岸だが、南国の雰囲気は少し出ている。やっぱり、フィリピンって国は、ローカルのセブやパラワンに少し長く滞在してのんびりと過ごすのがいい国なんだろーな。マニラあえて来るところじゃないな。