9日(日) マイチャウ旅行
悪夢のマイチャウ旅行になってしまった。のんびりとした農村風景と高原の景色を楽しみながらゆっくりと散歩ができるのが売りのマイチャウだが、こんなことになるとは・・・。近所のバス停まで歩いていくと、予定通り7時40分くらいにホアビン行きのバスが来た。これはPhuly始発なのでがら空き。下左写真のような石灰質山地独特の景色を楽しみながら、ホアビンに向かった。やはりこのバスも宅配便を兼ねているので3時間以上をかかった。料金は500円。久々にぼられてなかった。ホアビンにて再度宅配便を兼ねたバスに乗車した。バスの全部は写真どおり人が乗ってるが、後半は荷物だらけ、俺の足元にも、焼き物、針金、セラミクスタイルなど、いろいろあり、乗り心地は前半バス同様最悪だ。でもやっぱり観光地では若い人が話しかけてくる。特に日本人は評判がいいので大変だ。写真の彼女は日本酒が大好きだという。男女6人でマイチャウに向かう途中だ。二人がラオカイ、二人がソンタイ、二人がマイチャウ出身の大学生だ。今度、日本酒を飲ませてあげるとよ電話番号を聞いたら、隣の彼が自分の電話番号を俺の携帯に打ち込みやかがった。まだ俺も少しは危険人物なのかね。二時間をかけてマイチャウに着いた。
マイチャウ方面への景色、高原なので途中の景色は凄くいい。こういったところを時間をかけて歩いてみたいもんだ。さて、右写真は、マイチャウの玄関口の湖。この隣が高級ホテルなので、民族衣装を着た地元の少数民族(?)が綺麗にお化粧をして待機していた。何のための待機なんだろ。
やっぱり、今回もホテル(一泊10$)の住所や名前はいい加減。おかげでこんな人通りの多い観光名所に入ってしまった。ベトナムの場合、どこでもそうだが、やっぱり近所の人に場所を聞くのが一番手っ取りばやい。そのおかげで、焼き豚とビールを注文してしまった。すこし、観光名所からはなれると、やっぱりこれが売りの風景だ。ほんとにのんびりとすっきりとした感じになる。
何とか宿に到着した。このあたりはすべての民家がこういった高床式の住居になっているが、屋根のかやぶきはさすがに珍しい。安ホテルの割にはいい家だった。早速、散歩にお出かけ。近くにこんな冒険的な道があったので、正面の山にでも登ってみようと、歩いていった。
すると、すぐに開けてこんな景色になった。なーんだ、来る時の国道に戻っただけか。それにしも、きびしそうな道だったのに。会う人は、ほとんどが少数民族のターイ族。観光地らしく、会えば必ずハローと言ってくる。でも、こりゃやりすぎだよ。せいぜいシンチャオでいいんだよ。そんなに意識しちゃうとこの先大変だぞ。
左写真は、田んぼの端っこ。この景色だけでもかなりの価値がありどーだよね。川沿いに歩いていってみたくなるよな。右写真は、先ほど正面に見えた山の中腹くらいかな。自然にこんな景色になる。このあたりは、ヨーロッパの草原地帯のようだ。乳牛も多く、このあたりを散歩させている。山頂まで道が続いているようだったがもうタイムリミット。引き返すことにした。
宿に戻ると若いお嬢さんが、こんにちはと声をかけてくる。ボランティアで1ホテル20名くらいのハノイの大学生などが週末に集まってくるようだ。こういった観光ブレーンの指導を受けたような体制のせいか、夜は小学校程度の広場に大勢が集まり、各所で民族舞踊やディスコダンスで盛り上がる。チョッとマイチャウの基本思想とは違うが一人旅の俺には心地いい。彼女達は、世界の文化・風習・産業技術、それとなんといっても外国語を上達するチャンスなので、恥ずかしがり屋のベトナム人にしては、積極的に話しかけ時間つぶしをしてくれる。
右写真は、宿の部屋。この板の間のベットの脇には机が置いてあるだけ。ここで、明日のトレッキングコースのことなどのんびり考えていたら、a氏より電話。会社で災害発生との事。事情がわかったのが2時近くだったので、翌朝7時になんとかタクシーを呼んで慌てて帰ることになった。