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ハノイ近郊観光

 

 

 

 

 

21日(日) ハノイ近郊観光地 ba vi 国立公園 

 フン王による独立記念日は、祭日でもあり、また、紀元前2000年のまったく神代の話だ。海と山の神が結婚し、100人の子供を生み、その長男がフン王となり、その後代々王の家系として継承された。この遺跡が本当にあるならなんとしても行ってみたいが、残念ながらフン王のお寺は10世紀ごろに建造されたものだ。山を登った先に3つのお寺があるが、写真で見る限りそれほど技術的に価値のあるものでもなさそうだ。一年に一度の大賑わいするお祭りには行って見てもいいが。さらに距離はハノイから90kmあり、一人でこの距離を行くのは少し冒険的過ぎる。そんなわけで、電解エンジニアのふるさとでもある、もっと近場のba vi 国立公園に行くことにした。生憎霧雨が続く中、あまり気持ちがいいとは言えないキツイ山登りとなった。しかも、帰り際に天気が良くなってきた。日本でいえば那須高原ってところかな。条件がそろえばほんとに気持ちのいいたびになったに違いない。今回は、バスの混雑、天気、行き先の調査不足により、ただ疲れるだけの旅になってしまった。下左写真は、行きのバス車内。ホテルからタクシーでバスターミナルまでが1000円は普通。このバスはソンタイまで60kmをわずか45円で乗せてくれる。でも、普通の停留所に全部止まるタイプのだ。2時間弱この状態で立っていた。これだけでかなりの運動だ。でも、空いてくるといかにも、好奇心ありそうに俺を眺めていた女子達が、何人?東京?ベトナムの滞在は?など、大勢で質問してくる。この辺りはあまり外人なれしてないのか、それともオープンな土地柄なのか、塞いでいた気分が少し楽になった。ソンタイでタクシーに乗り換え、国立公園へ。まずは入り口の観光名所。確かに中にみるものもすくないけど、この書き方はねぇー。更に寂しくなるよ。

1200mの山なんでかなり高くかんじるんだけど、ここは8合目くらいかな。ここから、みんな歩いていく人が多くなる。でも、今日は雨なので車やバイクで行く人がほとんどだ。でもここであるいたら来る意味がねぇー。気持ちを強くし歩いていくことにした。

山頂近くでは、こんな古ぼけた教会の残骸があった。これなんの意味なんだろー。こんな山中に立てたことに敬意を表しているのかな?ここらあたりで、アメリカ人夫妻とあった。どっちに行けば山頂なんだと。でも俺もわからない、ベトナム人があっちにいったからあっちでしょ。といったら、間違ったといって降りてきた。やっぱりベトナム人だ。アメリカ人夫妻は飛行機のエンジンメーカのエンジニアという。90年代は、田園調布に住んで東京で仕事を10年していたという。東京は清潔で文化も興味深く、楽しく過ごせたと言っていた。まあ、金がありゃどこだって楽しいよね。奥さんはマレー人との事。

タクシーにて山頂からソンタイに戻り、まずは昼食。牛乳がうまいところなので、何故か牛肉を食べた。凄く堅い牛肉だった。近くで牛乳を飲んだが、脱脂粉乳みたいな薄い味。ここほんとに牛乳の産地なの。帰りは再度バスに挑戦。やった。空いている。ラッキー。座ってすぐ寝てうるさくて目覚めた時には、バス内の状況は中央写真から右写真に変わっていた。しかし、こりねーなベトナム人って。なお、今回はミーディンにてphuly行きのバスに乗って帰ってきた。こっちはやっぱりいつもの通りに座れるんだよね。

 

20日(土) ハノイ近郊観光地 ベトナム最古の遺跡co loa 

 休日の土曜日、前夜にインターネットでco loa というベトナム最古の遺跡の情報を見たので、リュックに宿泊セットを入れて出勤した。いつもは少ないのにこの日に限ってエンジニアが出勤している。俺のラフな格好を見てその一人がまたハノイに遊びにいくんですかというので、いつも通りベトナムの伝統文化と芸術を求めて今日はco loa に行くつもりと言ったら、一人のスタッフの家の近くだった。案内してくれるというので、彼女と午後行くことにした。うーん、ここは3重の螺旋構造の城壁を持つ紀元前3世紀の城跡だと聞いていたわりには規模が小さい。でも、築城の場所は大抵そうなんだけど、いて気持ちのいい場所が多く、ここもその一つだった。もちろん、建造物はその後数世紀後の建築なのだが、彫刻、建築様式は非常にしっかりしていてレベルが高い。これも影響してか、見物散歩するにはほんとに気持ちのいい遺跡群だった。ここは、神話と遺跡が一致する最古の場所だが、まずは神話から・・・

紀元前3世紀、度重なる事故で築城が思うように進まなかったアンズン王は、神にささげものをした。すると金色の亀が現れ、爪をわたした。これより築城が上手く進み、この爪を弓矢のトリガーに使うことで一度に何本もの矢が敵に百中百発あたり、中国軍は思うように侵略することができなくなった。スパイとして送られた中国の王子はアンズンの娘と結婚し、内情を探った。情報を持ち帰った中国の王子は、帰国しベトナムを攻めることになった。この戦争は爪を偽物と取り替えられたアンズン側の大敗となり海岸方面へ逃走したが、娘によって行き先の情報をもった中国の王子に追い詰められる。娘の裏切りを知ったアンズンは娘の首を撥ね、自ら入水する。首のない娘の死体はハノイ近郊のco loa に流れ着き石となる。戦争に勝った中国王子は、この城に戻り、井戸を覗き込むとアンズンの娘がおり、悲しんで飛び込むことになる。

国道からco loa への道は川沿いで美しい道だ。この川岸が街中心にて、3重の螺旋城壁の一部となっている。右写真は、王子がアンズンの娘の姿をみて飛び込んだという井戸。池の中に円形に囲われている。

 

井戸を正面に、まずは、代表的遺跡。ここが、アンズンの執務の城だ。階段の龍はタンロン遺跡にも同じ様式のものがある。右写真の屋根の中央の彫り物は素晴らしい。セラミクスの綺麗な色彩の薄板で表面が覆われている。

左写真の建屋の中にアンズンが祭られている。右写真は、1重の螺旋城壁の付属品。

城門の模様、孔雀や他の生き物の絵に一つ一つ意味があるという。(スタッフ談、後で説明するそうだ)。右写真がアンズンの娘のお寺。中は悲しみでいっぱいだ。

祭られている建屋の概観と内部構造。彫刻ひとつひとつをとっても非常にレベルが高い。柱も京都の古寺のようにしっかりと長い年月機能している。

左写真は娘の首なし石。 最初は意味が良くわからなかったが。。。少し怖い。妊婦がこの場所に来るとお産に失敗するという言い伝えがあるくらい悲しい感じだ。螺旋の城壁の様子、池の向こうが3重、こちら側が2重。どちらも言われなければわからない。この後は、バスでロンビエンに戻り、1700円にて旧市街のホテルに宿泊した。予約はしてあったが、過剰受け入れのため、別のホテルに回された。でも、今回は回されたホテルのほうが、グレードが高い。ラッキーなこともあるもんだ。翌日は歴史観光の続きで、紀元前2000年のフン王のお寺があるden hung に行こうとしていたんだが・・・